第131話 誰かの最後の夏

 石黒の捻挫が間に合って、なんとか最後の甲子園には出られる。

 その間はスタメンにいた花沢にとっては、複雑であろう。

 背番号は一応、まだ花沢が4を付けている。

 だがバッティングの方では石黒の方が上だし、守備にしても守備範囲自体は変わらず、さほどセカンドには必要のない肩の強さは石黒の方が上だ。

 たとえ地獄のような蠱毒の地方大会を勝ちあがっても、こういったチーム内での競争もある。


 甲子園は華やかで、見ている人間にとっては熱い勝負の部分しか見えないかもしれない。

 だがそれを一枚取れば、どろどろのポジションの奪い合いがあるのだ。

 白富東は、昔はそんなことはなかった。

 チームとして勝つには、一番上手いやつが出ればいいし、それを負けた者はサポートする。

 そして試合に出るからには勝ちにいく。

 そういった野球部の特色は、体育科の設立と共に薄れていったが、この最後の夏を前に顕著になったと言っていい。


 あえて誰かの足を引っ張ろうというものはいない。

 そんな暇があるなら自分の練習をしないと、他の誰かに追い越されるからだ。

 だがこの夏が終われば、公式戦での試合の実績の多い選手は、ユーキを除けば耕作となってしまう。

 間違いなく、白富東は弱くなる。

 これまでも散々言われていた「弱くなる」ではなく、甲子園出場すら覚束なくなる。

 ユーキがいるので、ピッチャーを上手く温存出来たら、勝てるかもしれないが。

 その意味では甲子園で一回勝つより、千葉で優勝する方が難しい。


 一応はベンチに入っている二年生が、どれだけ成長するか。

 秦野は目の前の最後の夏を考えながらも、ふとした一瞬に秋以降のことが頭に浮かぶ。

(まあ国立先生は、部員に与えるカリスマってか安心感は、俺より上か)

 選手時代の実績は、完全に国立の方が上回っている。

 バッテリーコーチが残ってくれるので、ピッチャーとキャッチャーも育てられるだろう。

 あとはどれだけ守備や走塁、そして実戦での采配を取るか。

 それも大学野球で活躍した国立なら、やはりどうにかしそうである。


 自分にとっては、このチームを率いての最後の夏。

 それでも次の年のことを考えるほど、秦野は白富東に愛着を持ってしまっていた。




 またお世話になります。

 そう言って白富東がやってきたとき、宿舎の女将さんは呆れていた。

 この業界では、どこの学校が何回連続で来たかなどという話も出る。

 白富東の10回連続などというのは、誰に聞いても知らなかった。

 実際に、現体制で甲子園が行われるようになってからは、一つの地区をこれだけのチームが連続で制してきたことはない。


 白富東は、確かに学校の歴史は古い。

 だが初めて甲子園に来て以来10季連続。

 こんなチームは当然ながら一度もなかった。


 そもそも初出場校に、あのSSがいて大阪光陰に負けたところから、ドラマが始まったのだ。

 そして夏には大阪光陰には勝ったものの、そこでSSの一方が力尽きていて、決勝では負けてしまった。

 実際の内部事情は違うが、情報を知る人間からするとそう思える。

「白い軌跡」を読めば詳しく説明されているのだが、大判のあの本をわざわざ読む人間は、今の時代ではあまりいないらしい。

 50万部以上売れて、いまだに増刷を繰り返しているのだが。


 荷物を置いた白富東のメンバーは、とりあえず今日は周囲の散歩である。

 SSの最後の一年などは、宿舎の周りをマスコミが囲んでいて、そういったことも出来なかったものだ。

 スーパースターのチームではなく、ただの強豪校。

 それで正しい気もする。

 ただそれでも、甲子園でホームランの歴代記録上位に入りそうな、悟などは注目が集まっているのだが。


「しっかし白石さんって、一年の夏には甲子園出てなかったのに、30本打ってたんだよな」

 そんな会話をしながら、浜辺沿いを歩いていく。

 そろいのジャージを着ているので、運動部とは分かるだろう。

 だが丸刈りは数人しかいないので、お洒落坊主との区別はつかないはずだ。


 白石大介は、少なくとも現時点では、MLB挑戦組も合わせても、日本で一番のバッターである。

 なぜならホームランを打っているだけでなく、打率で驚天動地の大記録を達成し、チャンスには強く、盗塁王まで取っているからだ。

 野球に関して言うならば、天は大介に、二物も三物も与えている。

 ついでに芸能人の彼女が二人いるのだが、さすがにあれはマイナス方向の二物であろう。本人が幸福ならばそれでいのだが。


「甲子園って、けっこう海から近いんですね」

 そう言う耕作は、あまり甲子園の球場を知らない。

 練習日をしっかりと使って、雰囲気を確かめておかないといけないだろう。

「甲子園は実は、グラウンドの面積は狭いんだよな。でもホームランの出にくいのが、この浜風の影響だって聞く」

 確かに打ちにくいなと思っている悟は、そう説明する。


 浜風はライトへの打球を推し戻すし、レフトへの打球は切れていくこともある。

「でも白石さんって、二年連続でホームラン王打ってるんですよね」

「まあそれは、昔は後回りにされてた甲子園の試合が、大阪ドームを使ってホームで行われてることも関係してるんだろうけど、あの人は打球の角度がおかしいんだよな」

 インタビューなどを読んでいても、その理屈で球は飛ぶのかと思うし、試してみて自分のスイングを見失った者も多い。

 簡単に言うと大介の打球は、風の影響を受けにくいということなのだ。




 そして組み合わせ抽選の日がやってくる。

 一発で決勝までの組み合わせが決まるセンバツと違い、ベスト8以降はまた抽選が行われる。

 はっきり言ってこれは、より大会を盛り上げようという高野連や新聞社の都合であって、必要のないものだと秦野は思っている。

 実際は一時期、一回戦が終わるごとに、抽選で対戦相手を決めていたこともあるのだが、それだと確かに見ている方は緊迫感があるのかもしれないが、選手側はピッチャーの起用が難しくなる。

 結局は警備上の問題で、三回戦まではトーナメント表どおりという、無難というか選手のことなど別に考えていない方向で落ち着いたのだ。


 ベスト8以降など、次の対戦相手が分からなければ、ピッチャーの起用に問題が出るだろう。

 準決勝の相手など、右バッターが多ければ、左を先に使っておくという、根本的な対応も必要になる。

 ピッチャーの枚数が比較的揃っている、白富東などは幸運なのである。


 チーム的に、あとはピッチャー的に考えれば、戦う回数の少ない二回戦から、対戦する方が楽に決まっている。

 ただ悟のような、甲子園でのホームラン記録がかかっているような選手には、試合数が多い方がいい。

 もちろん悟的には、そんなことよりも全国制覇の方が大切である。

 最後の甲子園なのだ。

 最後まで一度も負けずに終わりたい。


 相手チームにもよるが、とりあえず二回戦からのコマ。

 そんな期待をあっさり裏切って、宮武が引いたのは大会一日目の第二試合、つまり一回戦からである。

 よりにもよって初日かよ、という気分がメンバーに蔓延する。

 

 あとは対戦相手がどこになるかだが、なかなかそれが決まらない。

「今回は強豪がそれなりに、バラけてる感じかな」

 確かに一回戦からいきなりクライマックス、というような組み合わせはなかなか見かけない。

 ただ一回戦免除だった明倫館が、刷新と当たって次はおそらく天凜。

 一回戦免除と引き換えに、けっこうハードな試合になりそうである。


 大阪光陰ではない大阪代表の理聖舎が、おそらく三回戦で横浜学一と当たる。

 ただ三回戦ともなれば、それなりに番狂わせもあったりするものだ。

 それにしてもなかなか決まらない。

 むしろ二回戦の相手になりそうなのが、地元兵庫の代表と、高知の瑞雲の勝者だったりする。

「あとは長野、宮城、青森の三校か」

 どこも甲子園常連が、県大会を勝ち残ってきている。

 実績を言うなら、宮城の仙台育成が一番だろう。


 だが、青森県代表が引いた。

 一回戦の相手は、青森県代表青森明星高校である。

「けっこう強いな」

 悟の言葉通り、戦績をずっと見るならばともかく、直近の春のセンバツでは決勝を明倫館と争っていた。

 敗退したスコアは3-2であり、ほぼ白富東と互角の戦績と言えるだろうか。


 甲子園の試合は完全にクジ運があるので、強いところが決勝に残るとは限らない。

 だが青森明星は春に準決勝で帝都一を破っている。 

 帝都一はその前に理聖舎と戦って消耗していたとも言えるが、青森明星だってそこまでの試合数が少なかったわけではない。

「いきなり強敵だ」

 秦野もそれを認めていた。




 夏の甲子園では特に、鬼のように強いチーム相手には、一回戦あたりで当たる方が有利とも言われる。

 エースなどの少数の実力者で勝ち進んできたチームは、勝ち進むほどに疲弊していく。

 ベンチの控えメンバーとの実力差が大きすぎるからだ。

 だが青森明星も白富東も、共に春のセンバツで勝ち進んだ戦力は持っている。

 負けた相手も同じ明倫館で、そのスコアも3-2と同じ。


 互角、なのだろうか。

「青森エクスプレスとか言われてたエースが、やっぱ強力だよな」 

「なんだかんだ言って決勝では少し疲れて見えたから、一回戦だと万全の状態だろ」

 強敵どころか、格上である可能性すらある。

 ただ春のセンバツ後の分析でも、雑誌などの事前評価でも、実力は白富東と同じA+となっている。


「これ、あれだな」

 そう説明しだすのは平野である。

「なぜか主人公チーム、一回戦で去年の準優勝チームと当たるの法則」

 厳密には違うが、なんとなく言いたいことは分かる。

 主人公の入ったチームは、なぜか県大会の二回戦で、去年の準優勝チームとかと当たるのだ。

 とあるマンガの埼玉県のチームなどは、去年の甲子園出場校と初戦で当たっていた。


 ただ、とにかくこの試合が、一回戦の目玉となりそうなのは確かである。

 センバツ準優勝と、ベスト8の対戦。

 もっと先になりそうだった夏の終わりが、すぐそこに近付いてきたのかもしれない。




 他のチームを見てみると、準々決勝までに苦戦しそうなのが、春を制した明倫館。

 だが一回戦はやはり、白富東と青森明星の、大会屈指の好カードに注目である。

「ここは明倫館が勝ってくるかな。準々決勝で当たる可能性が高いか」

「ここも別の意味で分からないな。大豊か蝦夷農産かな?」

「早大付属は準々決勝までは上がってくるか? 今年は強いんだっけ?」

「一回戦で花巻平とだろ? そんな簡単にはいかないと思うけど」

「水戸学舎は隙なく勝ってきそう」

「こいつらも一回戦少ないのかよ」

「ここは帝都一かな? 仙台育成も強いだろうけど」

「そんでここは……桜島か名徳かな?」

「このブロックが一番厳しくないか? 理聖舎に福岡城山に、ヨコガクに花咲徳政だぞ」

「まあチーム名を見るなら、ここが一番厳しそうだな」


 色々と予想はしてみたものの、まずは一回戦である。

 青森明星は、青森エクスプレスという変な異名がついている、エースで有名なチームである。

 いや、元々の意味は「速い」なのだから、逆にそのままとも言えるが。


 最速154kmを記録している本格派エースが相手だ。

 ただ球速だけなら、ユーキとそんなに変わらない。

 武史の160kmオーバーを体験している三年生は、数字だけで威圧されることはない。

「センバツでも春の大会でも夏の大会でも、まあストレートとスライダー、あと微妙な感じのカットボールが武器だな」

 カットボールの速度があるので、これで凡退を取っていくタイプらしい。

 スライダーは間を取るために使うもので、あまり武器にはしていない。


 センバツでの敗因は、やはり決勝までかなりを一人で投げたことによる、スタミナ切れか。

 球数はちゃんと調整していたようだが、それでも体のキレが悪かったのか、球速が決勝ではやや落ちていた。

 それでも明倫館から、三点しか取られていないのだ。


 夏の大会で、体力の消耗は激しいかもしれない。

 だがこれが一回戦なので、既に消耗したところからのスタートとはならない。

「まあこのエース様が柱ではあるんだろうけど、バッティングもけっこく打ってるんだよな。ただ攻撃に関しては、けっこう粗い」

 だがその粗さがありながらも、センバツを決勝までは進み、夏も県大会を勝ち抜いてきたのだ。


 青森代表というよりは、東北でも五指に入るチーム。

 それが今回の対戦相手なのである。

 下手をすれば、いや実力でがっちり噛み合っても、負けるかもしれない相手。

 せっかく甲子園まで来て、初日で敗退というのはご免被りたいが、それは相手も同じことを思っているだろう。

「試合までの練習は、完全に青森明星を想定したものに絞るからな」

 秦野の言葉に、選手たちは「はい」とはきはきと答える。

 少なくともそこに、弱気の虫は感じられなかった。


×××


 ちなみにトーナメント表はサイコロ転がして作りました。マジで。

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