第54話 選出
一月下旬、白富東高校は、春の選抜高等学校野球大会、所謂センバツに選ばれた。
実績からして99%間違いないはずではあったが、何か不祥事が起こったときなどは、それも考慮されるのである。
とりあえずホッと一息してから、いざ追い込みをかける。
しかしまだ一ヶ月は、練習試合も行えない。
雑誌などで特集された戦力分析などで、他の代表校を分析という名の品定めをしたりする。
大阪は当然のように大阪光陰が出場していて、理聖舎も出場していたりする。
本命は帝都一で、神宮でそれに土をつけた水戸学舎は、いまだにダークホース扱いである。
白富東や大阪光陰、明倫館あたりが有力対抗馬であるらしい。
白富東はやはりクリーンナップとエースがほとんど抜け、大阪光陰もほぼ同じことが言え、それに対して明倫館は神宮でもいいところまで行ったからだろう。
水戸学舎はシニア時代のスター選手が一人もいないことが、逆に全員野球扱いされているが。
しかし他に瑞雲も出場しているあたり、シニアと高校の連携というのは、今後さらに甲子園を制覇する上では重要になってくるのかもしれない。
サッカーなどはユースの時代から、その選手の適性を見抜いて、長いスパンで育成する。
ただ野球の場合は、プロに入ってからでもコンバートが普通にあるため、そういうわけにもいかないのだろう。
だが世界レベルで見るならば、プロの技術が若年の頃から知られるのは、悪いことでもないのだと思うが。
「まあ水戸学舎から高卒でプロ入りするやつは一人も出ないだろうな」
秦野としてもそういう分析になる。
「監督、渋江は?」
あれだけシンカーを使って、全国の強打者を切りきり舞させたのだ。負けただけに、勝った相手も評価されないと複雑な気分になる。
「物珍しさで初見殺しをしてるだけだから、うちだって次に当たれば勝てるって言ってただろ?」
秦野の言葉はただの強がりではなく、間違いのない本気である。
次にもう一度当たれば勝てる。
秦野も言ったし、多くの選手が実感している。
「まあたぶん、センバツでは何か新しい武器は用意してるだろうけどな。それでもプロなら、一年以内に攻略する。淳ならともかく、基礎的な能力が低いんだ」
それでも高校野球の一発勝負なら、神宮を制したようにチャンスはある。
「本気でセンバツ狙うなら、むしろ関東大会で負けておいた方が良かったとも思うんだが……最後まで勝っちゃったってことは、何かまだ切り札を残してるってことだ」
言われてみればそうである。
神宮大会での敗北は、白富東は去年も経験している。
しかし本当に大切なのは、甲子園で勝つことだ。
それも夏の甲子園。極端に言ってしまえば他の全ての大会は、センバツでさえそれの付録のようなものである。
最後の夏に勝てば、全てが許されるのだ。
センバツが決定しても、ベンチ入りメンバーはギリギリまで発表されない。
スタメンはおおよそ決まっているが、ベンチ入りメンバーは当落線上の選手が多い。
それに今年は、これまで以上にピッチャーの継投は多いだろう。
センターラインにしても、内野はともかく外野は、大石が確実に守れるとは限らない。
三年生が抜けて一番守備において痛感するのは、センターの守備範囲が狭くなったことだ。
大石も俊足のセンターで、打球からすぐに捕球地点を判断することが上手いのだが、とにかくアレクの守備が規格外すぎた。
ライトはトニー、レフとは駒井と、このあたりはほぼスタメンとしても、入れ替わる可能性はあるだろう。
特にトニーはピッチャーとして使われることも多いし、パワーがあるのでOPSは高くなるが、打率や出塁率はやや頼りない。
外野を守れて確実に出塁出来る人間と、交代で使うことは充分に考えられる。まあ今のところはそんな人間はいないのだが。
内野は二遊間は完全に固定であるし、キャッチャーも孝司が完全な正捕手である。
サードの久留米は、強い打球の多いサードには確かに向いた瞬発力がある。
それに駒井もそうなのだが、二年の秋からようやく使われだしたこの二人は、打席において粘り強い。
久留米などはパワーも確かにあるのだが、追い込まれてからはカットと選球眼で、すぐに出塁に意識を切り替えている。
守備だけならば佐伯の方が上手いのだが、スタメンで打撃に期待されるのは久留米である。
ただ走塁も、少し久留米は落ちるのだが。
秦野としても色々と迷っている。
ただ今年の場合は、高いレベルでの競争があるので、その点では困らない。
しかし突出した選手は少ないので、そこがやはり悩みどころではあるのだが。
(スタメンはともかく、ベンチ入りの競争が激しいな)
自分も捕手出身だっただけに、今では第三のキャッチャーとなっている小枝が気の毒である。
白富東は各学年に一人は使えるキャッチャーを作るために、最後の夏はベンチ入りすら出来ないかもしれない。
気の毒だな、とは感じる。
だが実力以外の年功序列で決められるというのも、やはり気の毒なのだ。
機会は平等に与えられた。ならば結果から出すのが公平であろう。
せめてセンバツ前の練習試合では、使ってやろうとは思う。
「野郎ども~、並べ~」
野球部において女子マネの権力が最大になる日。
それがバレンタインデーである。
元は文歌が始めた、部員全員にチョコ一つずつを与えるという儀式である。
しかしこれが存在することによって、野球部のクセにもててない男は、一個はチョコレートをもらったという勲章を持てるのだ。
「特にベンチ入り~」
大き目のチョコをもらって、涙を浮かべる者もいる。
バレンタインデーはともかくホワイトデーは、珠美の理解の外にある。
そもそも外国のキリスト教圏においては、バレンタインデーは恋人同士が贈り物を送りあうものだからだ。
まあそこは野球部のオカンとして、普通に野郎共に愛情を注いでいる。
そんな珠美に秦野は訊いてみたことがある。
「お前、あれはどうするんだ?」
「あれって?」
「白い奇跡の続き」
「あ~、あれ」
去年の秋に発売された『白い奇跡』はベストセラーになった。
噂によるとドカドカと印税が入って、瑞希はプチパニックになったらしいが、その続編も期待されている。
しかしあれは、白富東のSS世代との同時代性があったから生きたのだ。
現在の白富東に、あれほどのスター選手はいないし、瑞希ほどに細かいことまでを調べる綿密さは珠美にはない。
これは代々のマネージャーが、あるいは研究班が引き継いでいくべきものだろう。
「そうか、上手く当たれば印税暮らしで左団扇だったんだがな」
「お父さん……」
情けないことを言う秦野であるが、お金は大切なのである。
やっている間は基礎ばかりで時間の経過が遅く思われるメニューも、それが終わりに近付くと、まだまだ時間が足りないと思うものである。
中学時代の綽名は筋肉ゴリラであり、当たれば飛ぶけど当たらないと言われ続けた久留米は、別に二年の秋から突然覚醒したわけではない。
元々練習試合の二軍戦などでは、二年の春あたりからは打率と出塁率が良くなってきていたのだ。
スイングの中で、頭の位置を固定すること。
つまり球をしっかりと見るという基本が、出来ていなかった。
それ自体はずっと言われてきたことだが、改善しようとするとフォームがおかしくなるというのが、中学時代の久留米であった。
それが高校に入学すると、一年の時からこの改善のための、チェックがいくつも存在した。
自分の中でも経験値がどんどんと積み上げられていって、ミート力が上がっていくのを感じた。
だが一番大きかったのは、大介の存在だったろう。
大介は全くウエイトをしないというわけではないが、基本的には腕周りの筋肉は鍛えなかった。
重要なのは、足腰。特に大介の場合は腰の回転であった。
久留米に比べると、パワーはないのに30%は速度に優れたスイング。
それだけスイングスピードが違えば、ギリギリまで引き付けてからボールを打てる。
球を良く見るということの意味を、本当の意味で理解したのは、あの光景を見ていたからかもしれない。
それでも自分のスイングを手に入れるのに、一年以上はかかった。
そしてそこまで成長しても、まだいくらでも上がいる。
上だけではなく下からも、久留米が必死で掴んだ以上の技術を持ち、さらにそれに積み上げていく後輩がいた。
体育科などというものの存在によって、久留米は手が届きそうだったゼッケンを手に入れることが出来なかった。
しかし、ようやくそれを手にしたのが二年の秋。
自分でも充分な活躍が出来たと思える五番打者。
だが反面、チームはこれまでになかったほどの、低調な成績に終わった。
もっとも五年前に比べてみれば、それでも信じられないほどの成績なのだが。
県下最強の白富東は、五年前には弱小とは言うほどでもない、普通の公立校だったのだ。
普通と言うには、必要な偏差値が高かったが。
野球部の特待生など一人もおらず、体育科などもないチームが強くなった。
中学時代は無名だった選手が、ドラフトで一位に指名されるほどの活躍をする。
そこでならば自分も花開くのではないかと、勝手な期待をした。
実際にそこでは、今まで自分が無駄に使っていた力を、的確に引き出してくれた。
入学の翌年から体育科が設立され、エリートの後輩たちがいきなりベンチ入りした時は、心が折れそうになったが。
だが、諦めなかった。
積み重ねてきたものは、それが成果となれば評価される。
ネットの裏で、今も必死で素振りを続ける。
久留米と同じような立場なのが駒井だ。
もっとも駒井の方は、久留米ほどの壊滅的な打率ではなかったが。
駒井はヒットも打てて守れるし走れるが、長打が足りなかった。
それにヒットにしても、ゴロで内野を抜けていくか、ぎりぎり内野の頭を越すというもので、クリーンなものがあまりなかった。
久留米とは逆に、パワーが足りていなかったのだ。
今は下位打線を打つことが多いが、逆にその打順に油断した相手から、タイムリーヒットで打点を奪うことが多い。
二人がネット裏で素振りをしていると、そのスイングの違いが面白い。
久留米はとにかく、プルヒッターだ。力任せに引っ張り、カットの技術などは最低限。状況に応じたバッティングはまだまだ選択出来ない。
対して駒井は細い身体を柔らかく使い、難しいコースでも確実にヒットは打とうとするのが分かる。
アプローチの仕方は全く違うが、二人とも点を取りたいという点では同じである。
練習を終えてロッカーなどで着替えても、二人の行動パターンは似ることが多い。
それだけ目的としているところが似ているのかもしれないが。
「なんとかスタメンは確保したいよな」
途中までは帰路が同じなので、並んで歩く二人である。
「そうだな。でも一年も伸びてきてるしな」
「お前は大丈夫だろ。俺はちょっと、守備がな」
久留米は正面の強い球や、すぐ横を抜けていく一歩以内の打球には強いが、二歩以上横を抜けていく打球にはやや弱い。
「大丈夫だろ。水上の守備範囲とか、ちゃんとそれを考えて配置されてるわけだし」
「それでも明らかに、佐伯の方が守備はいいしな。あとは宮武も上手い」
そうやって他人の上手さを認められるから、久留米は大丈夫だと駒井は思うのだが。
どちらにしろ、最後のシーズンは始まった。
センバツまでに入れられる練習試合は限られていて、その結果次第で最終的な背番号が決まる。
「外野ならトニーをピッチャーの控えとして置いておく可能性もあるだろ」
「どうかな。あいつなんだかんだ言ってめちゃくちゃ足も速いし、当たった時の一発は大きいし」
そうは言いながら駒井も、トニーの消耗を考え、そしてピッチャーに回ったときのことを考えると、外野の競争率はまだマシだと考える。
内野に関して言えば、久留米が守れるのはサード以外ならファーストぐらいだ。
しかしファーストに関して言うと、ほぼ一年の宇垣が固定化している。
宇垣はパワーもあるし、久留米よりも足もある。
久留米が心配しているのは、バランスのいい一年にサードのスタメンを取られ、代打要員になることだ。
しかし今年の白富東は、代打を出さなければいけないほどのバッティングが弱い選手は、打線の中にいない。
せいぜいがピッチャーのところに出すぐらいだろうが。
また来年の新入生に、とんでもないピッチャーが入ってくるらしいことは聞いている。
そしたらピッチャーの練習をしていることもある悟や宮武が、完全に内野の守備として回されるのが自然である。
高校野球生活最後の季節を、下級生に奪われてはかなわない。。
もちろん上級生だからといって、それだけでポジションが得られるとも思わない。
だが、諦めかけていたものへ、手が届きそうなのだ。
甲子園に向かい、その中でただ応援するだけでなく、ベンチで声を張り上げるのでもなく、グラウンドでプレイする。
高校球児の最大の願い。全国制覇まで目指す、本当の主力とは違った目標。
あの場所で、ヒットを一本打つ。
正面に飛んできた打球を捕って、一塁に送る。
打って、守って、走りたい。
それぞれは簡単なことであるのに、舞台が甲子園となるだけで、どうしてこれほど難しくなるのか。
「やりすぎるなよ」
「分かってる」
久留米よりも少しだけ冷静な駒井は、怪我をしないことを最重視する、白富東の思想に同調する。
だが、あと一歩のところで、もう少しだけやってしまいたくなるのは、駒井も同じだ。
冬が終わろうとしている。
高校球児にとっては、最後の冬である。
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