第141話 甲子園よりも
※ 本日は大学編146話を先に読むことをお勧めします
×××
大会八日目の第一試合。
白富東の次の対戦相手は、群馬の前橋実業と決まった。
同じ関東圏のチームであり、過去に何度も公式戦や練習試合で対戦したことはある。
ほとんどの場合は白富東が勝っていたが、このチームになってからの対戦はない。
一回戦と二回戦を見る限り、とりあえずエース主体のチームだなとは分かる。
「スライダーか」
「スライダーですね」
「国立先生、あれ打てる?」
「私なら苦労するでしょうけど、水上君と宇垣君なら打てるかと」
「サウスポーじゃなくて良かった」
白富東の強打者は、かなり左打者である場合が多い。過去を見てもそうである。
そうは言ってもつまるところ、大介とアレク、悟と宇垣、あとは足に自信のある者は、かなり左が多い。
真田が白富東にとって天敵だったのは、そんなサウスポーのスライダーを持っていたからだ。
そのままなら絶対に当たる軌道から、ミットに収まれば外角ぎりぎりというえげつない変化量。それが真田のスライダーであった。
もちろん真田ほどの球速はないし、他にカーブやシンカーを投げてくるということもない。
スライダーとカットボールの二種類、つまり小さいスライダーと大きいスライダーの二つが、前橋実業のエースの武器である。
白富東のスタメンの中では、左打ちでも右投という者がほとんどだ。
左投げ自体がそもそもベンチ入りメンバーで、山村と耕作のピッチャー二人しかいない。
それだけ左投げというのは、ピッチャーをさせられることが多い。
ちなみに山村の場合は日常も左利きなのだが、耕作の場合は日常のことは右を使うことが多い。
農作業の機械などが、右利きの方が使いやすいものが多かったというのがある。
左打者というのは、単純に言って一塁までの距離が短いので、どちらかを選べというなら左打者の方が有利である。
ただ実際のところは、左打者は左投手に弱いというのも、統計的には確かなことだ。
特に変則的な左に弱く、その原因としてはリリースの瞬間が見にくいことにあるらしい。
ならば右打者は右投手に弱いかというと、そもそも右投手というのが世の中のスタンダードであるため、そんなことはないらしい。
そしてこの左打者偏重と言うのか、左打者が多くなるのは、中学から高校、高校から大学と進むにつれ顕著なのだ。
もっともプロになると、それほどの割合ではないのが、不思議な話である。
これぐらいのスライダーを持っていると、右打者は球のリリースが見にくくはなるらしい。
先頭の大石に加え、三番と四番が左打者である白富東には、さほど不利になる要素ではない。
スライダー対策といっても、今の白富東の右ピッチャーにこれだけのスライダーを投げられる者はいない。
文哲の持っている球種にはスライダーがあるが、あくまでもコンビネーションの一つとして投げるものだ。
スライダー自体が武器となり、確実にストライクを奪っていく決め球というものではない。
それにやはり右投手のスライダーは、それほど左打者にとっては脅威ではない。
もちろんキレのある変化球であることは変わらないのだが、自分の懐に入ってくるボールである。
悟や宇垣からしてみれば、ごく当たり前に存在するボールである。
それを確認してから、白富東は一応のスライダー対策はしていく。
その間も大会は進行し、ベスト16までは揃うことになる。
前日の大会十日目からは、準々決勝進出を決める試合が始まる。
そしてこの日の練習に、直史と大介が差し入れにやってきて、偶然だが遭遇することになる。
直史がバッピをしてくれるはずが、なぜかそれに大介が向かって行く。
突然に出現した、大イベントである。
白富東にとってだけではなく、野球界における奇跡の一つとして、直史と大介がなんのスカウトもなく、同じ高校のチームになったということがある。
二人は確かに傑出した選手であったが、同時に高め合う仲間となった。
直史の変化球を打てれば、ほとんどのピッチャーの変化球は恐れるに足りない。
逆に直史も、大介を抑えられるなら、他のバッターにはまず打たれないだろう。
プロ入りした大介がいきなり大活躍するのに対し、直史もチーム内紅白戦の対決や、一年の春のリーグ戦で、突出した活躍を見せた。
大学野球はプロに比べるとまだレベルは低いのだが、プロの試合を見ても直史の毎回ノーヒットノーランのような試合は見られない。
上杉でさえプロの長いシーズンの中では、ある程度抜いて投げる試合があるのだ。
それでもノーヒットノーラン二回と、完全試合を一回しているあたり、上杉も充分に怪物なのだが。
期待していたような勝負にはならなかった。
直史と大介との対決は、あっけなく大介が勝利した。
ただしこの勝敗には、勝った大介も不本意そうな表情をしていたが。
そこで今日も試合がある大介はグラウンドを去り、直史は本格的にバッピとしてスライダーを投げてくる。
悟はそのスライダーを、比較的簡単に打つことが出来る。
そんな悟に対し直史は、一度だけ本気でスライダーを投げてきた。
この速度でここまで曲がるかというスライダーに、空振りをする悟である。
いいバッターを見ると、どうしても空振りか凡打を狙ってしまう、直史のピッチャー的本能である。
もちろん直史は、あの冬の試験日に、投げてみた悟の成長は見てきた。
体格的には大介をやや大きくした感じで、長打も打てるが基本的にはアベレージバッター。
ただ白富東の主砲であることは間違いない。
飛距離は西郷に負けるが、打率では優るだろう。
単純に内野安打があるからだ。
西郷は基本的に、内野安打でセーフになることはない。
さすがに投げに投げて、疲れてきた直史である。
純粋なスタミナでは今も高校時代と変わらないはずだが、暑さの中で投げるのは、高校時代に比べて苦しいなと思う。
日陰で休んでも、おそらく体力は回復しない。
今日は夜の運動もせず、明日の試合観戦に備えようと思う直史である。
そんな直史に、秦野が持ち込む案件が一つ。
「ナオ、こいつちょっと見てやってくれね?」
前回ももちろんいたのだが、その時は相談を受けていない。
左のサイドスローの耕作である。
耕作にとって直史は、天の上の人である。
なんといってもかっこいいのは、おそらく世界で最高レベルのピッチャーであるというのに、プロではないということだ。
耕作も将来は決めているが、直史と違って周囲に惜しまれることはないだろう。
単純に言うと耕作のスペックは、打ちやすくなった淳である。
そんな耕作の相談とは、つまりスライダーだ。
浮き上がるような感覚のスライダーで、はっきり言ってものすごく打ちにくいのだが、コントロールが安定しない。
直史もキャッチャーをしてみると、初めて見る軌道であった。
これは、いわゆる一つの魔球になりうるスライダーだ。
どうしてこんな軌道になるのかは、割と簡単に分かった。
耕作の投げるスライダーは、ライズ回転がかかっているのだ。
上から投げるフォーシームもまた、バックスピンがかかってホップ成分がある。
耕作のスライダーは、スライド回転と共にバックスピンのホップ成分がある。
普通のスライダーはあくまでも、横に移動しながら落ちる。
だが耕作の場合は、ホップ成分と相殺して、落ちないスライダーとなっているわけだ。
ここまでは分析ではっきりしている。
あとはこのスライダーの威力をこのままで、どうやってコントロールをしていくか。
「サイドスローか」
高校時代には初見殺しに、サイドスローも使っていた直史である。
サイドスローから試してみるが、そんなホップ成分はかからない。
手首を柔らかく使う直史であるが、それでも限界があるわけだ。
自分に投げられない球がある。
東京に戻ったらまた練習だなと思いつつも、直史は考える。
だがすぐに思いつくようなものではない。
秦野も分析を依頼したのだが、なにぶん耕作の感覚的なものであるらしく、最先端の機器を使っても、他のピッチャーでは再現できないのだ。
沈まないスライダー。
確かにコントロールがつけばすごいボールになるのかもしれないが、今はまだ決め球として使うには弱い。正確には安定感がない。
ただ安定感がないなりに、使いようはあると思うのだ。
自分の力を使って、試してみる。
上半身の筋肉が、決してそれほど多いとは言えない直史。
だが状態を後ろに引くことによって、全身の力をボールに伝えてスピードを上げる。
トルネード投法でのサイドスローから、スライダーを投げる。
サイドスローと言うよりは、手首から先はアンダースローに近い。
スピードが乗って、変化も大きく、そして沈まないスライダー。
「でもまあ、今後の課題でしょ。まだ一年生なわけだし」
ベンチ入りメンバーの中では、唯一普通科の選手。
直史がいた頃はそもそも、体育科などが存在しなかった。
他の全てが似たようなものの中で、一つ異色のものが混じっていると、チームというのは格段に強くなったりする。
直史も前に練習を見ているので、このチームの弱点は分かっている。
いや、弱点と言うのは正しくないのかもしれないが、戦力の継承がおそらくは上手く行かない。
ピッチャーを除くスタメンが全員三年生で、一年の時には全国制覇を経験し、二年の時には惜しい敗北を経験した。
そんな経験値を持つが故に、この三年生は強い。
だいたい確認していくと、少しレベルが落ちるな、というものが二年生なのだ。
これは秋の大会は、ユーキに相当の負担をかけなければ、センバツに進むのは難しいかもしれない。
当初の予定をすっかりオーバーし、丸々野球部の練習を手伝った直史である。
そんな間にも甲子園の戦況は伝わってきて、三回戦の勝敗が分かってくる。
春のセンバツの王者明倫館が、天凜に負けたのは少し意外だった。
どうやら打線の爆発を止められなかったらしい。
それでも天凜も、打力では評価の高かったチームなのだ。
意外なのは少しだけで、驚くほどのものではない。
他に勝ちあがったのは、南北海道の蝦夷農産と、西東京の早大付属。
早大付属にはまた来年、直史の後輩として大学に入ってくる選手がいるのかもしれない。
あとこれまた意外だったのは、水戸学舎が熊本商工に負けたことだ。
熊本商工は一回戦多く戦っているチームなので、消耗しているはずなのだが。
疲労と引き換えに、経験値を積んだのだろうか。
だが熊本商工も公立の雄だけに、そこまで驚くほどの大番狂わせではない。
秦野は結果を選手たちに伝えたが、そのみち今日の試合に勝った四チームとは、準々決勝では当たらないのだ。
当たるのは明日の四試合を勝ち進んだ中から、三チームの中のどれかだ。
ただ事前情報としては、一回戦が多いチームの方に、強豪がやや偏った感じはする。
そして秦野は、明日の先発を告げた。
前橋実業はこれまたそこそこ左打者が多いということで、山村が先発。
カーブを上手く使えば、かなり優位に試合を進められるだろう。
それに加えて、スライダー攻略。
普通に難しい球だけに、直史に協力してもらったが、確実に打てるとは思えない、
やはり左打者が、試合の趨勢を決めるだろう。
三回戦が終われば、次の準々決勝とは連戦となる。
どのチームと当たるのかは分からないが、左の山村は体力を温存するために、途中で継投することを考えなければいけない。
せめて試合の途中でも、次の相手が分かればいいのだが。
11日目の第一試合ということで、これが分からないのだ。
第二試合の途中で抽選が行われるはずなのだ。
残っているチームを見て、秦野はどこが強いかを考える。
甲子園で三回勝つようなチームは、どこも強いチームではある。
だが特に当たりたくないのは、やはり帝都一と横浜学一か。
それに名徳の可能性もあり、桜島の大噴火も怖い。
自分にとっては、最後になるのかもしれない甲子園。
秦野はこれまで、選手たちはこんな気持ちだったのかな、と考えたりもする。
明日の試合は、おそらく勝てる。
それだけの情報を集め、分析してきた。
直史のスライダーに比べたら、前橋実業のエースはまだしも打ちやすいはずだ。
目の前の試合が一番大事ではあるが、次の試合のことも考えないといけない。
最後の大会ということで、やはり秦野は普段とは、違うプレッシャーを感じている。
選手たちにこのプレッシャーが伝わらないよう、普段どおりを心がけているが。
負けたらそこで終わり。
ぞれはこれまでの三回の夏も同じはずだったのに、このチームを去ることが、寂しくも感じる秦野であった。
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