第4話 試合開始
高校野球にはある意味、プロ野球よりも難しい部分がある。
それは育てながら勝たないといけないということだ。
そしてまた勝つことが、最大の成長を促すこともある。
育成と試合がはっきり分かれているプロとは、そこが違うのだ。
リトルやシニアは、その点ではまだ育成を重視している。
かつては小学生に変化球を教える底知れない馬鹿もいたが、現在ではシニアでも全く変化球を教えない指導者はいる。
なぜならば、子供の肉体というのは柔らかく吸収するが、柔らかいだけに壊れやすいからだ。
特にピッチャーは同じ動作を何回も繰り返すだけに、体質によったら高校三年間でさえも、試合をせずに練習だけしていてもいい素材だってある。
さすがに経験を積めないので、それは極端すぎるが。
スポーツの点において、日本は結果を求める段階を間違っている。
欧米においては15歳から20歳過ぎまでの間は、あくまでも自然な体の成長を重視して、無理に体を大きくしようとはしない。
必要なのはまず骨格。そしてバランスなのだ。
筋肉を求めるのはそれから先だ。しかしバランスに必要なインナーマッスルへの意識は高かったりする。
それに何より、競技にもよるがアマチュアでは成果は内容であり、勝敗ではない。
逆にプロになればあっさりと実力主義になり、学生時代のスターであってもあっさり切られるが。
今回の歓迎試合は、かなりの制限を設けてある。
上級生組はまず淳、孝司、哲平のつなぐのが上手い三人を除外した。
そして武史にも先発はさせない。何をやっても打てそうにない絶望感は、試合の終盤で味わってもらう。
新入生への制限は、球数制限である。
まだ精密チェックをしていないが、現時点でもとりあえずは、無理だけはさせないのが前提条件だ。
幸いピッチャーは二人、経験者はさらにいるようなので、70球でどこまで抑えられるかを見る。
先攻か後攻かは新入生チームに選ばせたが、これには珍しく全員の意見が合った。
先攻である。
とりあえず上から目線の上級生に先制パンチを入れる。
そこまで好戦的でなくても、格上相手には先制打というのは基本である。
その中でもいい気になっているのが先頭の大石である。
「俺が出塁したら二球待ってよ。その間に三塁まで行っちゃうから、その後に転がしてもらえば一点取れるし」
「出塁出来たらそうします」
文哲はそう返すが、指揮官である三人は、やはり生暖かい目で見るだけである。
この三人がここにいるということは、つまりトニーは向こうにいるわけだ。
時々150kmが出るストレートを、この間まで中坊だった者が打てるのか?
それにホームルームを終えて、脅威の三年生たちがやってくる。
武史たちは三年生になった。
始業式の初日から、長めのホームルームで進路についての話などが出た。
そう、進学校である白富東は、三年になったらほぼ受験の体勢に入る者も多い。
プロになって高卒で働くのはちょっと嫌だが、大学でまで野球をする意味はあるのか。
ここで武史は、大学を介してプロに入るという選択を無意識の内に消していた。
なんとなくであるが、大学でちゃんと勉強をしたなら、社会人として一般的な職業に就くべきだと考えていたのだ。
果てしなく己の才能に無自覚な男である。
邪悪なホームルームから解放され、武史は野球部のグラウンドへと歩く。
学校の敷地から外れて存在するこのグラウンドは、確かに公立としては信じられないほどに恵まれている。
だが公道が存在することによって、交通の便が悪い。
特に武史とアレクにとって。
「なんつーか、キャーキャー騒がれるスター選手って本当にいるもんなんだな」
「何を今更」
元々陽キャのアレクはモテていたのだが、武史もえらく人気が上がったものである。
兄より優れた弟はいねえ! と言われていた過去が懐かしい。
鬼塚がメンチを切りながら進行方向を空けてくれようとしているのだが、マナーの悪いファンの女子は、そんな鬼塚さえ押し流す。
これは違うな、と武史は分かる。
これはモテているのではなく、騒がれているだけだ。
動物園のパンダの赤ちゃんと同レベルの存在である。
いつになったらグラウンドに辿り付けるのか不安になる武史であるが、ふと圧力が消えた。
ただし左手はイリヤに組まれていた。
「大変ね」
「まあそうだな」
だがイリヤが進むと、人の波が割れていく。モーゼか、こいつは。
こういう超常現象もどきのことをするから、魔女などと呼ばれたりするのだ。
センバツからワールドカップ向けの合同合宿で、完全に間を空けていたのにこれである。
そもそも年端もいかぬ少女たちも多いが、こやつらは学校に通っていないのだろうか。
武史としてはそんなどうでもいい心配までするが、今日のイリヤバリアは強力なようだ。
なおイリヤがここにいるということは、仕事のないツインズもここにいるということだ。
「お兄ちゃんも大介君もいないグラウンドか……」
「タケが代わりにいなくなれば良かったのに……」
そもそも三年は夏で高校野球を終わらせたのだが、大介は大学でも野球を続ける他の三年と共に、年末まではかなりこちらに顔を出していた。
直史も合格してからはこちらで体のキレを取り戻していたので、センバツまではぎりぎりまでいたのだ。
それがもういない。
あちらはあちらで面白い……もとい大変なことになっているらしいが、舞台も違うしそうそうには見にいけない。
あの兄のことだから、どうせ春のリーグ戦から登板してくるのだろう。
大学野球は平均値であれば高校野球よりはるかに高いのだが、そのトップレベルはそうそう変わらない。
そのトップを相手に無双していた直史が、通用しないわけがない。
大学野球に大介はいないのだから、直史を打ち崩せるバッターなどいないだろう。
ロッカーで着替えてグラウンドに入れば、相変わらず鈴なりのカメラである。
(これどうにかなんないのかね)
マスコミは煩わしいのだが、応援してくれるご近所さんなどの目もあるため、公立としては地域住民の目を意識しないわけにはいかない。
いわば営業活動であるのだ。
そして淳たち二年と、新入生らしいのが片隅に集まっているのを見た。
秦野はジャージ姿でちょいちょいと手招きしている。
そして集まった三年は、新入生の歓迎試合を開始すると告げられた。
「マンガみたな展開すね。相手になんないでしょ」
武史の忌憚のない意見であるが、秦野は首を振る。
「それがそうでもないみたいなんだよな。少なくとも二人は春のベンチに入れる予定だし」
「ああ、あの試験で全課目トップだったやつですか。もう一人は?」
「あの女が手配したやつだ」
「あの女って……」
武史たちは半年も指導を受けていないが、短期間にセイバーの指導はとてつもない効果を上げた。
もちろんコーチ陣の実際の技術指導が素晴らしいのはあるのだが、それでも運営の根幹の理念が、セイバーは正しかったのだ。
しかしこんな試合をわざわざするなど、意味があるのだろうか。
「本当に選ぶんですか、それとも叩きのめすんですか?」
「両方」
どうせなら一度にしてしまおうという秦野の判断である。
「うちの練習はサボろうと思えばサボれるだろ? だから本当に上手くなりたいと思えるメンタルを持ってないと上手くならないだろ。そして上手くなりたいというのは、勝ちたいと思うからだ」
「ついでに最後まで諦めない、タフなやつも分かると? じゃあ初回から投げればいいですか?」
「いや、お前はラスト三イニングだけな」
センバツ後完全休養してきた他の選手と違って、武史とアレクは合同合宿に参加している。
紅白戦でも投げたそうなので、無理をさせようとは思わない。
さて、それでは上級生も来たことだし、スタメンを考える必要があるだろう。
とは言っても白富東の現在の二三年では、二年から三人も指揮官に抜くと、かなり戦力が落ちる
スタメンと控えの実力差は、相変わらず大きいのだ。
部員数は、研究班を除いても60人ほどいるが、これらは全て学力の壁を越えてきた者たちである。
体育科として集められた今年の一年の方が、潜在能力の平均は高い。
「お~いツインズ、お前ら今日は手伝ってもらっていいのか?」
「審判はやだよ~」
「試合ならいいよ~」
相変わらずこちらもわがままではあるが、より強力な挫折を与えるためには、やはり女子にボロカスに負ける方がいいだろう。
(あとは後半は守備にこいつらを使うとして、ファーストは最近頑張ってる大仏で、サードは攻撃重視で西園寺を使って)
上級生チームのスタメンが完成した。
1 (中) 中村 (三年)
2 (二) 佐藤桜(三年)
3 (遊) 佐藤椿(三年)
4 (右) 鬼塚 (三年)
5 (捕) 倉田 (三年)
6 (一) 大仏 (三年)
7 (左) 佐々木(三年)
8 (三) 西園寺(三年)
9 (投) トニー(二年)
トニーはこのチームの中では、防御率や被安打という点では、第四のピッチャーだ。
だが第四のピッチャーが150km近くを投げるチームなど、全国でもまずないだろう。
それにサウスポーがやたらと多い白富東としては、トニーは貴重な右の本格派なのだ。
かくして歓迎試合という名の虐殺が始まった。
「女使って二遊間って、今から負けた時の言い訳すかね」
また宇垣が一々上から目線で言っているが、淳たちはやはり生暖かい目で見るしかない。
「あの二人は女子高校野球の日本代表だからな。しかも今回は二遊間か……」
孝司としてはいまだに、あの二人には苦手意識がある。
まああの二人に苦手意識のない部員など、それこそアレクのような最初から友好的に接していた者だけなのだが。
軽くアップと守備練習だけをして、試合が開始される。
確かにツインズは緩い球を確実に捕って、確実に送球している。
「山村と上山、肩作ってサイン交換しとけよ」
試合の様子を見るのは哲平に任せて、バッテーを見るのは淳と孝司である。
順当にいくならこの二人は、最後の夏までバッテリーを組む。
ただ二人とも軟式出身ということで、そこが危うい。
ただ山村は軟式を引退してからは、硬式球には慣れるために扱っていたようだ。
軟式の後輩キャッチャーに投げるのは危険なため、一人での投げ込みしかしていなかったようだが。
お山の大将ではあっても、高校野球ですぐに活動できるように、自分なりの準備はしている。
そのあたりがただの身の程知らずとは違った部分だろう。
淳は同じサウスポーであり、シニアではサイドスローであった。
山村はスリークォーター気味の投げ方で、淳と同じく身長に比して手が長い。
(サイドスローにしたいな)
そんな不穏なことを考えながらも、フォームのチェックをする。
球速は130kmは出ているようで、わずかだがナチュラルにスライドしている。
投球指導を受けていれば、普通にストレートを投げられるように修正されるはずなのだが。
「山村、お前その微妙な回転のかかってるストレート、わざとか?」
淳としては確認する必要がある。
「はい。もちろん普通のバックスピンも投げられるんですけど、肘が痛くなるのと被打率が低くなるので、こっちをメインに使ってます」
「アレク先輩と似た感じか」
アレクもスライダー系の回転がかかったボールしか投げられないが、それと一緒にするわけにもいかない。
「夏までにはまともな指導を受けて、レベルの違うピッチャーになれるよ」
「左が多いですからね。誰を蹴落としていいものやら」
武史に淳にトニー、そして最近はほぼ外野専任だがアレク。
他に三年も二年も、ピッチャー経験者はいる。
ただ確かに、五番手くらいには使えそうではある。
孝司は上山と並んで、文哲のボールを捕っていた。
となりの上山を見ているが、確かにこいつはいい捕手だなと思う。おそらく肩の強さは自分と同じぐらいだ。
そして文哲だが、こいつも面白いピッチャーだ。
ストレートの速度は130kmも出ないが、コントロールが抜群にいい。
球種もカットボールにツーシーム、そしてチェンジアップがある。
カーブも投げられるが、こちらはまだ発展途上といったところだ。
イメージとしては技巧派だ。その真の高みを知るがゆえに、些か物足りなくは感じるが。
(うちは右投手が少ない変なチームだからな。上手く嵌れば大きいぞ)
あとはバッティンがどうかである。
左でないので内野としても使えるし、ピッチャー以外の場面でどう使われるのかも大切だ。
秦野によると、野球が上手いだけでなく、ポテンシャルも秘めているそうだが。
「肩はいいか? じゃあ少しスピードを上げていけ」
そう言うと文哲のストレートは、一気に球速が上がった。
真正面からきゅるきゅると空気を切り裂きながら、孝司のミットに収まる。
スピードがあることにも驚いたが、これまで完全に暖機運転をしていたことにも驚いた。
だいたいピッチャーというのはこういう場面で、いい気になってスピードを出そうとするものだが。
おそらく球速は山村よりも上だ。球速だけでなく、それをしっかりとバックスピンにコントロール出来ているのがいい。
孝司も度重なる座学によって、野球をするためにまず体を動かすこと、そしてその体の動かし方を正しく行うことの重要さをちゃんと分かっている。
現在のパワーとスピード偏重の野球は、間違ってはいない。
だが骨格や特質によって、パワーとスピードの付け方の違いは分かっていない。
ある一定の法則はあるが、全ての人間がそれに適しているわけではない。
かなりの数でそれが認められるため、その方法ばかりをする指導者のなんと多いことか。
まあ生まれつき自分の体の操作方法が分かっていて、自然とその動きをしている者のことを、あるいはセンスがいいとでも言うのかもしれないが。
上級生も新入生も、一通りのノックなどをして連繋を確認し、バッテリーのサイン交換も終わった。
一年生が先攻し、対する上級生はトニーが先発のマウンドに登る。
(140km台のストレートなんて、今どきバッセンに行ったらいくらでも……)
そう思いながらバッターボックスに入った大石であるが、この巨大な違和感は何か。
高いマウンドの上に立つのは、どでかい男。
確かにスピードだけならトニーの140km台半ばをマシンで打つことは出来るかもしれないが、2mの大男がオーバーハンドで投げる球を打ったことはないだろう。
角度がつくというだけでなく、力点と作用点、リリースポイントなど、全く違う。
簡単に言えばリーチが10cm長いトニーは、10cm近くから投げられるのだ。
三球三振。
空振りするしかなかった大石は、悪びれもせずに戻ってくる。
「や~、いきなりは打てないわ。おっきすぎる」
まあそうだよな、と悟などは思うのだが、宇垣はあからさまな舌打ちをする。
「どんな感じなんだ? やっぱ角度か?」
「角度よりはタイミングかな。体が大きいからボールを握ってる時間が長く感じる。たぶん初速と終速の差が少ないのかも」
お気楽なようではあるが、ちゃんと分析もしている大石であった。
そしてバッターボックスに入るのは、南から来た男。
実は日本の春の寒さに、まだ慣れていないのであるが。
呉文哲が、小さな構えで打席に立つ。
×××
なお本日より第四部大学編が始まっております。
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