五年目・夏 再会の季節
第77話 またこの季節が
梅雨明け。
高校野球のシーズンが始まる。
中止された練習試合は多かったが、それでも予定をねじ込んで、何試合かは行った。
場所を取る練習はしにくかったので、地味な筋トレ基礎トレなどが多かった。
バッティングに関しては、とにかく素振りを正確にさせた。
国立は確かにある程度の天才ではあるが、非常識な化け物ではない。
だから基本的に、ストライクゾーンの中の球だけを打つことを教える。
ただ追い込まれたら審判というのは、どうしても見逃しを投手有利に取ってしまうものである。
追い込まれたら臭いところはカットしろ。
これは最後の夏のラストバッターとして、最も悔しい記憶を作らないための配慮である。
今年もまた野球部の応援のために、応援団が結成されて、ブラスバンドの練習が始まる。
だが今年はもう、ツインズもいないしイリヤもいない。
どこにでもあるわけではないが、普通に近くなった高校で、甲子園に向けた戦いが行われる。
トーナメントの抽選も終わり、ほとんどの高校球児にとっては、最後のトーナメントが発表される。
シードの白富東は、当然ながら一回戦は免除だ。
二回戦もそれほどの相手ではなく、シード校がシード校らしく、ちゃんと残りそうである。
向こうの山は勇名館かトーチバ。
こちらは準決勝まで上がってくるのは、東雲か上総総合だろうか。
意外と浦安西かもしれない。
「うちらの試合、全部マリスタでやるのか」
「まあお客さん多いからな」
毎年やってくる夏は、三年生にとっては最後の夏である。
数万人から数十万人の高校球児の中で、グラウンドに立って負けずに終わることが出来るのは、たったの18人。その中でも三年が全てとは限らない。
まずはベンチ入りメンバーの選定だ。
1 佐藤 (三年)
2 赤尾 (三年)
3 宇垣 (二年)
4 青木 (三年)
5 久留米(三年)
6 水上 (二年)
7 駒井 (三年)
8 大石 (二年)
9 トニー(三年)
10呉 (二年)
11佐伯 (三年)
12小枝 (三年)
13上山 (二年)
14宮武 (二年)
15花沢 (二年)
16石黒 (二年)
17平野 (二年)
18山村 (二年)
19大井 (一年)
20聖 (一年)
ユーキはともかく最後の一人をどうするかは、散々に迷った秦野である。
だが現実問題として、甲子園で戦う場合、白富東の選手の中では、スタメンで戦うことがほとんどになるだろう。
もし内野を誰かと交代するなら、佐伯がいる。
外野の守備が薄いので、一応は大井を入れておいたが、これは県大会で経験を積ませるためのものである。
甲子園に出場すれば、大井ともう一人誰かに外れてもらう。
ユーキは絶対に必要になる。
三年生を押しのけて、二年生が10人と多く入っている。
体育科創設によって、こんな人口構成となったのだ。
来年からは三年生が多くなるだろう。
それに春の県大会は、中学三年生らしい子供が球場でもよく見られた。
今の三年生は新しく一年生が入ってきたとき、当然ながらもう卒業している。
なので入学時に強いチームを求めるなら、二年生や一年生の強いところを見せなければいけない。
新戦力のスカウトまでは秦野の仕事ではないが、チームの力を継続的に強くしていくのは秦野の仕事だ。
上級生の強さを下級生に受け継がせていくのと、下級生からの突き上げによって上級生をより懸命にさせる。
ただこれは練習やトレーニングで無茶をしがちな選手が当落線上にいると、故障という最悪の結果になることもある。
正直なところ最後の三年生を、ベンチに入れてやりたいと思う気持ちはある。
だが純粋に実力主義を認めなければ、逆にチーム状態は悪くなる。
万一県大会でベンチに怪我人が出た場合などは、最後の最後で甲子園で入れ替えが発生する可能性もあるのだ。
入学したのは、ついこの間のような気がする。
だがもう、最後の夏が目の前にやってきている。
春の大会では優勝した。
だがあれで満足しているわけにはいかない。
「甲子園は絶対条件だな」
「ああ」
孝司と哲平は、同じ道を歩く。
予定通りに一年からベンチに入り、そして優勝の戦力となってきた。
肝心の三年生になってからは、水戸学舎や帝都一に敗退して、現実的な範囲で勝敗が収まっている。
県大会は日程の都合上、連戦が二回ある。
使えるピッチャーの多い白富東は、この時点で完全に有利である。
私立の強豪と言える勇名館とトーチバは潰しあってくれて、こちらの山の相手はまだしも楽になっている。
だが油断するわけにはいかない。
白富東は二年前から弱くなっている。
傑出した選手が二人いたあの年、その二人が変に衝突せず、万全の力を発揮した。
去年もドラフト上位選手を二人出したが、武史がそのつもりなら一位指名されていただろう。
あとは甲子園でどれだけ活躍して、どこの球団に入るか。
「県大会で油断は出来ないけどな」
「それはさすがに、決勝までは大丈夫だと思うけど」
打撃も守備も、甲子園でアピールしないと、より高い順位での指名は難しいだろう。
ドラフト何位であろうと、プロになればあとは一緒などと言われているが、実際には与えられるチャンスの数が違う。
それに本当の隠し球であれば石垣工業の金原のように、あっさりと一軍に上がってきたりもするのだ。
二人は、自分たちの実力には自信がある。
だが大介や直史、またアレクや武史ほどの圧倒的な才能はない。
才能と言うならば、このわずかな期間で見た国立ほどのバッティングセンスもない。
だがプロからの声はかかっている。
育成ならば考えるが、本指名のドラフトであれば行かない理由はない。
淳などのような安全マージンをたっぷり取るのは、絶対に失敗したくはないからなのだろう。
そこに道が見えていれば、もう突き進んでしまうのが、二人の気持ちである。
そんな安全な進路ばかり考えて、野球をやってはいられない。
夏の熱さの中で、少年たちの未来が浮かび上がる。
春の大会の結果から、全国各地のチームでも、本命と対抗などが浮かび上がっていく。
東京と北海道も二つに分かれ、地方大会の優勝校のみが甲子園に出場出来る夏。
全国各地で有力校の名前が挙がっていく。
毎年試合の開催日はそれなりに違いがあり、特に試合数の多い都道府県は、長期間に行われることがある。
春や秋と比べて、県大会の段階で平日を使って行われるのは、やはり夏は特別だからか。
千葉県の大会は沖縄の次に開始されるほど、全国的に見ても早い。
ベスト16以降の試合は夏休み期間に入るが、初戦の二回戦を除いては、平日開催となってしまう。
つまり万一そこまでに負ければ、応援団以外の応援を見ることもなく、夏が終わる。
これまでどんな強い相手と戦っても味わったことのない感覚。
これが最後の大会という、三年生だけが持つ感覚。
だが去年の三年生は、こんなプレッシャーの中で試合をしていたのだろうか。
そんなことはなかった気がする。
鬼塚は気合を入れていたし、倉田はキャプテンとしての責任感を持っていた。
だが武史とアレクは、明らかに違った。
そこが天才と凡人の差か。
マリスタに集まった、171校のチーム。
この中から甲子園に行けるのが、まず一校だけ。
そして今の千葉には、絶対王者が存在する。
不幸なことかもしれないが、ならば白富東を受験すれば良かったのか。
今年の三年まではそれも不可能であったので、やはり不幸ではあるのだろう。
キャプテンである孝司は初戦の二回戦、ベンチからスタートする。
そしてバッテリーは、一年のユーキと二年の上山という、かなり冒険的な組み合わせであった。
だが他のポジションはレギュラーで固めてあるし、いざとなれば淳かトニーと孝司のバッテリーに代わることは出来る。
こちらは打力で相手を制圧し、マウンド経験の少ないユーキを援護しないといけない。
マウンド上のユーキはいつも通りであった。
マイペースと言えばそうなのだろうが、プレッシャーを感じないと言った方が正しい。
上山のミットへめがけて、勢い良くボールを放る。
彼は彼で、自分の課題点をちゃんと分かっている。
もちろんフィールディングやカバーなども問題ではあるが、それより第一にペース配分を考えなければいけない。
全身でバランスよく肉体を加速させ、肩と肘だけを使って投げるのではない。
特に肘の使い方は、かなり独特のものがある。
ユーキのフォームはトップを作ったところから、ボールを持った手先が肘より上に来る。
そこから弧を描いて、距離を作ってボールを投げるのだ。
最後の指先まで使ったストレート。
武史のストレートほどではないが、群を抜いたストレートではある。
準々決勝までは球速の電光表示は使われないが、それでもはっきり140kmは出ていると分かる。
この球速と二回戦で当たってしまう相手のチームは気の毒だ。
だが単に140kmだけというなら、当ててから点を取ることは出来るのだ。
それを許さないのが、守備の力である。
初回を詰まらせた当たりの三者凡退に抑えたユーキは、力を抜いていたはずなのに、それなりに疲れているのに驚いた。
日本の夏の暑さは、確かに湿度が高くてアフリカやアメリカよりもきつい。
だがこの公式戦においては、相手のバッターの気迫が伝わってくる。
アメリカと違って日本の高校野球は、一度負けたらそこで終わりのトーナメントが多い。
それだけに最後の夏の三年生は、自分の野球人生をここで終わらせるつもりで、対戦してくるらしい。
あまりに実力が違うのなら、下部リーグを作ってそこで試合をすればいいのではと思うユーキであるが、日本の高校野球というのはそういうものだと決まっているので仕方がない。
自分がちょっと打たれたとしても、それを援護してくれる打線がある。
ユーキは調整しながらも、軽々とストレートを投げ込んでいく。
白富東の打線も、着実に先制点を取っていく。
夏の初戦で大事なことは、まず先制点を取ることだ。
たとえ相手が格下だとしても、何かの間違いで負けてしまうのが、夏の恐ろしいところだ。
その点白富東の場合、下級生が多いのが逆に良いのかもしれない。
初回先頭打者の宇垣が、いきない右中間を破るツーベース。
ここで送りバントなどはせず、哲平も打っていく。
当たりはよかったのだがほぼライトの真正面というあたり、もう少しパワーが足りない。
そしてワンナウトから悟である。
秦野はこの試合も、采配を放棄したお任せ状態である。
部長の国立も面白そうな顔をしながら、ベンチの中でそれを見ている。
何も指示のないことから、悟はゾーンに入ってきた変化球をジャスtミート。
弾道の低いライナーが、フェンスを直撃した。
先取点を取った後、本日は四番に入っている久留米である。
夏の初戦に四番を打つということが、どれだけプレッシャーになっていることか。
だがベンチにさえ入れなかった期間が長かった久留米には、このプレッシャーが心地いい。
野球に飢えていた。
グラウンドに出て、灼熱の太陽の下でプレイすることを、ずっと望んでいた。
今はその機会が与えられているのだ。
甘くはないが厳しくもない低めの球を、久留米は狙い打つ。
またもフェンスを直撃する長打の連発で、また一点が入った。
白富東は、明らかに打力が向上した。
国立によるスイングの微調整。顎の位置を引いて首を立てて、水平にした目でボールの動きを追う。
繰り返し続けた反復練習で、確実にミート力が上がった。
そしてミート力が上がったら、次はパワーが必要になる。
野球におけるパワーと言うのは、スピードである。
バットを握る手に力を入れすぎていると、バットを振る力が弱くなる。
バットを握るというただそれだけにも、重要な技術がいるのだ。
大介のような例外は除いて、バッターはバッティンググローブを使う方がいい。
グリップ力が増したために、バットを支える力は最低限で構わない。
そこからバットを振るわけだが、下半身から上半身まで上手く力を伝導させて、基本的に腕の力というのは、最後の微調整に使うものだ。
ミートした球がまた外野を抜いて、追加点が入る。
ホームランこそ生まれなかったものの、長打攻勢が相手を青くさせる。
外野がバックしていけばそれだけ、内野との間にゾーンが広がっていく。
結局は長打を打てることが、全体的な打率を上げていくのだ。
一回戦は21-0のスコアで決着した。
当然と言えば当然の、優勝候補の圧勝であった。
だがユーキには、その中でも相手チームの中に、泣いている者がいるのを見た。
トーナメントというのはこれだけ、たったの一戦でその最後のシーズンを終わらせてしまうものなのだ。
後味が悪いな、と思わないでもない。
入学して三ヶ月以上もたつが、まだ日本の高校野球の感覚は分からない。
だがこれでもこのチームは、ずっとアメリカに近いチームなのだとは聞く。
中には軍隊教育と言われるほどの、過酷で理不尽なチームもあるのだとか。
ユーキには理解出来ないし、応援するサラにも理解出来ない。
実のところは監督である秦野も、理解は出来るが道はそれだけではないのだと教えてやりたい。
ともあれ、これでマモノがいるという、夏の初戦は突破した。
ここから先が、本当に長い夏の大会の本番なのである。
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