第68話 古巣

 正確には古巣ではない。

 別に国立はプロ野球選手ではないのだ。

 千葉県立三里高校は、本当にちょっと偏差値が高いだけの、普通科高校である。

 特別なことは二年前に野球部が甲子園に初出場したこと。

 そしてそれ以来、特に選手を集めているわけでも、設備がいいわけでもないのに、県内ではベスト8の常連になっていること。

 それらの理由は、東京六大学野球リーグで活躍し、プロからも声がかかっていた国立が、新任教師として赴任したことによる。


 あとはあの年は、キャプテンのキャプテンシーが強かった。

 だいたい野球というのは、監督が誰よりも勝ちたいと思っていなければいけないのだが、あの年はやりすぎるぐらいにやってしまうキャプテンがいた。

 それぐらい、暴走と言ってしまうぐらいに強い勢いがなければ、甲子園には行けないのだ。

 ただ、一度行ってしまうと、強くなる。

 甲子園などというのは莫大な寄付金を集めて行う一大イベントで、それで余った寄付金は、野球部を主とした部活動の施設や機材を買うのに使われる。

 野球部以外にも使われるのかと不思議に思うかもしれないが、その野球部を応援するブラバンや応援団の消耗品、あるいは全部活共有の機材などを買うのにも使われる。


 公立高校でさえ、こういった恩恵があるのだ。

 私立であればより、これらの寄付金集めは大々的なものになり、より施設や備品は増えて、高度な練習が可能になる。

 そうなればまたチームは強くなり、強い選手も集まり、正の循環が始まる。

 だがそれは、やはり優れた指導者がいてのことだ。


 三里が甲子園にまで行けたのは、もちろん中核となる選手たちの頑張りはあった。

 だがその頑張りを空回りさせず、適切な指導をしていったのは国立である。

 特に重視したのは、守備であった。

 大学時代は魔法のようにヒットを打って、リーグの打点王にもなった国立だが、その技術を教えたのはほんの数人。

 甲子園に行ったチームの中では、古田と西、そして東橋ぐらいであったろう。


 体格と筋量によって、適切なスイングは変わる。

 星の体格では、国立のスイングフォームは真似できない。

 だから教えたのは、バントと走塁。そこからプッシュバントとバスターである。

 そして大事なことは、転がすこと。


 得点を取るための手順と、アウトを取るための手順を考えれば、スクイズ代わりに必ず転がせる技術は必要であった。

 もちろん理想論はあったが、上ばかりを見ていても足元でつまづくだけである。

 素質のない人間は、より的確な訓練をしなければ、点を取ることは出来ない。

 幸い野球というスポーツは、ホームランが打てなくても勝てるスポーツである。

 誰もがホームランを目指せなどということを言う指導者もいるし、実際に理論的には筋肉を増やしてスイングスピードを上げれば、ホームランは打てる。

 だがそれが、高校生の間に可能になるかという問題はある。


 育てながら勝つというのは難しい。

 国立がやっていたのはそれに加えて、楽しく上手くなりながら、より高みを目指して上手くなるということである。

 プロ野球選手になれるほどの素質の持ち主はいなかった。だが大学でも続けたいという者はいた。

 ならばそれにあった指導をして、そして可能性を閉じさせない必要もある。


 一番大切なのは、野球を好きでいること。

 国立自身は勝利至上主義の環境も知っているが、自分自身はそんな教え方はしないと決めていた。

 なぜなら勝利至上主義は、必ずやりすぎを生むからだ。

 そしてそこから、無理な怪我や故障が生じる。

 壊れるなら、それはそこまでなどという指導者もいるが、そんなやつは死んだほうがいい。

 国立は、プロでも通用するまで回復すると言われたが、もうその頃にはプロに行く意義を失っていた。

 ただ勝てばいいとは思わないし、かと言って野球から離れる気もなかった。

 結局自分は、一介の野球好きでしかなかったのだろう。

 ただ、その度合いが大きかっただけで。




 その三里高校にやってきたのは、白富東の一二年生中心のメンバーである。

 三里の選手たちは、もちろん大歓迎で迎えてくれた。

 国立に対する信頼感が厚すぎる。

 そして練習試合の前に、白富東のメソッドを共有する。


 公式戦で対戦する相手に、ここまでのことを教えるのかという疑問は、一年生には当然ながらある。

 だがお互いに情報をシェアし、レベルを高めあうのは、相手が強ければ強いほどいい。

 白富東は県内では覇者ではあるが、その座に胡坐をかいていてはいけないのだ。

 どうせまた異動になれば、国立は三里へ戻ってくるのだ。


 究極的な部分になると、セイバーが自分のデータの実験場としている白富東の方が、やはり練習の効率などはよくなる。

 だが、だからこそ県内にはライバルが必要なのだ。

 お互いにデータのある相手と戦いあうこと。

 逆にそれは、データのない相手と戦う時との、上手い比較になるだろう。




 試合のメンバーは、白富東は三年生が来ていない。

 三年生と一部の二年は、自校のグラウンドで他のチームとの練習試合だ。

 埼玉からはるばる、というほどでもないが、浦和秀学を呼んでいる。

 この時期は忙しいが、春のブロック大会と県大会本戦の間で、わずかな時間を見つけては、県外の強豪と戦うわけだ。


 埼玉のように強豪数校が突出していると、やはり県外に練習試合の相手を求めることになる。

 あとは二軍メンバーで、県内の公立と戦ったりもする。

 こちらとしてはあちらの一軍メンバーのデータを得られて、公式戦で油断から落とすということが少なくなる。

 あちらはあちらで二軍と言っても、より強い相手と戦うことで強くなれる。

 そして一軍は、全国レベルのチームの一軍と戦う。


 白富東ぐらい人数が多いと、三軍まで作ってしまってもよくなる。

 それでも公立の一回戦負けのチームなどに比べると、強いメンバーが揃ってしまう。

 五年ほど前の白富東のチームの戦力が、今の三軍の戦力ぐらいであろうか。


 三里を相手にしては、三年生と一部の二年を除いては、ほぼフルメンバーである。

 一部の二年というのは、宇垣と悟であり、大石はこちらの遠征組に入っている。

 センターはまだ安心していいポジションではないぞ、という意味でも込められているのかもしれない。


 三里の方はもちろんフルメンバーだ。

 国立が冬の間に鍛え、夏の甲子園を目指して戦えるだけの戦力にはなっていると自負出来る。

 ただどうしても、いいピッチャーというのは数が少ない。

 投球制限が厳しくなりつつある現在、いいピッチャーを複数揃えられるか、そのピッチャーでも破壊できる打力のないチームでないと、甲子園を最後まで戦い抜くのは無理な時代になりつつある。


「白富東ってどんな感じなんですか?」

 国立は監督でありながらも同時に教師であったあめ、選手たちとは生徒としての関係も築いている。

 そもそも三里も、いわゆる体育会系の野球部っぽくはないのだ。

「やっぱり機材やデータ収集は、比べ物にならないかな。だから基礎を固めた上で、どうやって工夫していくかが問題になる」

 練習に使える時間は、どうしても限られてくる。

 白富東ほどではないが、三里の伝統のある公立進学校であるのだ。

 練習時間は限られているし、休養日もある。

 本当なら教えたいことはいくらでもあるのだが、体力と技術を上手くバランスよく教えていかなければいけない。


 本当は国立の考えから言うと、高校野球は体力さえあれば、あとはどっさり練習をこなして、どうにか勝てるものなのだ。

 ただ例外的な強豪が同じ県内にいたりすると、そうも言っていられないわけで。

 限られたものは多いが、その中でも最も貴重なのは時間だ。

 だから限られた時間を効率よく使うのと、どこかの時間の合間を使うのが、強くなるためには必要なのだ。




 国立の後任は経験者ではあるが、高校時代もベンチに入っていただけで、野球選手としてのスキルは高くなかった。

 ただやるべきことと、止めるべきことは、しっかりと分かっている。

 国立がいる間に、生徒たち、選手たち自身に、それを調べることを教えた。


 だから選手たちが注意しあって、それぞれ気付いた部分の穴を埋めていく。

 突出した才能がいないのなら、守備と走塁、そしてランナーを進めることに、進んだランナーを返すことを、重要視して鍛えるしかない。

 ピッチャーは数を作って、その中からコントロールのいい者をエースにして、他のピッチャーが荒れている時は、リリーフ的にマウンドに登ることになる。

 こういう時、ピンチであってもしっかりと抑えるには、力量よりもむしろ精神力が問題となる。

 単にメンタルが強いというのではなく、動じずに最適の選択を採れるかどうかだ。


 両者が一緒に練習をしていると、やはり似たようなことを合間の時間にやっている。

 練習の合間にトレーニングをして、トレーニングが終わってから練習を回す。

 休憩時間はあるが、そこでは補給をするのがメインだ。

 白富東でもそうだが、基本的にはバナナを食べることが多い。

 消化によくエネルギーにすぐ変換されるもの。

 まあ白富東は一日五食で、バランスよく食事もしているわけだが。


 そんなこんなで一通り練習メニューをこなして、試合となる。

 白富東は二年の投手二枚に、一年生も少し投げさせる予定だ。

 三里はピッチャーの数をなんとか作っているが、ダブルヘッダーとなっているため、おそらくこの部分の差が一番大きい。

 なんだかんだ言って白富東は体育科に、それなりの選手が集まっているからだ。


「この試合、基本的に私は采配を振らないからね」

 国立はそう宣言した。三里のことを内部から完全に知っている国立が指揮すれば、それはもういくらでも相手の弱点を突けるだろう。

 ならば秦野が来ればよかったのかとも思うが、これはやはりかつてしったる場所だけに、国立の方がスムーズに話が進むと思っただけである。

「あ、俺が先発か」

 去年の夏にも練習試合では先発をしていたが、秋にはあまり出番がなかった山村である。

 最初から左のピッチャーを使うあたり、国立も本気である。


 入学時にはお山の大将であった山村だが、さすがに甲子園のベンチにまで入れてもらえば、全国のレベルは知れるものだ。

 だがそこで自信を喪失してしまわないあたり、生来ピッチャー向けの正確だとは言える。

「先攻だし、俺が塁に出たら盗塁させてね」

 一番の大石は、最初から狙っていくつもりである。


 選手たちが自分たちで、作戦などを考えている。

 それをニコニコと笑顔で見ている国立は、実は各選手の弱点などのまとめを、予め三里に伝えてあったりする。

 敗北したとは言え、それは全国での話。

 県内では一方的に調べられる立場で、選手たちがどう戦うか。

 少し意地悪ではあるが、普通にありうることだ。

 面白い試合になってくれればいいな、と国立は思っている。

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