第52話 冬の季節
白富東の強くなる理由の一つは、時間の有効的な、そして効率的な使い方である。
セイバーは余裕と無駄を見極めた上で、無駄を潰していった。
そして得た筋トレの方法などは、短時間の短い回数で、負荷を与えるものである。
現在のコーチ陣もそれを踏襲して、各部の筋力のアップには取り組んでいる。
多くの人が勘違いしているが、瞬発力系の筋肉は、回数を増やしてもあまり意味がない。
ぎりぎりの負荷を少ない回数こなすのだ。
そしてそこからの回復の時間も、しっかりと取らなければいけない。
これを勘違いして行われるのが、猛練習である。
現在などは食事を大量に食わせて、そして負荷をかけて体を大きくするという無茶をしている学校もあるが、体質的にそれが無理な人間もいる。
消化吸収の器官の能力が優れていることは、それだけでも才能の一つではある。
だが一流の野球選手でも、無駄に体を作ってきて、シーズンが進んで体重が落ちてきてからの方が、成績が伸びることがある。
大事なのはバランスなのである。
大介もであるが、悟にしても、腕の太さはそれほどでもない。単純な筋力はそれほどでもないのだ。
体全体を使って、どれだけその力を連動させ、上手くミート出来るか。
ミートが正しければ、少ないパワーでボールを飛ばすことが出来る。
何か、自分の殻を破かなければいけない。
地道に筋トレなどを行うのは、もちろん無駄なことではない。冬の間は試合が出来ないので、肉体改造にはもってこいだからだ。
だが悟は、もう少しだけ長打力か、確実にヒットを打てる技術がほしい。
スイングフォームの変化で、長打力は一気に上がった。
だが三振も少し増えたのは確かだ。
今でも内野の間を抜けていくスイングと、内野の頭を越えていくスイングは区別して使える。
しかし水戸学舎相手には、ミートが足りなかった。
なので内野ゴロになったし、フライは外野の守備範囲内であったのだ。
それでも一本は長打を打てたが。
そんな中、届いたメールが一つ。
野球しようぜ! という珠美からのものであった。
既に年末年始の休みとなっていて、各自にはトレーニングメニューは作られている。
それとは別に、悟はバッティングセンターに行って、最速のボールを軽々と打ち返していたのだが。
野球しようとはどういうことなのか、と返信してみれば、白富東のグラウンドに、直史と大介が来ているのだという。
ジャージに道具だけを持って慌てて向かえば、野球というよりは、野球っぽい何かの遊びが行われていた。
直史が投げて、大介が打つ。
これって何か問題にならなかったっけ? とハテナマークを浮かべる悟である。
呼び出した珠美自身は、冬場の重装備でベンチに座っていた。
「どうよ? 豪勢なバッピがいるでしょう」
「いや豪勢って……白石さん、学生と一緒に練習していいんでしたっけ?」
「連絡してあればね。それにナオ先輩が相手だから、高校の生徒とは別だし」
だがやがて武史のボールを打つことにもなる。
「タケ先輩は野球部員扱いにはならないんでしたっけ?」
「今の規定だと、夏の甲子園が終わったらね。まあ国体の例外はあるんだけど」
この場で禁止されていることは、大介が悟に教えることだけだ。
それでも直接の指導がまずいだけで、こっそりアドバイスなどを受けても、誰かが口外しなければ問題はない。
やがて悟も、打席に立たしてもらえた。
武史はともかく直史の球を打つのは、あの冬のスポ薦後の試験以来だ。
大学野球での活躍は、悟も良く知っている。なにしろ淳は直史の弟であるので。
そして、水戸学舎のエースなど、どうでもよくなるぐらいの、実力の差を知った。
武史のボールも異常さは分かっていたが、この季節にはMAXなどは出してこない。
しかし直史の変化球のコンビネーションは、暖気をしていなくても打てるものではない。
「シンカーかあ」
ツインズもあの敗戦の後には、上手く再現してアンダースローから投げたものである。
それを打つ練習をして、シンカー自体にはもう苦手意識はない。
というか完全に両利きで、どちらの手からもシンカーを投げられるというのがおかしい。
地味に悩んでいる悟にアドバイスをくれたのは、感覚型の大介ではなく、理論型の直史であった。
悟としても、あと一皮剥けたいなどという謎の感覚であったのだが、直史には分かったらしい。
「つまりピッチャーにとって、あと少し厄介なバッターになりたいわけだ」
それと、あとは決定力だ。
「決定力なんて言ってもなあ。それはもうピッチャー次第としか言いようがないからな。俺だって最後の夏は、大介が打てなくて再試合になったわけだし」
そう、バッティングには限界がある。
大介でさえ、最後の夏の決勝は、真田を15回までに打てなかった。
もちろんヒット程度ならば別なのだが、決定打を打てなかったからこそ、0-0のまま引き分け再試合になったのだ。
バッティングなどというものは、それだけ厳しいものである。
だから常に0に抑えることを考え、実行してしまう直史も異常であるのだが。
「打撃で引っ掻き回すのに限界があるなら、塁に出て圧力をかけるしかないと思うけど」
直史もそう思うのだが、秦野もそれは分かっている。
「簡単に言えば守備陣が、お前らが三年の時みたいな守備だったんだよ」
「それは……かなり難しいか」
直史としてもそう考える。ショートが大介でなかったら、そして守備に信頼が置けなかったら、直史の成績はかなり変わっていただろう。
だがそれでも点を取るとしたら、やはり一発を打つか、そう見せかけて塁を進めるぐらいだ。
技巧派、軟投派のピッチャーが恐れるのは、なんだかんだ言ってやはり、スラッガーの一発なのだ。
それに聞いた限りにおいては、水戸学舎のエース程度ならば、もう一度対戦すれば勝てるだろう。
「考えすぎているのが一番悪いんじゃないのかな」
直史はそう言いながらも、再現できる限りの、様々なピッチャーの変化球を投げてみせてくれた。
あまりにも豪勢な練習は、日が暮れるまで続いた。
年が明けると、悟は仲の良くなった部員たちと、神社の参拝などに来る。
同じクラスの上山以外には、大石や宮武などである。
文哲は台湾に帰っているのでいない。山村は宮武が誘ったので来たが、宇垣はいない。
だいたいベンチ入りメンバーと、ベンチ入り候補だけである。
悟があの一日の、直史と大介の揃っていたことについては、上山にだけは話した。
「一応ぎりぎり、野球規則にも違反してないのかな?」
野球部員というのがどこまでを含めるのかは、微妙なところである。
プロである大介と関わってまずいのは悟だけであるが、悟は全く技術的な指導なども受けられなかった。
武史の野球部員としての条件は、国体が終了した時点でなくなっている。
それに大学生とプロ野球選手との交流に関しては、高校生に比べると緩い。
大学のチームとプロの二軍は、それなりに対戦しているのだ。
しかしうらやましいことである。
直史の投げた球を打つ。実際には打てなくても、対戦することが出来る。
そんな経験は滅多に得られるものではない。
しかし二年の孝司や哲平ですらなく、悟だけが呼ばれたことは、やはりバッティングにおいては一目置かれているということなのだろう。
確かに一年はおろか二年を合わせて、さらに引退した三年まで含めても、悟の打撃はアレクと並んで一二を誇る。
お参りを終えた一行は、適当に境内をぶらぶらしながら、今後の話などをする。
冬休みは三日まで。四日からは練習開始である。
正月の間に鈍っていたら、地獄のような練習になるかもしれない。
三月の下旬から行われる春のセンバツは、一月の下旬に正式な出場校が決定する。
だが水戸学舎が神宮大会で優勝したのもあって、まずベスト4に入った白富東が選ばれることは間違いない。
神宮枠を加えて、5.5校の枠が関東にはある。
この0.5というのはおおよそ、神宮大会で東京代表とどちらがいい成績を残したかで決まる場合が多い。
つまり水戸学舎のおかげで、関東の枠は六校になっているのだ。
かつてはこの拡大枠のおかげで、三里高校がセンバツに初出場したものだ。
こうやって野球のないところで集まっていても、話題が野球になるのが野球部員である。
あとは彼女欲しいというぐらいであるか。
悟たちの世代にも、女子マネは入っている。
ただし部内恋愛禁止の決まりがあるので、彼女持ちは少ない。
「しっかし濃密だったよな」
誰かからの口から洩れたのは、入学してからここまでの九ヶ月。
チーム自体が甲子園で優勝したというのも大きいが、個人としてもガンガンと能力が伸びていったのが分かる。
効率のいい練習というのは、これだけ効果があるのかと思うと共に、中学までの練習はなんだったのかという思いである。
「アメリカ基準の練習らしいけど、そりゃ強くなるよな」
「でもこれでも、高校レベルでは日本の方がアメリカより強いらしいからな」
「でもワールドカップは負けたよな」
「あれはピッチャーの枚数不足と、起用の失敗だろ。タケ先輩と真田さんをちゃんと使えてたら、アメリカにも勝ってた」
だいたいこの意見は、日本国内の主流ではある。
ワールドカップ。
今年行われるのはアジア選手権で、悟たちが三年の時に、またワールドカップが行われる。
果たしてそのメンバーに選ばれるのが何人いるか。
このまま成績を伸ばしていけば、一年の夏に、甲子園で三本を放り込んだ悟は確定だろう。
それよりもまずは、センバツであるが。
「水戸学舎、次に当たれば勝てるよな?」
「秋とはチーム力は別格だろ」
「監督もあっちにはあんまり伸び代がないとは言ってたけどな」
だが、神宮大会という全国大会の優勝チームだ。
甘く見ていい相手ではないのは間違いない。
一年の夏、スタメンで甲子園に出場したのは、悟だけであった。
そしてその期待に応えて、ホームランを打ったのだ。
チームとしても、史上初となる四連覇を果たした。
だが、敵は存在する。
プレッシャーだ。
当たり前の話だが、甲子園の連覇が可能なチームは白富東ただ一つ。
チーム力が格段に上がったという帝都一や、弱くなったとは言っても近畿地区当確ラインの大阪光陰など、強豪はやはり強豪である。
その中を勝ち残って、また大優勝旗を手にする。
他の全てのチームが、白富東をマークしてくるだろう。
スポーツ推薦の受験などはあるが、基本的に野球部のグラウンドは、一月と二月は丸々使える。
三月の練習試合期間明けに、どれだけの試合を組むことが出来るか。
そしてその中で、どれだけの成績を残すことが出来るか。
「なんつーか、油断してたらあっという間に三年間終わりそうだよな」
「一回ぐらいは自分たちの力で優勝したいよな、ってすげえ贅沢だけど」
公立の高校が甲子園を制するなど、ほとんど不可能なことなのだ。
しかしその不可能を可能にするための一つが、体育科の設立である。
自分たちはその、記念すべき一年目の生徒なのだ。
負けられない。
そう思って気合の入るあたり、去年までの白富東とは、違う性質を持つチームであるのだが。
正月明けから、練習が始まる。
ただ不安であるのは、野球部の部長を高峰ではなく、教頭が臨時に務めていることである。
高峰が異動するのは四月一日であり、それはセンバツの期間中なので仕方がないのだが、高峰は甲子園に行く中で、野球部の活動を支えてくれていた。
三里の国立が来てくれるというのは、バッティング面に関してはかなり期待度が高まることであるが、それは新年度からである。
業務申し送りのため、高峰がグラウンドから外れることもあるため、どこか心細くもなる。
そして、三年生がもうほとんど学校に来なくなった。
二年生は去年も経験していることだが、この喪失感は一年にとっては大きなものであった。
わずかずつ深まる不安。それを解消するためには練習するしかない。
冬の日々。冬至が過ぎて日は長くなるはずであるが、むしろ寒さは深まる。
怪我だけはしないようにと注意を受けながら、野球部の練習は続いていく。
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