第13話 弱者の勝ち方

 この世で野球ほど、博打的に勝敗の決まるスポーツは珍しいのではないかと思う秦野である。

 それは彼がブラジルというサッカー大国で長い時間を過ごしたのと、無関係ではないだろう。


 おおかたの球技においては、得点機会を作ることと、得点の間には違いがある。

 秦野はブラジルで、野球について教えていたが、他の競技についても学んでいた。

 特に多かったのは、アメリカでも盛んな他の三大メジャーである。


 アメフト、バスケ、アイスホッケー。

 これらの競技についての特徴は、攻撃と守備が一瞬で入れ替わり、陣取り戦の要素があるということだ、

 世界的にメジャーなサッカーもそうであるし、団体競技についてはこの傾向が強い。

 点数を積み重ねていく、テニスや卓球とはジャンルが違う。

 ゴルフもかなり他のスポーツとは差異があり、それが逆にゴルフに競技者を集める理由になるのか。スコアを重ねるという点では、一人でも出来なくはないスポーツである。


 これらと野球は何が違うのか。

 野球ほど明確に攻撃と守備が分かれているスポーツは少ない。

 得点機会は攻撃側にしかなく、そして得点機会はある程度公平に訪れる。

 これがサッカーであると、相手にドリブルは止められ、パスのコースは切られ、そしてボールを奪われて、まともにシュートにも持っていけない。

 競技の本質を考えることによって、その競技で勝つにはどうすればいいかを考える。


 その結果、野球において重要な要素は二つだと分かった。

 三振が奪えるピッチャーがいることと、ホームランが打てるバッターがいることだ。

 極端な話、ピッチャーが全部三振を奪って、バッターがホームラン一本を打てば勝てる。

 戯言にしか聞こえないが、二年前の夏の甲子園準決勝は、かなりこの原則に近かった。


 一見するとこれは、弱者の言うところのスモールベースボールと正反対に思える。

 打たせても堅実な守備で得点を許さず、わずかなチャンスにランナーを進めて一点を取る。

 それとは全く別に思えるのだが、実は共通点がある。

 即ち点を取られないということと、点を取るということ。

 全員奪三振とホームランでも、同じことが言える。


 この原則をどう実現するかが、野球の本質だ。

 取りたい時に、確実にアウトが取れる。しかも三振で。

 フライであればタッチアップになるかもしれないし、ゴロでランナーがホームに突っ込んでくるかもしれない。

 そしてそれまで無安打に抑えられていても、ホームランで一点が取れれば、相手に何本ヒットを打たれていても、無失点な限りは勝てる。


 打たせて取るタイプだと思われがちな直史は、実際は奪三振率もかなり高い。

 大介はホームランを狙って打てるが、あえて普段は抑えている場合もある。

 そんな究極の要素が集まっていた白富東だが、今年もその原則には忠実である。

 武史は取りたい時にギアを上げて三振を取りに行くし、ホームランも打てて一番打率の高いアレクが一番にいる。

 もっとも武史は狙ってもパーフェクトなど達成できないし、アレクの長打力も大介には遠く及ばない。

 それでも今は勝てる。




 鹿沼工業の一番打者は、キャッチャーである。

 昔ながらのキャッチャーといった感じで、足はあまり速くない。

 かといって長打が打てるというわけでもなく、なぜ彼が一番打者を打っているのか、対戦相手からすれば不思議なのである。

「出塁率だな」

 秦野は一言で説明する。


 鹿沼工業の得点は、初回で取ることがかなり多い。

 そしてそのまま決勝点になったりする。

 スミイチで勝つ野球というと三里の十八番のようであるが、鹿沼も考えとしては似ている。

 ピッチャーの運用が上手いのだ。

 思えば大阪光陰も、今は真田という絶対のエースがいるが、かつては福島と加藤を継投させて、確実に勝ってきた。

 現代の強いチームには、計算出来る二番手ピッチャーが必要なのかもしれない。


 もしもSS世代の白富東が負けることがあるとしたら、それはおそらく直史が連投せざるをえない状況になった時だったろう。

 同学年に岩崎がいたからこそ、そのリソースを最も強い相手に向けることが出来た。

 一人のエースに頼る時代は、高校野球でさえ終わったと言えよう。

 シニアはそれ以前から、球数制限が存在した。

 考えてみればまだ若い高校生の肉体で連戦連投というのは、壊れても当たり前のことなのだ。

 上杉や直史のように、引き分け再試合でも投げてしまう者もいるが。


 秦野はこの試合において、一つだけ普段の自分ルールを破った。

 じゃんけんに勝ったのに、後攻を選ばせたのである。


 普段のセオリーを破ったのは、単純に勘である。

 鹿沼工業は初回に失点することが少なく、初回に得点することが多い。

 明らかに格下の相手に、一回の表で得点出来ないことを、違和感に思ってほしくない。

 だが逆に、相手のペースである初回に、失点もしてほしくない。


 継投で勝つ。

 相手の土俵に入った上で勝つ。

 勢いや流れを掴みにくい状態で勝つのは、武史に余計なことを考えさえないためである。




 鹿沼工業の初回の攻撃は、三者三振に倒れた。

 表示された球速は153kmであり、そのピッチャーの最高速に比べれば、まだまだ全開ではないはずだ。

 戦力の絶対値が違いすぎる。

 地方大会では強豪校を破って勝ち進んできたが、甲子園常連と言えるほどのチームには当たっていない。


 150km以上のストレートというのも、機械でしか体験したことがない。

 人間の投げるストレートは、必ずどこかくせがある。

 そして武史のストレートは、球速以上の球威を感じさせるものだ。


 何か違う。

 強豪相手にもどこかにウィークポイントを探し、それを突いて勝ってきた鹿沼工業である。

 しかし白富東は本当に、弱点らしい弱点がないのだ。

 あるとしたら強者の驕りぐらいであるかと思ったが、エースがいきなり投げてきた。


 白富東であれば、当然ながらここも優勝を狙ってくると考えていた。

 ならば実績のない鹿沼相手には、二番手三番手のピッチャーが出てきてもおかしくはない。

 そう考えていたのにエース投入である。

 格上相手に勝つために必要な先制点を、初回の攻撃では取れなかった。


 そして相手の打線は、四割を超える超強力打線。

 特に先頭打者の中村アレックスは、甲子園でも五割を打っている。

 鹿沼工業はこの強力打線相手に、まずは荒れ球ピッチャーを先発させた。

 ゾーン内を適度に散らすタイプであり、ストレートの質も一定ではない。

 基本は野手投げであり、変化球も曲がったり曲がらなかったり。

 ただこういう、データを集めてもあまり意味がなさそうなピッチャーを、強豪は打ちあねぐかと思ったのだ。




 アレクのバッターの本能としては、来た球を打つだけである。

 初球から甘く入ってきた球が、わずかに手元でぶれたが、それを片手になりながら弾き返す。

 ファーストの頭を越えて、フェアグラウンドからファールグラウンドに転がるボールは、セカンドが比較的早く追いついたため、二塁は狙えなかった。

 しかしとりあえず、荒れ球ピッチャーから先頭打者を出した。


 あまりデータの意味がないと言っても、それは見る側のレベルによる。

 秦野はこのピッチャーの明らかな弱点を突く予定である。

 それは――。

「走った!」

 クイックが下手であり、外さないと真ん中辺りにボールが集まってしまうということ。

 キャッチャーも下手ではないが、スローの動作や肩の強さはあまり良くもない。


 走塁はセンスだと言われることもあるが、アレクの場合はとにかく歩かされることが多い。それに一回で先頭打者として、前に誰もいないのに塁に出ることも多い。

 ならば塁に出れば走ると分かっていれば、そうそうピッチャーが逃げることも出来ない。

 そういう経験を積めば、さほどピッチャーとしてのフォームが固まっていない相手からは、平気で走ることが出来る。

 キャッチャーが送球数するまでもなく、二塁は楽々セーフである。

 しかもこれで外に外させたので、カウントも打者有利になる。


 二塁に行っても、アレクのリードは大きい。

 牽制を入れさせるが、簡単に足からベースに戻る。

(工夫するのはいいんだけど、割り切らないと勝てないんだよな)

 秦野が相手の戦力であれば、武史相手には、まずバントで揺さぶってみただろうし、アレクが三塁まで進むことは覚悟する。

 それよりも完全に無視して、バッティングカウントを投手有利にしたことだろう。


 そうは言っても、これも秦野が白富東を把握しているから言えることだ。

 消極的な戦法は、チームの士気を落とすということも確かではある。

(走る姿勢だけでも、ピッチャーは投げにくくなるもんだしな。キャッチャーとしてもアレクの実際の姿を見れば、そうそう簡単なことは言えないだろ)

 そして荒れ球がある程度まとまってきてしまえば、哲平ならば普通に打てる。


 甘めのコースを引っ張って、ライトのライン際に落ちる。

 アレクはコーチャーを見るが、ストップがかかる。

 行けるのではないかと思っていたが、ライトからの送球は一直線にホームへ到達した。

(こんだけピッチャー増やしてるなら、あいつもピッチャーやらしといた方がいいんじゃねえの?)

 秦野はどう思ったりもしたが、これでノーアウトランナー一三塁である。




 才能か努力か、どちらが大切なのか。

 それは競技の内容によって変わるが、ルールが複雑であればあるほど、戦術の工夫の余地が大きければ大きいほど、才能に努力で対抗する余地は増えてくる。

 あと才能というのは、具体的にどういったものなのか。

 佐藤家の四兄妹は、どいつもこいつも才能の塊のようであるが、直史の身体的な能力は、他の三人に比べると、決して絶対的に高くはない。

 もちろん低くはないが、体の使い方を効率的にしていった上で、後天的に身につけた部分も多い。


 球速は才能と言われるかもしれないが、直史は少しずつそれを上げていって、充分以上に速球派と言える140km以上を投げるようになった。

 世間的には武史の方が派手に見えるが、記録と数字を残すのは直史である。

(才能を相手に、努力や工夫、戦術とかで勝とうと考えてたのかもな)

 あちらのベンチを見ながら、秦野は特に何も指示はしない。


 はっきり言ってしまうと、それこそ工夫などは白富東がやっていることだ。

 適度なトレーニング。これまでの野球指導では鍛えられていなかった部分。単純に練習時間を私立強豪と比較してみれば、工夫しなければ身につかないだろう。

 それらが無駄だとは言わないが、白富東は海外や国内の研究機関の分析を元に、ほとんどそういったことはしているのである。

 私立が垂れ流しにしている資金と、無駄に消費している人材を、適切に育成に使っている。

 言ってみれば公立が強くなっても、それは白富東の後追いなのである。




 三回までをパーフェクトに抑えた後、文哲にマウンドを経験させる。

 台湾では緻密な野球をしてきた文哲に、相手のやってくる緻密な野球が相性がいい。

 選ばれて四球でランナーは出したが、ヒットは一本も打たれない。

 一年生のピッチャーに安定感があるのはいいことだ。

 早い学年からベンチに入り、こうやって経験を積ませていく。

 どれだけ画期的な練習をしても、これだけは実戦をしないと経験値にならない。


 12-0という点差で、五回の表の相手の攻撃も、ツーアウトでランナーが一塁。

 ここからの逆転は無理だろうが、相手がどこまで諦めないことを貫けるか。

 だが文哲のようなタイプのピッチャーから、一気に大量点を奪うのは難しい。


 それでも充分に強い相手だったな、というのが秦野の感想である。

 12点は確かに充分な点数であるが、確実に取れるところでアウトを取っていった。

 武史相手には三振ばかりであったが、文哲に代わってからは変に大振りもせず、塁に出ることを優先していた。

 そしてランナー一塁のこの点差から、ヒットエンドランを仕掛けてきた。


 ピッチャーの頭の上を抜ける打球。一塁ランナーは当然ながら三塁を目指す。

 しかしセンターのアレクは捕球したあと、一直線にサードへと送球する。

 ストライク送球で、ランナーにタッチ。

 審判がアウトのコールをして、試合は終わった。


 強いチームだったな、と秦野は皮肉ではなく思う。

 最後まで試合を諦めず、選択は攻撃的だった。

 ピッチャーの継投もすっぱりしていた。問題はその能力の絶対値が、まだまだ足らなかったことだ。

 県の強豪レベルならともかく、全国制覇を現実的に目指すチーム相手には、まだ足りないものが多かったのだ。


 白富東に勝てるような実力をつける、画期的な練習やトレーニングが生み出せるだろうか。

 もしそれが可能になるなら、今度はこちらがそれを逆輸入だ。

 悔しさを隠さない鹿沼工業の選手たちを見て、秦野もチーム作りをずっと考えていく。

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