四年目・盛夏 収穫の季節
第25話 甲子園への招待状
上杉勝也は高校時代、四度甲子園の決勝に進んだが、ついに優勝することは出来なかった。
それと似たようなことが、女子野球界でも起こっていた。
夏の選手権大会、権藤明日美率いる聖ミカエル学園は、二年連続で準優勝。
ほとんど明日美のワンマンチームではあったが、この三年生の最後の選手権大会、ようやく彼女だけに頼っていたチームが、一年の新戦力を迎えて、優勝を果たした。
マウンドの上で抱き合って喜ぶバッテリーは、尊かった。
武史は直史の部屋に泊まりながら、連日その試合を観戦しに行った。
当然ながら鈍らせるわけにはいかないので、直史だけならず樋口まで巻き込んで、ある程度の練習はしていたが。
全ての試合はさすがに無理であったが、大学の試験期間が終わった後の決勝には、コーチをした星と西も連れて行った。樋口は大学の野球部に珍しく普通に参加している。
女子野球とは言え、全国制覇の瞬間を見ていた星は、少し涙ぐんでいた。
……そう言えば星と西は直史と違い、全国制覇の経験がない。
女子野球というまだまだマイナーな題材であったが、聖ミカエルはかなり有名である。
昨年の世界交流戦でも主力となった明日美と恵美理に加え、お嬢様が多かったため。
ビジュアル映えするため、割と多くのマスコミがくっついていた。
なおマナーの悪いマスコミは、去年の段階で排除されている。
聖ミカエルのお嬢様の父兄を甘く見てはいけない。
一通りインタビューも終えて、マスコミから解放される乙女たち。
応援してくれた学校の友人や関係者に挨拶をして回っているのだが、あえてそこに突っ込む勇気が湧いてこないヘタレがいる。
だがあちらがこちらを見つけてくれるのが、運命というものなのだろうか。
「あ、コーチ!」
明日美が声を上げて、満面の笑顔で駆け寄ってくる。
こういう妹も欲しかったな、と思う直史であるが、おそらく淳ではこの子は手に負えないだろう。
明日美は恵美理の手を引いてやってきて、他にも何人かが近寄ってくる。
お嬢様集団に気圧される童貞共と違い、直史は踏みとどまる。
経験値が違うのだよ、経験値が。
「コーチ、ほんまにありがとうございました!」
そう言いながらバンバンと星の両肩を叩く少女に、基本的に人見知りする星はまだ慣れていない。
一方の西の方へは、長身の少女が訪れる。練習の時には散々に気の強いところを見せていたものである。
身構える西に対して、その長身の体を折って、深々とお辞儀をする。
「おかげで、スミを日本一にすることが出来ました」
スミというのは明日美のことだと思うのだが、なるほどそこまで親しいのか。
「ありがとうございました」
そう言った少女の目から一筋の涙が流れて、西は慌ててしまうのだが、こいつはハンカチの一つも持っていなかった。
おそらくこのギャップ萌えで、西はやられたのだろう。
さて、武史も覚悟を決めなければいけない。
だがこのヘタレは、まだ引き伸ばす気であった。
「甲子園、応援に来てもらえるのかな」
常識的に考えれば、三年生たちは受験なども多いだろう。
聖ミカエルは上に大学もあるが、外部受験する者もいるはずだ。
「もちろん」
そう言って微笑む恵美理であるが、少し距離を置いている。
「ええとそれじゃあ」
武史が一歩近付くと、一歩後退する。
気まずい空気の中、星の首に手を回して密着していた少女が声をかける。
「あかんやん。汗臭い乙女に近寄ったら嫌われるで」
そう言いつつ自分は星と接触しているのだが。
女の子の甘い汗の匂いに、星がクラクラしているのは本当である。
「甲子園ええなあ。他にも行きたいのおる? うちのホテルで部屋用意するで」
少女の父は関西を中心にホテルを経営している。
チームメイトの中から手が上がる。
「あたしも! 受験は甲子園終わってから頑張る!」
明日美もまた、積極的に手を上げた。
「明日美さん、受験は大丈夫なの?」
外部受験をすると知っている恵美理は心配するが、どうせこの後もまた女子野球の国際交流戦はあるのだ。
「大丈夫。頑張る」
そう言う明日美の方こそ、恵美理のことは心配している。
恵美理もまた外部受験をするのだ。
それもまた、ちょっと変わった方向へと。
東大を目指している明日美には、さすがに一緒には行けない恵美理である。
だが明日美が恵美理の進路に合わせることも無理である。
しかし明日美ラブの恵美理としては、もし明日美が東大に合格したら、恵美理の実家に下宿しないかと持ちかける予定でもある。
国立大学の学費は比較的安いと言っても、明日美の家からでは通学が大変なので。
明日美の両親は心配性なので、おそらく恐縮しながらも提案を受諾するであろう。
恵美理はおかしな意味ではなく、明日美のことは本当に大好きなのだ。
もっとも彼女のことを嫌う人間など、ほとんどいないのだが。
結局聖ミカエルの少女たちを、甲子園に招待することには成功した武史である。
「でもお前、応援席の確保はちゃんと先生に通しておけよ?」
武史に注意しておく直史である。
この兄は武史の反応の仕方から、だいたい誰が好きなのかは分かっている。
個人的にはイリヤのことを応援しなくもないのだが、イリヤは良くも悪くも影響が強すぎる。
高校生という縛りがあるからこそ、今のイリヤは活動を控えているが、それももうなくなる。
イリヤは危険だと、直史は分かる。
ツインズは懐きながらも、どこか畏れている。
しかし武史だけは、そんな感覚を持たないらしい。
個人的に直史は、イリヤが親戚になったら大変だろうなという程度のことは思っている。
だがどこかイリヤには儚げな、守ってやる誰かが必要なのでは、と思う雰囲気があるとも感じるのだ。
もちろんそれは自分の役割ではない。
ただもしもイリヤが武史とくっつくのであれば、当然惣領息子としては、守る対象になる。
イリヤはこの先どうするのか。
後輩たちの中では、野球関連でもなくどことなく気になるのは、イリヤのことだけである。
聖ミカエルの少女たちは、甲子園での応援を約束して去って行った。
西東京の田舎で、彼女たちが過ごす時間ももう短いだろう。
もしも彼女たちが来年東京にいるのなら、今度は神宮へも来てほしいものだ。
直史の感じる限りでは、神宮の熱狂は甲子園ほど猥雑ではないが、大学らしい洗練されたものを感じる。
学校に戻った武史は、当然かもしれないが色々と怒られた。
ちょっと東京行ってくる、でエースが姿を消したのだから当然である。
しかし直史が練習に協力することで、その叱責はある程度短いものとなった。
無責任な人だなあと思いつつも、ピッチャーはあれぐらい自由でないといけないのかと、間違った印象を抱くのは悟である。
そんな悟は、直史の左の大きなカーブを打っていたりする。
左のカーブと言えば細田であるのだが、あのカーブが頭にあった上で、大介は真田に苦戦した。
センバツでは真田は投げられなかったので勝てたが、去年の神宮では敗北している。
大阪光陰なら緒方も問題であるが、他にもこの夏に伸びてきたチームで、強いところはあるだろう。
全国の都道府県の代表が決まったが、秦野が注意しているのは、やはり帝都一と大阪光陰。
それに次いでは明倫館である。
前の対戦では、投手のある意味イップスに似た状況で、勝つことは出来た。
しかしこの夏は他にも投手を使っているし、完封している試合も多い。
あとは去年の石垣工業の金原のように、無名の選手がいきなり出てくるということもありえなくはない。
そんな中で悟は、クラブハウスで机に向かってノートを広げる珠美の姿を認める。
白富東のスコアは全て電子でまとめてあるので、少し不思議な姿ではある。
「珠美先輩、何してんですか?」
監督の娘である珠美は、ほぼ名前の方で呼ばれる。
三年生の中にはタマちゃんと呼んでいる者もいるが。
「こないだ瑞希さんが来たから、ここ最近の白富東の動向のまとめ」
何か記録を取る場合には、それが単純に数字などではない場合、紙を使った方がいい場合がある。
なぜならパソコンなどでは、過去の記述を消してしまうことがあるからだ。
後からどうだったかを比較するためには、紙に書いた記録の方が間違いなく適している。
「最近はどんな感じなんですか?」
「喜びなさい。あんたも準主役レベルの活躍してるから」
確かにこの夏の大会、悟の残した打撃成績はアレクの次、ほとんど鬼塚と並んでいる。
ほうほうと肩越しにそれを見ようとする悟だが、珠美にぐいと押しのけられる。
「近い」
「ちょっと見せてくださいよ」
「じゃあちょっと見てなさい。あたしはちょっと休憩するから」
悟が読む限り、確かに春からは悟に関する記述が多い。
個人的な感想でもあるのか、すごい一年が入ってきた!などという記述もある。
思わずによによしてしまう悟であるが、クラブハウスに入ってきたのは宇垣であった。
「おい、打撃の時間だぞ」
「お、そっか。サンキュ」
最近の宇垣は相変わらず口は悪いが、それでも少し落ち着いた気はする。
不満は全てグラウンドの中で発散するというつもりなのか。
こうやって呼びに来てくれることもある。
室内の方に移動する二人であるが、宇垣が話しかけてくる。
「お前、珠美先輩と仲いいよな」
「あの人は誰とでも仲いいだろ」
「でもお前は特別扱いだ」
「そうかな」
悟としては、珠美はそんなに誰かを特別扱いしているとは思わない。
ただ悟に対しては、試合の場面で打席の中でどう思っていたのかなどを、尋ねることは多い。
だがそれは記録のためである。
「明らかにお前は特別扱いだ」
しつこく言ってくる宇垣の表情は、不機嫌そうであるのは間違いないだろう。
悟はそれほど鈍いタイプではないので、ひょっとしてそうなのかと思わないでもない。
(こいつ、珠美先輩のことが好きなのか?)
まあ珠美は面倒見が良くて、オカンタイプではあるが明るい少女である。好意を持つ人間がいてもおかしくはない。
なお告白されたときに、野球部でレギュラーが取れたら考えなくもない、と言って撃退したのは有名な話だ。
野球部は部員とマネージャーの間での恋愛は禁止されているのだ。
もっとも去年なども、こっそり付き合っていた者たちはいたらしいが。
年上であるが珠美が可愛いことは、悟も普通に認める。
ただ監督の娘であるし、今は甲子園が最大の目標だ。
正直な話、全国制覇までしてしまってもおかしくない戦力だと思う。
(こいつもこんなんで、可愛いところあるじゃねえか)
にんまりと笑う悟の顔は、先を進む宇垣には見えなかった。
甲子園のベンチ入りメンバーは、地方大会よりも少ない18人。
削られた一年生二人には気の毒であったが、三年としてはほっと胸を撫で下ろす。
これが最後の甲子園なのだ。
まあ大介のようにプロに行ってしまえば別であるが。
珠美は選ばれた18人の話を聞いていくわけだが、選ばれなかった二人にも話を聞かざるをえない。
良いことばかりを書くのが正しいわけではないし、こういった時の部員のメンタルのチェックも、マネージャーの仕事だ。
ベンチ入りした三年の中でも、大きく二つに分かれているのが分かる。
ベンチ入りするのは分かっていて、いよいよ最後の夏に挑もうとするスタメン組。
それと違うのは、ベンチ入り出来て安心している、思い出組とでも言おうか。
ただ、三年間というか二年と四ヶ月、グラウンドで流した汗の量はさほど変わらない。
洩れてしまった一年のうち、代走要員であった長谷は、残念ではあるが仕方がないとはっきりと口にもしていた。
普通の足ならともかく、スライディングの技術や万一の外野守備では、同じ足枠でも大石の方が上だと分かっていたからである。
もう一人の宮武は、かなり悔しそうであった。
実際に珠美の目から見ても、他の一年と比べれば、ほとんど差はないと思ったからだ。
ならばどうやって選んだのかと父に聞いてみたが、秦野からはポジションの兼ね合いとしか答えはなかった。
宮武の正ポジションであるショートには悟がいて、何かあった時の内野要員では、守備に特化した二年の佐伯がいるのだから。
打撃だけなら宇垣の方が上であるし、一応投手の予備ではあるが、五番手六番手でもあった。
来年、いや秋こそは。
そう誓う宮武は、吹っ切ってベンチ入りメンバーの練習のサポートに回るのであった。
×××
四年目の夏 甲子園ベンチ入りメンバー
1 佐藤武(三年)
2 倉田 (三年)
3 赤尾 (二年)
4 青木 (二年)
5 曽田 (三年)
6 水上 (一年)
7 鬼塚 (三年)
8 中村 (三年)
9 トニー(二年)
10佐藤淳(二年)
11佐伯 (二年)
12上山 (一年)
13大仏 (三年)
14佐々木(三年)
15西園寺(三年)
16大石 (一年)
17宇垣 (一年)
18呉 (一年)
スコアラーというか記録要員は研究班から選出。
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