四年目・冬 雌伏の季節

第51話 見送る季節

 今年の引退試合は、三年が圧倒的な力で下級生をねじ伏せた。

 それでも一点は取れたのだから、今のチームも弱いわけではない。

 武史が肝心のところで、力を抜きすぎるといういつもの病気を出していたのが問題である。


 そんな行事も終わり、いよいよ三年生も学校には来なくなる。

 進路が決まっているプロ組と武史は、普通に練習に混じっているが。

 そしてありがたいことに、ツインズがバッティングピッチャーをしてくれたりもする。


 水戸学舎の渋江。

 秋の大会からいきなり、全国レベルで名前が知られるようになった、アンダースローのエース。

 そしてツインズは、普通にアンダースローで投げられる。

 そっくり再現したシンカーを研究するうちに、とりあえず次は勝てると思えるようになった。

 まあどんなすごい投手であって、直史ほどの無敵っぷりはないのである。


 色々と問題のある生徒が多かった、今年の三年生。

 しかし今こうやって去っていくのを待つ季節になると、寂しくも感じるのだ。

 それに、一番の問題児。

 野球部の金髪でも、お騒がせの双子でもない、痩せた背の高い少女。

 イリヤの弾くピアノの音が、音楽室の開いた窓から洩れてくる。


 この三年生の中には、天才だの怪物だのと呼ばれる人間がたくさんいた。

 しかし真の意味で、人間の範疇を超えつつあったのは彼女だけだろう。




「そういやイリヤって、タケ先輩とどうなったのかな?」

 そんな恐れ知らずの問いを発したのは、比較的付き合いの浅い悟であった。

 一年生はともかく二年生は、ひどく困惑した顔をする。


 武史とイリヤは、普通に仲がいい。

 武史の、まるで姉のように振舞う双子の妹も、イリヤとは仲がいい。

 だが二人がそういった仲のようには思えない。

 しかしイリヤは卒業後は、東京に出るという話はしていた。


 そもそも彼女は、野球部とは別のベクトルでのスーパースターなのだ。

 シンガーソングライターではあるが、作曲単体も行う。

 野球部の応援曲は、彼女が何曲も残している。

 下手をしなくてもイリヤは、音楽史に残るような存在である。

 白富東も球史に残るような存在であるが、個人としての影響力はイリヤの方がはるかに大きい。

 何より彼女は、稼いでいる。


 ただそんな彼女も、一人の女の子として見られるのがこの世界。

 日本の高校生活の中で、彼女は比較的平穏な日々を送っていたのだ。


「タケ先輩はあれだろ? 聖ミカエルの」

「でも結局、受験が終わってからとか言って、引き伸ばしてるんだよな」

「なんかさ~、タイミングが悪いとか言ってるけど、逆にタイミング悪くしていってね?」

「相手がいつまでも待っていてくれるわけじゃないだろうしな」

「まあ相手さえ選ばなければ、普通に彼女は出来る人だろ」

「理想が高いってわけでもないけど、実は振り回してくれる女の方が向いてるんじゃね?」


 だいたい武史の評価はこんなものである。

 振り回すというならイリヤであるのだが、彼女は誰かを束縛もしない。

 本来なら世界中を巡って、世界から求められるのが彼女なのだ。

 そんな彼女の影響力を、最も強く感じたのがワールドカップだった。


 結局今年のワールドカップは、優勝出来なかった。

 投手の起用について、球数制限が厳しく上手くいかなかったということもあるが、直史と大介が揃っていた前回とは、やはり決定力が違ったのだろう。

 それでも準優勝だったので、野球大国の面目はほどこしたというところか。

 そもそも野球は、一戦だけで勝負を決めるには、偶然性が大きすぎるスポーツなのだ。

 そんなスポーツで、最後の一年は無敗であったSS世代が異常すぎたとも言えるが。

 いや、そもそもと言うなら、あの年とその次の年は、明らかにピッチャーのレベルが違いすぎた。




 単なる偶然であるはずなのだが、上杉の登場以後の二年間は、150kmを投げる投手がバンバンと出た。

 しかし160kmを投げる武史の後は、淳たちの代では、せいぜいプルペンで時々150kmを投げるという投手が出ているに過ぎない。

 不思議な話ではあるが、こういうこともある。

 それに今はまだ二年の秋であり、春までには150kmを投げてくるピッチャーも出てくるかもしれない。

 二年の冬というのは、そのための季節でもある。


 悟にとっては次のセンバツは、初めての春の甲子園だ。

 あの灼熱の舞台に比べると、どうしても春は、地味なものと感じてしまう。

 やはり三年生にとっては最後となる、あの夏の甲子園の方が特別なのだ。


 今の白富東は、夏までに比べると明らかに弱い。

 武史、アレク、鬼塚、倉田と、エースと重量級打線がいなくなるからだ。

 しかしこれでも、神宮大会を制した水戸学舎と、ほぼ互角の戦いは出来たのだ。

 作戦によっては、勝っていた可能性も高い。


 これからの冬が問題だ。

 この季節をどう過ごすかで、春の結果が変わってくる。

 悟にしてももっと、スピードを出すためのパワーがほしい。




 武史は一月から大学の野球部に合流すべく、今も練習とトレーニングを続けている。

 季節柄あまり速い球は投げられないが、それでも普通に投げて150kmは出してくるし、肩を充分に暖めてからなら160kmも出してくる。

 ただ基本的には、ウエイトをやって球速の最大値を上げようとしているようだ。


 野球部の人間としては、これに合わせてアレクもバッピなどをしたり、逆にこの三年生に投げる訓練をしたりして、投手の練習にもなる。

 大阪光陰も四人がプロの世界に進んだが、白富東も二人が進む。

 そしてプロを含めてさえ、武史の球速は日本人なら五指に入る。

 このサウスポーのストレートが打てれば、少なくともストレートを打てなくて負けるということはないだろう。

 だからこそ水戸学舎には負けたのであるが。


 淳はあの敗北以来、新しいピッチングスタイルを模索している。

 130km台半ばでも、アンダースローならそれなりに三振を取れるのだが、もっと確実に三振を狙える球種がほしい。

 ただスルーは試してみたが、無理のようだ。

 だが、アンダースローだからこそ使える球種もあるらしい。


 三年生にとっては、最後の春と夏になる。

 もちろん来年は、悟たちにとって最後の春と夏になる。

 最強の世代を見てきた悟であるが、SS世代はそれより強かったというのだから、恐ろしさ以外の何者も感じない。

 白石大介を二回りほどスケールダウンした感じ、などと悟は言われる。

 侮辱のつもりだったのかもしれないが、上級生も同じようなことを言う。

 そして今年のプロにおける大介の成績は圧倒的であった。

 あれの二回りスケールダウンというのは、十分にプロでも即戦力ではないのだろうか。




 冬が始まる。

 入念なアップをしてから、とにかく故障だけはしないように、練習が続く。

 秦野はデータをまとめながらも、選手たちがやりすぎないように、それだけは目を配る。


 秋の大会で、不甲斐ない思いをしたのは、むしろ良かったのかもしれない。

 自分たちは確かに強いが、軟投派や技巧派であれば、抑えられてしまう存在なのだ。

 それに気付くと、ミーティングの時間を増やす。

 公立校なので部活の時間は限られてしまうのだが、コーチからの指導を受けて、自主練を自分でやっている者は多い。

 一年生の中には、ここで研究班の実力を思い知った者も多いだろう。


 単純な話、飛距離を伸ばすためには、正しく筋肉をつけるなり、フォームを変える必要があったりする。

 ただ自分が求められているのだ、長打なのかどうかという問題もある。


 悟のように、どちらかというと選手としては小柄で、体重もそれほどなくても、ホームランは打てる。

 だが悟の真似をすることは出来ない。体格などが違うために、そのまま打ってもパワーが伝わらないのだ。

 それと悟は意識するのは、出来るだけ力を抜きつつ、バットのヘッドを走らせることである。

 パワーで運ぶという理屈が、悟には分からないのだ。


 久留米などはパワーで打っているな、というものが分かる。

 ポテンとヒットが落ちても、無理矢理にパワーで持っていっているというのが分かる。

 悟は力を抜くとパワーが伝わるが、久留米は力を入れないとパワーが伝わらない。

 肩の力を抜けというのは、久留米には通じないのだ。


 面白いものだ、と秦野は感じる。

 かつて若い頃は、とにかく技術と戦術の指導で精一杯だった。

 しかし白富東では、自分が選手を育成しているな、というのがはっきりと分かる。

 そしてブラジルとも違い、育てるのが楽しい。


 センバツに挑む戦力は、過去に年に比べると確実に低い。

 しかし低いだけに、監督の采配の余地がある。

 SS世代などは、直史をどう温存するかを考えて、あとは大介に打ってもらうだけという、雑な選手起用でどうにかなったのだ。

 まあ、あれはジンとシーナがチームを掌握していたからでもあるが。




 クリスマス。練習納め。

 元旦にはまた、仲のいい者同士で集まって遊ぶらしいが、秦野も骨休めである。

 しかし考えていても、悪いことばかり思いついてしまう。

 超強豪の私立などは、プロでもあるまいし、冬から沖縄で合宿をするらしい。

 そこまでやってしまったら、それはもう高校生のスポーツではないと思ってしまうのだが。


 セイバーはさらに温かいハワイで、何かをやるつもりらしい。

 MLBまで含めて、彼女の動きは太平洋を中心に動いている。

 秦野は目の前の一つのチームのことで精一杯だというのに。


 また年が明ける。

 ある者にとっては最後の、ある者にとっては最初の、この一年。

 監督にとってはまだまだ続いていく一年であるが、秦野の一年は、やはり長くなりそうだ。

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