第161話 エースの背中

 試合は終盤に入る。

 白富東はユーキがリズムよく投げていって、ここまでもまだ無失点。

 一番試合が動きやすいとも言われる七回の裏、ここをしのいだ。


 国立が思っていたより、ユーキの内容がいい。

 普段から安定したピッチングの出来るユーキであったが、塩谷とはここまで相性が良かったのか。

 ユーキは一年の時からベンチ入りメンバーであったため、孝司や上山と組んできた。

 だが下級生からの言葉も素直に聞くユーキには、塩谷を組ませて正解だったのかもしれない。


(七回を終えて、107球か)

 MLBなどだと先発はほぼ100球で交代する。

 だがそれはあくまでもシーズン中の話で、プレイオフとなるとエースの投げ合いとなる。

 国立の感覚では、130球までならまず問題はない。

 150球を超えたなら、少し間を置いた方がいい。


 明日の準々決勝は、あるいは最後にユーキをクローザーとして使うかもしれない。

 そしたら次は、週末まで休める。

 おそらく勝ち上がっていけば、準決勝で当たるのはトーチバ。

 決勝まで残れば準優勝でも関東大会には行けるので、トーチバ相手にはユーキを使いたい。


 目の前の相手を、甘く見ているわけではない。

 だがずっと先のことまで考えて、そこを勝ち進むことも考えるのが、監督の仕事である。

 選手たちはよく頑張っている。

 だがそれでも、あと一押しがほしい。




 八回の表も、白富東は追加点はなし。

 三里のエース大道も、とっくに100球は超えている。

 ランナーは毎回のように出しているし、三塁までも進まれている。

 それらを全て封じているのに、あの一本のホームランだけが悔やまれる。


 対する白富東は、ユーキの集中力が途切れない。

 チームのエースになって、公式戦でここまで投げるのは初めてなのだ。

 それなのに八回の裏も、三者凡退である。


 ここまで打たれたヒットは四本で、フォアボールは勝負にいったものがやや外れた一つのみ。

 完全にエースの、チームを勝たせるピッチングである。

 正直なところ国立も、ここまでのものとは思っていなかった。

 残暑の残るこの季節、スポーツ飲料で水分を補給するユーキは、まだまだ投げられそうである。

 バッテリーを組んでいる塩谷も、国立と目線を合わせると力強く頷く。


 自分が練習体制を整えたチームなので、三里の強さは分かっているつもりだった。

 だからこの試合の展開もある程度計算していたが、ユーキの実力を見誤っていた。

 この夏も甲子園で投げたが、主にクローザーとしての登板だ。

 序盤から中盤を、技巧派や変則派に投げさせて、最後に本格派を持って来るというのは、そこそこ色々なチームで行われていることだ。

 それがこの秋の大会、ユーキがここまで投げてくるとは。


 今の球数も入れて、121球。

 充分完投は可能な球数であるが、明日も準々決勝があるのだ。

(明日は、なんとか投手をつなげて勝つか)

 ただし三里のサウスポーを、ここまで打てないとも思っていなかった。

 いや、間の悪いことが多いと言うべきか、打球の当たりが不運な野手正面というのが多すぎる。


 これだけの力投をして、打線の援護がわずか一点。

 かなりメンタルの強いピッチャーでも、崩れてしまうような条件は揃っている。

 だが八回までを、完封してきた。

 ユーキの成長は、どこの時点であったのか。

 夏のマウンドで、最後に相手の攻撃を切ったのはユーキだった。

 思えばあの場面での出番は、かなりプレッシャーのかかるものではなかったのか。

 

 甲子園が人を育てたのか。

 国立の考えていた、だが想像以上の試合展開で、決着がつきそうな気配がする。




 晶もまた、ここまでのピッチングをしてくるとは想定外であった。

 甲子園の決勝で、最後にクローザー的に、試合の終盤を任されることが多かったピッチャー。

 あの使われ方はひょっとして、純粋に先発を任されるよりも、メンタル的にはきつかったのではないだろうか。

 

 甲子園の決勝で投げるようなピッチャーを相手にして、三里打線はここまで沈黙。

 それなりの球数を投げさせてはいるのだが、バテてパフォーマンスが落ちるほどではない。

 ランナーを出しても、それをチャンスにさせたりしない。

 完全な力負けだ。


 そんな晶の気配を感じたのか、それとも純粋に体力の限界なのか、大道は最終回の九回の表、先頭打者にヒットを打たれた後、フォアボールでランナー一二塁となる。

 これは完全な限界だ。

 だがここで代えるようなピッチャーは、三里にはいない。

 大道と心中する覚悟で、晶は続投を指示。

 白富東の下位打線は、ここで爆発する。


 外野の頭を抜けていって、そこから二点が入る。

 ずっと止まっていた1-0のスコアが、3-0へと変化した。

(春の大会まで、ざっと半年)

 上手く使えば、レベルを三段階上げられる。

 それでもまだ、白富東の方が強いだろうし、時間で成長するのはあちらも同じだ。


 三里も大道が、点を取られてもしっかりと守備があとを抑えて、一応逆転可能な点差で、九回の裏を迎えることが出来た。

 ここでエースを代えてくれたら、少しはチャンスがあるのだろうか。

 晶はどちらとも言えない。

 三点差が厳しいというのは、間違いのない事実なのだ。

「いい? まずは出塁すること。あちらは三点差があるから、無理に三振とかは奪ってこない。ランナーをためてから、勝負をかけるわよ」

 現実的には難しいが、ユーキのスタミナ切れは期待出来るはずだ。




 ユーキが思い出すのは、一年生の春の日。

 三年だった淳やトニーは、白富東としては珍しい、走り込みを行っていた。

 もちろん漫然と走るのではなく、ダッシュを繰り返すものだったが。


 ピッチャーはスタミナが必要だ。

 瞬発的な力が主に必要な野球においては、そのスタミナというのは純粋な意味でのスタミナとは違う。

 何度となく爆発的に力を使いつつも、すぐに回復する力。

 それが野球のピッチャーにおけるスタミナというものだ。


 ユーキはクローザー的に使われることが多かったが、それでもピッチャーのメニューはこなしていた。

 だから九回を完投出来ることは、不思議ではない。

 そして九回も投げれば、むしろ疲労するのは精神的な面が大きいと考えられていた。


 だが、ユーキはそういう柔な精神はしていない。

 それに高校野球に対するスタンスも違う。

 いくら死ぬ気で練習をしても、別に試合に負けたからといって死ぬわけではない。

 色々な人々の、色々な感情が絡んでくるが、それは生死に直結したものではない。


 野球は、言うなればしょせん野球だ。

 だからそういう意味では、ユーキにはプレッシャーなどはかからないのだ。

 毎年のように死者が出る、アフリカの農村。

 その原因は単純に、食料が不足しているから。

 病気が蔓延して、一気に周囲の顔が減っていく。

 場所によっては紛争地域もあった。

 そう言う場所には、ユーキはともかくサラは連れて行ってさえもらえなかった。




 ユーキは純粋に、野球を楽しむことが出来ている。

 辛いからこそ、苦しいからこそ、勝利を求めるなどということもない。

 辛いとか苦しいとかいっても、それは生きるか死ぬかというレベルではない。

 だからユーキは負荷の高い練習でも、ただ強くなるためにやっているだけだ。


 九回の表に待望の追加点が入ったが、ユーキはだからといって油断することもない。

 そもそも最初から精神状態はフラットで、一点差でも三点差でも、やることは変わらないのだ。

 クリーンナップから始まる最終回であったが、リードする塩谷はようやく、プレッシャーから解き放たれていた。

 ユーキはこの一年生相手に、軽々とボールを投げ込んでいく。


 基本的にユーキはリードには首を振らない。

 振るとしたらそれは、キャッチャーが無難な選択をした時だ。

 投げるからには責任を持つ。

 それがユーキのピッチングである。


 三振を取ったあとに、内野ゴロ。

 ツーアウトまで追い詰めて、最後にはボール球を振らせる。

 コントロールのいいユーキが、ゾーンから外に外したボールであった。

 かくして白富東は、ベスト8へ進出したのであった。




 両チームの監督に、課題が残る試合であった。

 白富東としては、九回に追加点も取れて、そこそこいい試合であったと言えそうだ。

 だが実際のところ他の強豪私立なら、大道クラスのピッチャーは二人いてもおかしくはない。

 エースが投げて四番が打ったという意味では分かりやすい試合であったが、いくらでもまだ鍛える余地はある。


 とにかく得点力だ。打撃力ではない。

 今日のように八本もヒットを打っていて、それが三点というのは効率が悪いのだ。

 ヒットを必要としない、点を取る方法がほしい。

 そのためにはランナーを、素早く三塁まで進める必要がある。


 出塁率を高くし、進塁打を上手く打てるようになる。

 スモールベースボールであるが、そうやって打線をつないでいかないといけない。

 逆にピッチャーと守備については、素晴らしい出来であった。

 ヒットを打たれてもアウトを着実に取っていき、ホームには返さないように計算していた。

 それとユーキが三振を12個も取って、フォアボールが一個だけだったということも意味がある。


 春のセンバツは、ピッチャーが良ければ勝ちあがれる。

 そう言われているセンバツに、どうにか勝ち進めないものだろうか。

 準々決勝もあるが、それよりはやはりトーチバだ。

 より洗練された守備連繋に、点を取るためのオプション。

 エースの力はこちらが上でも、他のほぼ全てでトーチバの方が上だろう。


 得点力を増やす。そしてユーキ以外のピッチャーも使えるようにする。

 関東大会に出るのも大変だし、そこで勝ち進んでベスト4まで行くのはもっと難しい。

 もっとも正確には、ベスト4というのはあくまでも一つの基準であり、関東大会にさえ出れば、一回戦負けでも選ばれることはあるのだが。


 チームの連携が、攻撃においてまだまだやるべきことが多い。

 しかし目の前の試合を戦うには、それよりも大切なことがある。

 明日の試合に向けて、とりあえずミーティングをするのが、目の前の仕事である。




 三里の監督、青砥晶も考える。

 秋の大会は終わった。次は春の大会だ。

 ただしここは、あくまでもシードを取れればいい。

 大事なことは、最後の夏だ。


 ユーキに完封された三里だが、逆にこれで相手の手の内も見えた。

 全国レベルでトップレベルのピッチャーはいるが、あくまでもそれは一枚だけ。

 秋の大会の結果を見るに、白富東は明らかに、投手力が落ちている。


 最後の夏で勝つ。

 秋も春も、そのための事前準備。

 ここからが夏に向けての、本当の戦いの開始だ。

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