第31話 一番楽しい準々決勝

 甲子園が一番楽しいのは準々決勝であると言われている。

 これには明確な理由がある。

 ここまでの試合で、たまたま勢いだけで甲子園に来れたチームは、自然と淘汰されていること。つまり強豪同士の試合が多い。

 そしてもう一つの明確な理由だが、ここまで残ったチームの全試合が、この一日で行われる。

 つまり今日の試合で勝つチームのどれかが、全国制覇を果たす。

 そう思えばなるほど、と言えるかもしれない。

 まあこの先は準々決勝と決勝なので、試合の質はともかく、量が少なくなるのは事実である。


 この日の対戦は、確かに見所は多いのだろう。


 明倫館 対 横浜学一

 福岡城山 対 津軽極星

 大阪光陰 対 日奥第三

 白富東 対 帝都一


 山口県の代表、近年急激に強豪校の仲間入りを果たし、大阪光陰を破り全盛期の白富東と戦った明倫館。

 神宮からセンバツ、夏、国体と四大大会全勝を果たした過去を持つ神奈川の超名門横浜学一。

 九州北部最強、ベスト8の常連福岡城山。

 東北では四強とも言われる、優勝旗を東北にもたらすことを願われる津軽極星。

 史上初の三連覇を含み、過去に何度も甲子園優勝を果たす大阪光陰。

 甲子園常連、西東京の両雄と言われる一方の日奥第三。


 そして、白富東と帝都一。

 関東での宿命のライバルなどと思われたりもするが、実のところ東京代表とは秋の関東大会では戦わないので、公式戦での対戦数はそれほど多くないのだ。

 それでも白富東は、全盛期と言われた頃の帝都一と戦い勝利している。

 あのチームに比べれば、さすがに今年の帝都一は弱い。だが白富東も去年に比べれば弱い。

 白富東の全盛期は、間違いなく四大大会制覇を果たした去年である。

 だがそれでも三年生たちは最後の夏に、ここまで勝ち進んできた。共に。

 ここまで勝ち進んできてしまえば、まだ国体があると言うのは無粋である。




 先攻は白富東。

 初球から打っていくアレクだが、珍しくこの日は一球見ていく。

 やはりほんのわずかに動かしている。

 水野は素晴らしいコントロールの持ち主であるが、ささやかな小技に春の関東大会では抑えられたわけだ。

 こういったボールに対する攻略法は、既に考えてある。


 二球目をやや掬い上げる気持ちでミート。

 しかしこれは、変化がなかった。差し込まれる形で、センターが前に出て来て捕球。

 ムービングとフォーシームを、効果的に使い分けている。

 緩急差で空振りを取るのではなく、手元の変化で凡打を打たせる作戦なのか。

 アレクから短く伝えられた哲平に、秦野はサインを出す。

 ここは早打ちをしたくない。


 哲平はこの打席を捨てる覚悟で、水野の球筋を確認する。

 初球はアウトローに、綺麗なフォーシームが突き刺さった。

 そして今度はインハイからカーブを膝元に落としてくる。これもストライク。

 三球勝負としても、カットをしていかなければいけない。明らかに水野はこの打席は、こちらの打ち気のないのを見抜かれている。

 ならばここは確実に空振りが取れる球を投げてくるか。

 そう思った哲平に投げたインハイのストレートは、水野のMAXの149kmで、キャッチャーフライを打たせるものとなった。


 帝都一も控えのピッチャーは当然いる強豪であるが、水野に比べればまだまだ落ちる。

 白富東相手には、水野一人で投げぬくしかないと考えている松平だが、それだけに球数は減らしたいと思っている。

 そして水野はその意図を汲んで、そういう投球術が出来るピッチャーだ。


 消耗戦になったら負ける。松平は序盤の得点を考えている。そして出来ればリードを保ったまま終盤を迎えたい。

 武史は終盤になると、ポカミスはすることもあるが、球威自体は上がる。

 バカみたいにスタミナがあるというわけではないが、回復力もかなり高いらしいと松平は知っている。

 水野は技術的には優れたピッチャーであるが、やはり体力面では超人の領域にまでは達していない。

 序盤にリードして、ロースコアで勝つ。これ以外のビジョンは持ちにくい。




 秦野としても、この試合は難しい。

 明日は一日休養日があるが、延長戦になることは避けたい。相手がどこになるかにもよるが、武史の連投の可能性もある。

 まずは先制点が欲しかったのだが、あっさりとツーアウトにされてしまった。

 悟は春の大会で実質水野を一人で打ち崩してくれたが、あれは向こうの油断もあった。

 負ければ終わりの最後の甲子園で、二度と同じ失敗はしないだろう。


 三番打者の悟に対しては、おそらく水野は苦手意識を持っている。

(初球から任せる、か)

 悟としては意外な指示だ。哲平には待球策であったのに。

 春にボコボコに打てたから、慎重に入ってくるかとも思うが、マウンドに立つ水野の気迫が凄い。

(こりゃ初球から来るか)

 春大会の一年生に打たれたというのは、クールに見せる水野にとっても、プライドが傷ついただろう。

 技巧で翻弄してくるか、球威で圧倒してくるか。

(――球威!)

 インハイのストレートをフルスイングで弾き返す。

 外野の一番深いところにフェンス直撃。俊足を活かして三塁にまで到達する。


 マウンドの水野は大きく深呼吸するが、それが何度も繰り返される。

(ひょっとして油断とかどうとかじゃなくで、根本的に相性が悪いのか?)

 秦野はそう考える。確かにプロの世界でも、特定のピッチャーとの対戦成績が悪かったり、逆に特定のバッターとの対戦成績が悪いというものはある。

 この試合も悟が鍵となるのか?


 ツーアウトながら三塁で、四番の鬼塚。クリーンヒットでもなんでも、出塁出来る打球ならまず一点。

(行ける)

 サインを出した鬼塚は、アウトローへの初球をバントで転がした。

 小技の使える便利なヤンキー。それが鬼塚である。

 深く守っていたファーストは間に合わず、ピッチャーが捕球に行くがそれも間に合わない。

 水野は地味にフィールディングもいいピッチャーなのだが、ここは予想外すぎたようだ。

 かくして、先制点を奪った白富東である。




 そして一回の裏、あっさりと一点を返された。

「エンジン暖まってないからね」

「すまん」

 ブルペンで肩は暖めていたつもりなのだが、やはりマウンドの投球の圧力がないと、充分には暖まらないらしい。

 後続は絶って1-1で始まった準々決勝だが、あまりランナーが出る試合にはならない。

 ただ秦野の考えたことは当たっていたようだ。


 四回の表、先頭打者は三番の悟。

 今度は変化球を、右中間を破るツーベースとする。

 マウンドの水野はもう苛立つことはなく、表情も変えない。

 相性の悪い相手というのはいる。問題はここからをどうするかだ。


 ノーアウト二塁で四番の鬼塚。

 今日は一番恐い打者のアレクを二打席連続で抑えているものの、鬼塚はまさかのセーフティバントでスクイズの形を作り先制点を取った。

 五番の倉田に六番の孝司までは、かなり打撃に期待の出来る打線だ。


 最悪でも進塁打。そしたらワンナウト三塁になって、ヒット以外でも一点が入る場面になる。

 倉田に外野フライは充分に期待できるし、ゴロを打たせることも出来る。

 悟の足なら、まずホームに帰ってこれる。


 だから鬼塚の選択は意外すぎた。

 水野の投球に対し、バットを寝かせる。

 送りバントか! と咄嗟にボールを外し、内野はチャージするのに対し、バットを引く。水野はボールを外しすぎていた。悟はスタートしていたので、三盗に成功。

 ここまで出したサインは全て鬼塚のものである。


 今日の鬼塚は冴えている。

 四番という立場を活かした、これもトリックプレイと言っていいのか。

 ノーアウト三塁。ここで打たれるのはまずいと、インハイから入る。するとまたも鬼塚はバットを、今度は斜めに立てた。

 今度こそスクイズであるが、スクイズはスクイズでも、セーフティスクイズを狙う。内野ゴロでも一点と分かっていたはずなのに、ファーストとサードのチャージが遅い。


 当てられるボールだと思った瞬間、悟は早めにスタートを切る。

 微妙なタイミングで、キャッチャーへサードはトス。しかしこれは間に合わない。

 一塁もセーフで、本日内野安打二本、打点二の鬼塚である。

「四番の打ち方かよ」

 ファーストではそんな揶揄するようなことも言われたが、そう思われようと構わない。

「四番の仕事なんて、勝ってから考えるさ」




 鬼塚のこのチームに対する姿勢は、ひたすら献身。

 最初に双子にボコボコにはされたが、この髪の色のまま、チームに迎えてくれたセイバー。

 そしてチームメイトもまた、鬼塚を認めてくれる。

「でもあいつは、守って打って走ってくれるんで」

 選手としての評価。そして少なくとも同学年の者から、鬼塚の素行について悪く言われたことはない。


 こんなチームは絶対に、全国のどこにも他にはない。

 はっきり言って金髪などは、今となってはどうでもいいことなのだが、チームメイトの期待に応えるため、あえてこれを維持している。

 金髪の鬼塚は、白富東の四番である。


 そんな鬼塚のことを、秦野もよく分かっている。

 ギャプテン倉田の作業は調整。これは二年ではシニア組が中心に行っている。

 鬼塚はその倉田の手が届かないところや、二年以下が問題を解決できないときは、率先してそれに介入する。

 クソ生意気な今年の一年も、中学時代は自分のチームの監督さえ脅し上げた鬼塚には、さすがにおとなしい。

(いいチームだな)

 つくづく秦野はそう思う。


 単なる野球バカだけではなく、大人しくて素直ないい子ちゃんだけでもなく、クソ生意気なプライドの持ち主だけでもなく、マイペースな天才だけでもない。

 そしてヤンキーがいる。

 様々な、普通なら不協和音を起こすような素材が、絶妙のバランスで成り立っている。

 特に今の三年、武史、アレク、鬼塚、倉田の四人は、間違いなく核となる選手だ。

 来年の主力となるべき下級生も揃っているが、それでもやはり、全国制覇はここでしておきたい。




 そして中盤、武史の奪三振ショーが始まる。

 帝都一も振り回すだけのチームと違って、確実に甘い球を打ってくる強力打線は持っている。

 だがこの中盤からの武史を打てるバッターが、全国に何人いるのか。


 振られるKの旗。記録される奪三振。

 三振の次に多いのは内野フライで、内野ゴロを打たれても、守備陣がそれを確実に処理してくれる。

(サード、打撃無視で佐伯の方がいいかと思ったけど、曽田も落ち着いてるよな)

 今の二年と違い、まだまだ成長の途上にあった白富東を知っている三年。

 曽田も目立たないながらも、いくつかの機会にはスタメンとして出場していた。


 甲子園でも、着実に出来ることをする。

 それが難しいとは、秦野は教えなかった。

 甲子園でプレイするのは自分たちだが、この甲子園という舞台は自分たちだけのものではない。

 球場全体が、お祭り騒ぎであるのだ。演ずる者と見る者という分け方ではなく、応援する者がいる。

 自分の役割だけを果たす。下手なプレッシャーなどは、あれはあれで向こうの演ずる応援という役目なのだ。


 甲子園でも、機械的に動け。

 ただ楽しめ。しかし楽しむからには、勝つことを考えなければいけない。

 負けるのは何もしなければ出来ることだ。勝って得るものと負けて得るものは、勝って得るものの方が圧倒的に多い。

 甲子園では勝つごとに一気に成長していくというのは、そういうものが理由だ。




 終盤、この試合初めてのアレクのヒットから、アウトを取る間にもう一点が入った。

 それに対して帝都一も、地道にランナーを進めていくことを考える。

 だが武史がバント職人の送りバントを失敗させたのが、大きなターニングポイントだったろう。

 得点のための方程式を崩す。これが出来れば試合はもらったようなものだ。


 最終回を迎えて、スコアは3-1のまま。

 帝都一の最後の攻撃は、よりにもよってクリーンナップの三番から。

 強豪の当たり前として、直球には強いバッターが並ぶ。

 だからと言って変化球などを投げても、武史レベルの変化球では打たれる。

 まあ150km台のムービング系を投げれば、さすがにクリーンヒットは難しいのだが。


 ナックルカーブとチェンジアップを効果的に使い、最後はストレートで押していく。

 序盤の一点。あれを見て松平は、白富東の覚悟を知った。

 相手の得点ではなく、こちらの得点を見てのことだ。

 武史の立ち上がりは、ボールの球威が上がっていない。それを防ぐために、初回に入る前に念入りに投球練習を行う必要がある。

 だが序盤は、確実にまだ球数が足りていなかった。


 延長戦も白富東は覚悟していたのだ。だから序盤で点を取られることは計算内だったのだ。

 帝都一のミスは、序盤の、特に一回の裏の攻撃で、二点以上を取れなかったこと。

 そして最初の一点はともかく、他の二点は防げた。

(俺も焼きが回ってきたか)

 鬼塚の執念を感じ取れなかった。

 なんだかんだ言いながら、試合を決める打点を上げたのは鬼塚だったのだ。


 帝都一、ベスト8にて敗退。

 整列の時には「この借りは国体で返す」などと水野は言っていたが、武史としては「俺出場するか分からねえし」と応えて一触即発になったりもする。

 国体に出ないという選択が、武史の中にあるのが水野には信じられないらしい。


 ともかくこれで準決勝進出の四チームが揃った。

 どのチームと当たっても、ストロングポイントはあるチームだ。

 それでもあえて言うなら、一つやりやすいチームはある。


「よし、じゃあ帰ってミーティングするか」

 対戦相手が決まって、秦野のやることも決まる。

 明日は一日休み。だが武史には万全の状態で決勝に挑んで欲しい。

 継投策というのは、秦野の頭の中にもある。

 しかしエースにはエースの仕事があるというのも確かなのだ。


 残るは二試合。

 たった二試合と考えるべきか、まだ二試合もと考えるべきか。

 少なくとも秦野は、自分の頭の中はかなり消耗していると分かっている。

 そして二試合のどちらで負けても、優勝出来なかったという事実には変わりはない。

(ここからは変なプレッシャーもかかってくるかもなあ)

 史上初の甲子園四連覇。少なくとも秦野は、こんなことが出来るチームが存在するのは信じられない。

 国体はどうでもいいが、甲子園は勝って終わりたい。

 秦野は本気でそう思っている。

 高校野球の監督というのは、そんなものである。

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