第53話 巡りあい

 三学期が始まった。

 三年生たちは家で勉強するのが難しい者が、実際のテストと同じ時間帯で勉強のために登校してくる者が、けっこういる。

 野球部の場合今年は、野球で進学する者は多くなかった。

 武史が特待生で進学するぐらいで、あとは倉田が野球ではなく、学校推薦で進学する。

 それも当初の予定であった東京の強豪私立ではなく、地元の国公立である。

 野球は辞めるわけではないが、所謂ガチ勢とは違う。


 野球大好きの倉田がその選択をしたのは、もう満たされたからである。

 これ以上はない。それがはっきりと分かった。

 もう満たされて、そして溢れた。

 ここからの自分の野球は、自分のためではなく、誰かを満たすためのものになるだろう。


 そんな倉田の報告を聞いて、それもまた一つの道だな、と秦野は思った。

 野球への関わりは、色々なものがある。

 自分のように監督をするのは、高校野球に魂を囚われたものか。

 ジンのように指導者を若い頃から目指す変わり者もいれば、単に趣味の領域で世界屈指の技術を求める直史のような人間もいる。

 そしてプロへ進む者も、当然ながらいる。


 そんな才能の片鱗を、今日は見ることになる。

 体育科スポーツ推薦試験の実施日。

 秦野の元にセイバーから送られてきた、一枚のレポート。

 これは試験ではなく、単に計測をしてほしいというものだ。

 あまりにも異質な経歴。ただし、その素材は間違いなく超一流。

 正直なところ、この一年は全国制覇には届かないだろうなと思っていた秦野であったが、センバツはともかく夏はこの逸材がいれば。

 

 野球で将来を切り開く気の、全くない才能。

 直史以上に、野球で食べていくことに価値を見出していない。

 それは、単純に自分のやるべきことを、既に知ってしまっているから。

「しっかしこの名前、親は分かってつけたのかな」

 昨今の読めない名前に比べれば、ずっとまともである。

 しかし珍しい名字とあいまって、印象に残るのは間違いない。実際に秦野も一度見て忘れられなくなった。

 佐藤直史のような、絶対に全国に他に何人かいるような名前とは違う。名前の普通さに比べると、本人の業績があまりにも異常だが。


「英語にするならホーリー・ブレーブか。うん、すごい」

 すごいのは名前だけではないらしいのだが。




 佐藤武史は色ボケしている。

 大学生になれば今度こそ、と決意をしているらしいが、果たしてそれが本当に果たされるのか。

 倉田などは「また言ってるよ」とか「本人の目の前で言いなよ」と、温厚な正確には珍しく、辟易としているのだが。


 そんな甲子園優勝バッテリーが、見守る中での実技試験である。

 校庭グラウンドと野球部グラウンドを使って行われる試験のうち、高峰と教頭と一緒に見守るのは、校庭グラウンドの方である。

 50m走と跳躍は、こちらの陸上部施設で行うのだ。

 だいたい夏の体験入部で成績の良かった六人は、こちらの方に振り分けられている。


 ただ、その中に一人、明らかに異質の人間がいる。

 野球のユニフォームを着ていない、運動着の者がいるのだ。

 自分が浮いているのを知ってか知らずか、珍しそうに周囲を見渡している。

 それは自分の浮き具合を気にしているような表情ではない。


 確かに試験を受ける際の服装は、ユニフォームなどの運動をしやすい服装とはなっていたのだが。

 普通はユニフォームであろう。ただ、自分だったらユニフォームじゃないよな、とは武史も思う。

 気にしたのは武史だけではなかったようである。

「君はその、ユニフォームはともかく、スパイクじゃなくて運動靴だけど、それでいいの?」

 本当だ。見ればスパイクではなく、普通の運動靴だ。

 まあこれも、運動のしやすい服装ではあるのだが。

「野球用の用具は持っていないので、入学してから買うことにしています」

 え、こいつスポ薦に何しに来たの? と周囲の視線が言っていた。

 確かにこれはスポーツ推薦であって、野球部推薦ではないのだが。


 やがて50m走で、少年の順番がやってきた。

 ダッシュ直前の腰を落としたもう一人に対して、少年は棒立ちに近いような姿勢である。

「いいのかね?」

「ああ、はい」

 すっと身を沈めたが、短距離を走るような姿勢ではないような気がする。


 笛の音と共に、その体が跳ね上がる。

 最初の一瞬はリードして、そこから追い越されて、またトップスピードに乗る。

 タイム的には平凡やや上という程度であったが、普通の走り方をしていたら、もっと速かっただろう。

 これは野球どころか、一般的な運動の経験もしていないのではないか。

 いや、身体能力からいって、運動自体はしているのだろう。

 現在のスポーツ用に適した、基礎技術が身に着いていないのか。


 武史と倉田は顔を見合わせて、少年の測定試験を追いかけることにする。




 砂場での幅跳びは一位であった。

 着地から体勢を崩しそうになって、そこから体幹でぐんと前に戻すのが、バランス感と共に、筋力の高さを思わせる。

 そして今度は野球部グラウンドの方へと向かう。


 反復横飛びは、平均的な数字であった。

 そもそも動きがぎこちなく、まるで初めておこなったかのようで。

 試験内容は伝えられてるのだから、ある程度の練習はしているはずなのだが。


 そしてそれを見物に来たのは、武史たちだけではなく秦野ものである。

「監督、あれなんなんですか? なんつーか、体の使い方がおかしいって言うか」

「身体能力高いけど、試験じゃ通らないでしょ」

 倉田の言葉に、秦野も苦笑いして頷く。

「あいつは計測自体はするけど、スポ選組じゃないからな」

 ならばなぜ、この場にいるのか。

「一応野球も、ルール程度は知っているだけらしいし」

 それは、本当になぜ、この試験を受けているのか。

「帰国子女枠だ」

 なるほど。


 


 セイバーの送り込んでくる、助っ人外国人。

 まさに中核メンバーとなったアレク以後も、確実に戦力となる人間を送り込んできている。

 しかし野球の素人に近いというのは――。

「そういや俺もそうか」

 中学時代は野球から離れていた武史が、はっと気付く。

 それでも小学生の時は、学童野球をしていたのだが。


 完全に、素材としてだけの価値。

 これに技術と戦術をどう叩きこめるかが、秦野やコーチ陣の手腕の見せ所である。


 そして最後の一つは、遠投力。

 ソフトボールで行われるこれは、当然ながら野球の硬球よりも、距離は出ない。

 だが、さすがにここまではと思われていた、80mラインを軽く超えた。

 目測では90mどころか、100mに到達していても不思議ではない。

 野球の硬球ではなく、ソフトボールなのだ。硬球ならば、100mを投げる者はそれなりにいる。


 肩が強い。

 それも尋常ではない強さだ。

 もしもマウンドから投げたら、どうなるのだろうか。

「ちょっとちょっとちょっと、マウンドから投げてみない?」

 そう声をかけたのは倉田であった




 少年の名前は聖勇気という。

 本名ですか? と尋ね返したくなる名前であるが、本名なのだそうだ。読み方は「ひじりゆうき」である。

「日本全国でも40人ぐらいしかいない姓なんだな」

 スマホで調べていた武史としては、別に自分の佐藤姓にコンプレックスがあるわけではないが。

「ユーキと呼んでください」

 海外在住が長く、日本語は喋れるが、専門用語などは難しいらしい。

 ただ、経歴を読んだ秦野は知っている。

 ものすごく頭がいいのだ。


 運動靴のままマウンドに上がったわけであるが、それを咎める者はいない。

 化け物のようなあの遠投の距離から、それだけの球速が出てくるのか。

 季節が季節なので、そうたいしたスピードは出せないだろう。秦野も無理をさせるつもりはない。


 キャッチャーボックスに入った倉田は、ミットを正面に構える。

 卒業直前にこんな才能に出会ってしまうなど、自分は運がいいのか悪いのか。

 ど真ん中に構えたミットに突き刺さったボールは、異質な球質をしていた。

 ボールをキャッチしたと言うよりは、投擲の槍をずんと突き刺されたような。

 スピードもあるが、それだけではない。


 その球速自体も、アイドリングなしで140kmが出ていた。

 この季節に中学生が出せる数字ではない。

 体格は中肉中背を、少し上回る程度なのだが。

 全身を使って投げるというのとは少し違うが、ミットへの衝撃が凄い。


 変化球は? と聞くとカットボールとツーシームを投げてきた。

 ただカットボールもツーシームも、本当に握りを変えただけの変化量で、基本はストレートしかない。

 緩急差のある変化球があれば、そのまますぐに通用しそうである。

 しかしいったい、どこからこういった人材を見つけてくるのかと、秦野はセイバーの情報網にうなるしかない。


 ピッチャーとしての完成度は低い。

 スピードとコントロールはともかく、変化球や緩急がなければ、さすがに即戦力とは言えない。

 しかし淳の世代が抜けると、悟の世代は一気に投手力が弱くなるのだ。

 秦野はそれをピッチャーの量産でどうにかしようと思っていたのだが、秋までにはそれなりのピッチャーに出来るかもしれない。

 ならば来年の夏までには間に合うかもしれない。

(スパイクを履かずにこのスピードってのは、いったいなんなんだ? 肩が強いのは間違いないんだが)

 ユーキの経歴としては、父親の仕事に従って、アフリカの諸国を巡って生活をしていた期間が長いらしい。

 そしてアメリカに来たところを、セイバーのアンテナが発見したらしいが。


 ただ、経歴としては、日本の高校に入る理由が分からない。

 彼はアメリカの大学を、飛び級で卒業している。

 おそらくセイバーが金とそれ以外で釣ったのだろうが、肉体的なスペックと頭脳的なスペックを考えれば、ツインズ並の人材なのではないだろうか。


 これは壊せないな、と秦野は思った。

 もちろん壊すつもりは最初から他の選手に対してもないのだが、とにかく伸び代がありすぎる。

 どうも本人の経歴的には、野球で食べていく気はさらさらないようではあるのだが。




 クラブハウスに呼んで、秦野は少し詳しい事情を聞いてみた。

 ユーキは子供の頃からアフリカ諸国を巡る事が多く、父親は民俗学と生物学の研究者らしい。

 そんな中でユーキが子供心に思ったのは、アフリカの大地の緑地化と、生育する食用作物の遺伝子改良らしい。

 アメリカではそちらの研究をするために大学までは飛び級で入り、将来的に援助を引き出すために、セイバーの提案に乗ったのだそうだ。

 どういう経歴だ。


 野球との接点はどこかと言うと、最初はアフリカにおいて、父親の知識から野球もどきを始めたのだ。

 バットはその辺の木の棒。まっすぐなのが人気であった。

 植物のつるをまとめて、ボールにする。

 グラブはなく、キャッチは素手。

 ベースはそのまま地面に描いた。


 そんな環境であのスピードが身に着くのか、と疑問に思ったが、それは違うらしい。

 父の調べてみた民俗学は、現在の狩猟民族についても調べており、その中で弓と槍が使われていたらしい。

 狩猟民族のメインウェポンは、当然ながら遠距離から攻撃する弓である。

 しかし投槍の技術もあったのだ。

 これをどこまで遠く飛ばすかというのが、ユーキのピッチングの元になっているそうだ。


 アメリカで初めてちゃんとした野球をして、色々と驚いたという。

 何よりも、こんなに金がかかるスポーツだったのか、ということである。

 それでも今のようなスピードボール自体は、既にその時点で投げられていた。


 投槍の選手がピッチャーになったり、ピッチングの練習の一貫で投槍をしてみるというのは、実は過去に実例がある。

 全身を使って槍を投げるので、ボールにパワーを伝えるのには向いているのだ。

 そしてそれを繰り返すことによって、逆に地肩も強くなる。

 速度を求めるのに肩の力だけを使うのは負担ばかりがかかり、全身を使うからこそ肩も強くなる。

 そうやって生まれたのが、ユーキという世にも稀なピッチャーらしい。


 そういうこともあるのか。

 そういうことがあってもいいのか?

 秦野としてはことの経緯を聞いて、頭がくらくらしてくる。

 なお、この三年間の代償としてセイバーが用意しているのは、アメリカの大学の研究機関のポストと、年間25億円の研究費用らしい。

 それを10年間というのだから、MLBの超一流選手並の金銭を、この少年に与えるわけだ。


 砂漠の緑地化などや食糧問題などは、経済の巨人であるセイバーにとっては、あまり興味がなさそうな部門である。

 しかしそれが、野球を通して結びついてしまったということか。

 頭の中の九割が野球で占められている秦野としては、セイバーの見ている世界は巨大すぎて恐ろしい。

 20年ぐらいしたら、世界征服に乗り出しそうな気さえする。

 まあ彼女からしたら、既に世界は巨大資本に支配されているとでも言うのかもしれないが。




 かくしてスポーツ推薦実技試験は終わった。

 ユーキという異物はあったが、今年は微妙に去年よりも選手層は薄そうだ。

 夏の時点でそうだったので、神宮に進出できなかったからというのは言い訳にならないだろう。

 それでも千葉県においては、ずっと連勝を続けているのである。


 センバツは、おそらく細かい戦術を使った、詰め将棋のような頭脳戦になる。

 采配を執る秦野としては、むしろ望むところになるであろう。


×××


 本日2.5で、ワールドカップ世代の忘年会が行われています。

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