第26話 俺はただ本気出してみただけ

 野球部ベンチ入りメンバーが甲子園へ向かった。

 もうすっかりお馴染みとなってしまった宿舎の女将さんは、今回も笑顔で迎えてくれる。

 彼女にとっても最後まで負けずに宿を去っていく姿を見るのは、喜びであるのだ。

 そしてここから本番を待ちながら、地元のチームと練習試合をしたり、普通に練習をしたりする。


 もちろんそれを放っておくはずはなく、マスコミは張り付いている。

 恵美理は明日美だけならず、他の友人と一緒にそれを見物に行ったのだが、周囲のファンが多すぎて困る。

 白富東は二年前の夏以降、一度しか敗北していない。

 神宮大会で大阪光陰に1-0で負けた後には、センバツでまた勝利している。

 ただその時はエース真田が投げていなかったので、この夏こそが二人のサウスポーの最大の対決とも煽られている。


 武史はマスコミやある程度の選手などからは、小サトーなどと呼ばれていたりする。

 大スキピオと小スキピオみたいなものなのだろうが、確かに日本で一番多い佐藤であるからには、区別が面倒である。

 しかしその下には淳がいるので、それはどう呼べばいいのだろうかと、どうでもいいことを考えている者もいる。

 ある者はサトーMkⅡなどと呼んでいたりもする。これなら分かりやすい。


 明日美と恵美理も、マスコミの方こそ封じられたもののネット界隈などでは、美少女過ぎるバッテリーなどと言われたリもしていたが、白富東は露出度が違う。

 直史にくらべるとどこか抜けていて親しみやすい武史は、実は女性人気は兄より高いのである。

 直史の特徴としては、年上の女性にはあまりウケが良くない。それは大学に入ってからも顕著で、樋口と違って男性の取材を多く受ける。

 もっとも両者共に、マスコミへの対処は基本的に塩対応である。


 遠くから練習を眺める一行であるが、本当に用事があるのは恵美理だけである。

「恵美理は初心やなあ。決めたらもう、どんどん押していかんとあかんで? どうせ全国中にライバルおるんやし」

「でも、タイミングがあるから……」

 恵美理の言うことも、間違ってはいない。

 だがこの言い訳は、武史も同じようなものである。


 大会前に告白して、甲子園に応援に来てくれと言う。

 甲子園行きを決めてから、応援に来てくれと言う。

 甲子園で優勝したら告白する。

 ハードルはどんどん上がり、時期はどんどん後ろにずれている。

 あだちマンガの主人公でも、ここまで引っ張ったりはしないだろう。




 ラブコメ時空の中で生きている高校球児もいるが、基本的には甲子園は今年もシリアス時空に支配されている。

 地元大阪の人間としては、地元大阪か大阪出身を主力としているチームにそろそろ勝ってほしい。

 幸いと言うべきか、トーナメント表では、大阪光陰と白富東は、ベスト16までは当たらないことが判明している。


 投手の薄いチームの監督は、トーナメントは出来るだけ最初からはっきりしていた方が、投手の運用を計算出来ていい。

 トーナメントの決め方は色々と変遷しているのだが、出来れば最後まで分かっていれば、投手をどこで休ませるか判断出来るからだ。

 白富東は今年は、一回戦からの登場となる。

 一試合でも少なければ、それだけ相手に与える情報も少なくなるし、消耗も少ない。

 もっとも白富東は、ピッチャーの枚数は恵まれたチームではある。


 ベスト16までに当たるチームの中では、勝ち上がってくるなら蝦夷農産と桐野が少し不気味ではある。

 蝦夷農産は去年から続く強力打線で、桐野も得点パターンを多く持っているチームだ。

 幸いなことにはこの二チームには、絶対的なエースが存在しない。

「一回戦は奈良の天凛高校か……」

 戦力評価は総合でBとなっている。

 割と奪三振の多いエースに、固め打ちで大量点を取る打線。

 春のセンバツにも出場していたが、一回戦で大阪光陰に敗退している。


 だいたいの雑誌において、優勝候補は白富東、大阪光陰、帝都一の三校となっている。

 だがその第二集団の中には、明倫館、桜島、蝦夷農産、日奥第三(西東京)、横浜学一、福岡城山などが入っている。これらが総合評価がAだ。

 お互いに勝ち上がったら、二回戦で蝦夷農産とは当たる。

 このチームに対しては、おそらく淳が相性がいい。

 ならば一回戦は武史を使っても、回復までに充分な時間がある。


 二回戦は蝦夷農産と仮定する。

 淳の軟投派と技巧派の合わさったスタイルに、どれぐらいの対応が出来るものか。

 もし淳が合わなくても、武史は充分にそこまでに回復しているはずだ。

 まずは一回戦。

 三年生にとっては、最後の夏が始まった。




 今年もまた、悲喜こもごものドラマが演出される甲子園である。

 大会三日目、白富東と対戦するのは、地元に近い奈良代表の天凛高校。

 どちらも全国制覇の経験があり、特に白富東は前人未踏の四連覇に挑戦している。

 これが達成されるのか、それとも夢と消えるのか。

 ドラマチックになるのは、どちらなのか。


 天凛にとっては、試合前から雰囲気が重い。

 観客は普段なら地元近畿の天凛に、味方をしてくれるはずなのだ。甲子園にはもう30回以上出場している名門のファンは多い。

 だが相手の白富東というチームと、先発の佐藤武史が別格すぎる。


 県大会の決勝で、ノーヒットノーランを達成した。

 その時に一イニングに四三振という珍しい記録も達成している。

 キャッチャー後逸により、三振を取っていながらスリーアウトにならなかったのだ。

 それを別にしても、甲子園常連のトーチバ相手に、軽く20個以上の三振を奪ったのだ。


 天凛も今年は、かなりチーム力はそろえてきたつもりである。

 雑誌にはB評価などとされていたが、チームの打率は高いし、エースはやや波があるものの三振を奪う力は高い。

 ただ、相手がもっと強いだけで。


 甲子園の目の肥えたお客さんは、儚くドラマチックなものも見たいが、人間を超越したものも見たがる。

 上杉の奪三振に興奮した観客が倒れたことなどもあったし、大介のホームランは毎打席期待されていたし、直史の0行進はいつまで続くのか、とにかく恐いもの見たさもあった。

 そんな化け物と同じような相手には、こちらは懸命に立ち向かっていくしかない。

 何が何でもという正統派の姿を見せて、観客を味方につけなければいけない。


 先攻を選んだのは、どうにか先制点を奪い、試合の流れを掴みたかったからだ。

 だが本日の先発の武史は、初回からやる気である。

 二回戦と三回戦のトーナメントを見てみれば、武史の出番は三回戦はあまりない気がする。

 秦野がこの山からの本命と見ている桐野は、足でかき回す野球であり、あまり武史との相性はよくないのだ。

 それでもサウスポーというだけで、走塁を重視した相手には強いはずなのだが。


 県大会の決勝で出た161km。

 あれは意識するなと秦野に言われたし、武史も本当に気にしていない。

 上杉勝也は163kmを出していながら、一度も優勝は出来なかったのだ。

 野球はピッチャーの重要性が高いゲームではあるが、ピッチャーだけで勝てるゲームでもないのだ。




 普通に投げて、150km台の半ばになる。

 これはもう、才能と言うしかないだろう。

 努力をしたところで、日本人はまだ100mで10秒の壁を破れないし、直史はパーフェクトは出来ても160kmは投げられない。


 だがパンチ力があるだけではボクシングの世界チャンピオンにはなれないし、体が重い重量級でも、軽い選手に負けることはある。

 才能と技術。そしてそれを制御すること。

 あるいはその制御力自体も、才能と言えるのかもしれない。

 だが武史は少なくとも、兄以上に練習をしているピッチャーは見たことがない。


 一回の表は三者三振で、観客の期待に応える。

 秦野としても初回の攻防は、完全に抑えて欲しいとは言っていた。

 だがそれとは全く別に、武史は断固たる決意を持っている。

 全国制覇が出来なければ、告白する勇気が持てない。

 そんな不純な動機であっても、かかる馬力が違えば、ちゃんとした力にはなるのだ。


 一回の裏、アレクが初球を打って、また先頭打者ホームランにしてくれた。

 この一点だけを守るつもりで、今日は投げる。

 そして最後まで勝ち続ける。


 二回以降も、武史は本気になっている。

(なんつースロースターターだ)

 それはこの試合ではなく、野球全体にかけた姿勢のことである。

 一年の入学時点で、既に145kmが投げられたという。

 それだけでも驚きなのだが、一年の夏の甲子園で、150kmを突破した。

 球速は順調に上がって行ったが、どこか最後の詰めが甘い部分は見られた。

 それが甲子園に来てからは、明らかに違うと分かる。


 秦野は武史に、プロでは通用しないと言った。あれはあの時の本心であった。

 だがこれが潜在能力のMAXだとしたら、プロでも通用する。

 というかこれまでが、まだ単に本気になっていないだけだったのか。


 序盤の三回までは、それでもまだバットに当たっていた。

 だが肩が温まってくると、そんなことすら珍しくなってくる。




 七回ぐらいまでくると、現実的になってくる。

 完全試合である。

 直史の二度の完全試合は、あくまでも試合の決着が通常のイニングでつかなかったため、二年目はノーヒットノーラン扱い、三年目は参考記録である。

 むしろ15回まで投げてパーフェクトだったからそちらの方がすごいのであるが、あくまでも参考記録になっている。

「お前、パーフェクト狙ってんの?」

 秦野が声をかけたが、武史としてはそういうつもりではない。

 ただ、いいところを見せたいだけである。


 ホームランは野球の華と言うが、ならばピッチャーの見せ所は奪三振であろう。

 打線の方はさらに動いて5-0と点差は開いている。

 ここから少し打たれても、勝敗はおそらく動かない。

 飛ばしすぎのようにも思えるが、倉田もゾーン内で適当に構えているだけなので、球数もそれほど増えていない。

(まあ兄弟で達成とかなったら上杉兄弟以来か)

 思わず遠い目をしてしまう秦野である。来年はこいつがいなくなってしまうのだ。


 九回に到達する。

 天凛の代打は、思い出代打であろう。だが控えであっても、天凛の選手が貧打なわけはない。

 ちゃんとスイングした上で、記録の阻止に全力を尽くす。

 だがそれでも、ツーアウトまではきた。

 ルールのせいで兄が認められなかったパーフェクトを、弟が達成するというのか。

 武史のボールに、代打は正面からスイングする。


 二球目がぽこんと当たり、ピッチャー前に転がった。

 バッターは全力疾走するが、それで間に合うタイミングではない。

 武史はそのバッターの姿をちらりと見てからボールを掴もうとして、滑った。

「「「あーっ!!!」」」

 解説者も応援団も視聴者も敵チームも、おそらく全力で一塁を目指すバッター以外が、同じ反応をした。

 慌てて掴みなおそうとして、ボールを足で蹴ってしまう。そのボールは倉田の正面にまで転がっていく。

 倉田がちゃんと掴みなおした時には、ヘッドスライディングをバッターは決めていた。


 ピッチャーのエラー。

 最後の最後で、期待を裏切らない男である。


 慌てて秦野は伝令を出すが、武史はグラブで顔を覆っていた。

 ショックとかそういうものではなく、ただただ恥ずかしい。

 自業自得なのが、いっそうひどい。

 一塁上でランナーは、ガッツポーズも出来ないでいた。


「監督は大丈夫かって心配してますけど」

 伝令佐伯の言葉に、武史は頷く。

「大丈夫。恥ずかしいだけで、別に切れてないから」

 武史としては、よりにもよってという思いはある。

 去年の夏、ノーノーの可能性はまだあったにもかかわらず、自分をマウンドから降ろした兄は正しかった。


 ここから大逆転の展開などはない。

 だが武史としても、こんなチャンスはそうそうないだろうということは分かる。

 しょぼんとしながらも、倉田のサインに従ってピッチングを再開する、

 最後のバッターにはチェンジアップでピッチャーゴロを打たせて、今度こそファーストでアウトにした。


 ノーヒットノーラン達成。

 だがこれは後々まで伝えられる、惜しかったパーフェクト未遂として、ずっと高校野球の歴史に残っていくのである。

 ボールから目を切っただろ、と秦野に適格に見抜かれて、何も言い訳の出来ない武史であった。

 ともあれ、一回戦は突破した。


×××


 おそらく今年のあの瞬間、とかいうネタで散々に使われるであろうwww

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