第130話 バッティングピッチャー

 今年の白富東は、全国制覇の有力校ではあるが、本命でも対抗でもない。

 やはり一番は、春のセンバツを制した明倫館であろうか。

 それとも関東の雄、帝都一か横浜学一であろうか。

 大阪光陰でないことだけは確かである。

 なにせ府大会で普通に負けてしまったので。


「大阪光陰って負けるんだな……」

「そりゃ去年の秋だって負けてただろ」

「あれはでも蓮池の怪我があったからだろ?」

「それにしてもまあ、超強豪区の大阪なんだから、負けることだってあるだろ」

「でも俺が中学に入った頃からは、ずっと夏は大阪光陰だったぞ」


 だいたい夏の大会は、各都道府県から一校なので、かなり候補が限定されるのだ。

 東京と北海道は、地区が二つに分かれているが。

 強豪地区と言っても、結局は私立の数校に絞られている場合が多い。

 東東京などは強いチームは多いのだが、それでも帝都一が圧倒的に強い。

 あとは神奈川も学校数が多く、優勝回数が多い。

 大阪は、大阪光陰の栄光の時代以降も、強いチームが複数ある。近畿地区のセンバツ枠は多いので、センバツには他の大阪のチームが出てくることもある。

 高知などは一強時代を瑞雲が終わらせたわけだし、青森は二強、埼玉は三強、栃木は刷新の一強などとも言われる。

 そんな自分たち千葉が、完全に白富東一強のわけではあるのだが。


 大阪光陰は準決勝で負けて、その負けたチームは決勝で理聖舎に負けている。

 なんだかんだ言って二番目に強いと言われる理聖舎が、久しぶりに夏に出てきている。

 春はけっこう出てきていることも多いのだが。


 この時期、どんどんと出場校が決まっていて、そして最後に決まったのが大阪である。

 北から見ていくと見知った名前が色々と出てくるが、初出場らしきチームもある。

 蝦夷農産、津軽極星、花巻平、聖稜、刷新、花咲徳政、前橋実業、帝都一、横浜学一、などなどなど。

「つーか神奈川とか愛知あたりも、二校出場でいいと思うけどな」

「あと大阪も。ついでに千葉もそうしてくれたらいい」

「そんで島根と鳥取を合併して、あと徳島と香川あたりも合併」

「それなら高知と香川の方が先じゃね?」

 他県のディスり具合がすごいが、確かに甲子園の県の格差は、政治における一票の格差にも似た、学校数の違いとして出てくるのだ。


 ちなみに、学校数が多ければ多いほど、普通はそれなりに強い代表が出てくるはずだが、その中では千葉は比較的弱いほうである。

 過去の記録だけを見れば、学校数の少ないはずの愛媛が、やたらと優勝回数が多かったりする。

 そして東北は、野球不毛の大地である。

 まあ準優勝までならあるし、優勝チームばかりの近畿でも、滋賀県だけはのけ者にされていたりもするが。


 そして全都道府県の出場校が決まると、やはり雑誌では、各代表校の戦力分析などを行ったりするわけだ。

 別にそれはいいのだが、ランク付けするような雑誌は何様かと思ったりもする。

 とは言っても白富東はそこそこ妥当なランク付けにされているとは思うが。

 投手力A、打力A、守備力A、総合がA+である。


 今年のチームの中では、総合力評価がSのチームは帝都一、横浜学一、明倫館の三校になっている。

 関東大会では優勝した横浜学一に対して、帝都一よりも白富東の方が健闘したのだが、ひょっとしたら帝都一には何かの配慮が働いているのかもしれない。




 あちこちに挨拶回りで出かけることが多い野球部であるが、当然ながら練習を減らすわけにはいかない。

 石黒も怪我から復帰して、最後の夏のスタメンを取り戻そうと懸命である。

 優勝候補の本命とまではいかなくても、有力校で人気校である白富東は、当然ながら取材も入る。

 セイバーの頃は完全にシャットアウトすることもあったが、現在は状況を外から見る彼女に、マスコミを味方につける意味も分かってきている。


 面倒な相手も多いが、中にはこれ以上にない練習相手もやってきたりする。

 別名パーフェクトピッチングマシーン。

 どんな変な球でも投げられますよと、直史がやってきたりするのだ。 

 あと大介や岩崎、プロに入った者からは、差し入れが入ってきたりもする。


「つーわけで自信を叩き折らない程度に投げてやってくれ」

「俺は単に遊びに行く前に顔見せに寄っただけなんだけど……」

「言ってくれるな。今年は本当に厳しいんだ」

 明日からは友人たちと一緒に、房総半島の海水浴場に泳ぎに行く予定なのだ。

 当初予定より人数が増えてしまい、車を二台増やすことになってしまったが。


 おおあれが、といった感じで、遠巻きに眺めている者も多い。

「それならタケも一緒に連れて来た方が良かったですかね」

「いや、あいつのストレートを打っても参考にならないし」

「でしたね」


 プロに行けばレジェンド確定と言われつつ、アマチュアの時点で既にレジェンドになってしまった直史は、最強のバッティングピッチャーである。

 苦手なコースに投げてその対策を練るにも、打ちやすいコースに投げてさらに自信をつけさせるにも、最適のピッチャーと言える。

 そして中には身の程知らずの要求をしてくる者もいるだけで。

「一打席だけでいいんで、真剣勝負してもらえないっすかね」

 宇垣である。

「真剣勝負なら四打席は必要だろう」

 受け流すことを身につけた直史である。




 キャッチャーはなんと上山ではなく秦野が務める。

 そして審判を国立がする。

 こいつら、今の直史のピッチングを、間近で見たいだけではなかろうか。


 コンセプトははっきりしている。

 あえて苦手でもないコースで、打ち取ろうというものだ。

 直史はなんだかんだ言いながら、大学で球速をMAX152kmまで上げた。

 これは高校生では、おおよそ全国レベルでも上位の速球派と言える。

 だがそれでも直史は、変化球投手だ。


 直史と宇垣の対決は、一方的ではあるが、一方的すぎるものではなかった。

(わざと弱いところ狙ってこねえ)

 秦野がわざわざキャッチャーをやると言ったので、そこを攻められると思ったのだ。

 だが三打席目までは、事前の情報がないような組み立てで打ち取られた。

 三振こそなかったものの、内野ゴロが二つと内野フライ。

 さすがにピッチャーとしてのレベルが違いすぎる。


 ベンチ入りメンバーに、一人10球ほどは投げていって、最後はジャンケンで一番負けた悟である。

 よりにもよってこいつが最後か、と思う直史である。

 母校の試合はテレビでやっていれば、それはまあ見るのが当然の話である。

 そして悟は一年の夏から、白富東に定着していた。

 大介が卒業後の、三番打者として。


 白富東の打順は、基本的には三番打者最強論で作られている。

 だがこれは四番にも怖い打者がいることが前提だ。

 そして今の白富東は、五番まででの得点は打撃で取っている。

 六番以降も打率はいいのだが、そこからは基本的にセットプレイを多用している。

 出ているランナーを返すにしても、自分が出塁して五番までに期待するにも、三番は重要なバッターなのである。


 一人10球ではあるが、別に完全に抑えなければいけないわけではない。

 むしろある程度は打たせて、自信をつけさせてもらわないと困る。

 宇垣の場合は、調子に乗らないように四打席を抑えたあと、得意なコースに投げさせて気持ちよく打たせた。

 だが悟の場合はそんなに単純ではない。




 大介と悟は、同じ白富東の三番打者ということで、よく比較されることがある。

 だがこの両者のタイプは、共に持っているスペックが高いので似ているように見えるだけで、実は全く違うのだ。


 大介は誰が見ても、スラッガーである。ホームラン王を取っているのがそれを証明している。

 実際にただのホームランではなく、場外ホームランやスタンド最上段など、ピッチャーの心を折るようなホームランを打っている。

 ほとんどの場合は、打って当然という意識である。

 理想とすべきは、全打席ホームランである。


 悟も長打力は高いのだが、基本はアベレージヒッターだ。

 ランナーを返すことを最優先にして、また塁に出て相手のピッチャーを揺さぶるため、足も使う。

 ホームランにしても、場外までも飛んでいけというような、そんな打球は打っていない。

 高い打率を維持し、ランナーになったりランナーを返したりと、それが悟の意識である。

 ボール球でも無理矢理打ってしまう大介とは、そこが違う。


 ホームランは相手の球種を狙い打つか、失投を強く叩く。

 自分のパワーで持っていく大介とは、根本的に違うのだ。

 現在の日本の野球では、悟の最適の打順は一番なのかもしれない。

 ミート力が高いので得点力も高く、そのため三番に置いてあるが。

 つまるところはどこに置いても使えるレベルの打者であることは変わらない。


 直史のストレートを、審判の位置からユーキも見る。

 球速はそれほど直史と変わらないユーキであるが、ストレートの初球を、悟はファウルチップにしてしまった。

「回転数が違う?」

「それもあるが、回転軸をコントロールしてるんだな」

 あとは握りを変えて、わざとあまり回転しないようにも出来る。


 本格的にピッチャーをやってきて一年以上、ユーキはただボールを投げるというこの行為が、どれだけ奥が深いのか分かってきた。

 直史のそれは、おそらくピッチングにおける、世界で最高の技術だ。

 パワー任せのバッターであろうと、それを封じてしまうことが出来る。

 まさに神技とも言うべきレベルか。


 ほどよく凡退させて、ほどよく抑えた。

 さすがに真夏のマウンドで、200球以上投げた直史は疲労している。

 途中で休みを入れたとは言え、普通の試合の攻撃時の休憩よりは、よほど短かっただろう。

「お前、高校の時よりもスタミナ落ちたんじゃないか?」

 それでもこんなことを言われてしまう。


 スタミナと言うよりは、暑さに対する耐性である。

 なんだかんだと他のピッチャーが揃っていたおかげで、決勝前ほぼベストの状態を保てた直史であるが、甲子園では自分で全てを投げきる覚悟もしていた。

 今の大学野球は、リーグ戦は週末に一試合か二試合。

 トーナメント制も他のピッチャーがいるため、無理をする必要がない。

 もちろん高校時代も他のピッチャーはいたのだが、背負っているものが大学とは違いすぎる。


 試合に負けても終わりではない。

 負けてもすぐに次がある。

 レベルでは高校野球より高いはずの大学野球。

 その中でも特に高いはずの六大リーグだが、直史はそれを厳しいと感じたことはない。


 高校野球と違って次の試合までに時間があるので、平気でパーフェクトを狙っていける。

 怪我の心配や、負けたら終わりという緊張感もない。

 だから大学野球の方が楽だと、直史は言うのだ。

「次の試合のためのスタミナが必要だから、高校時代の方がスタミナはあったわけか」

 そう言われても秦野としては、そんなに都合よくスタミナの調整が出来るのかが不思議である。


 ただ、真夏の甲子園に比べれば、大学野球の方が消耗は少ないのは本当である。

 直史はこういうことでは嘘は言わない。

「今年の戦力で、最後まで勝てると思うか?」

 なので秦野も、もはや監督と選手という立場ではないため、こんな問いをすることが出来る。

 直史としても、小さな声で答える。

「少なくとも不可能だとは思いませんね」

 くじ運などもあるだろうが、それが正直な感想である。


 もう一度、頂点の景色を見たい。

 既に一度見ているのに、どれだけ贅沢なのだという話である。

 ただ直史も、それは分からないでもない。

 最後の夏の最後のマウンドは、倒れたせいでどうなったのか憶えていないのだ。

 その時の映像自体は、いくらでも残っているのだが。


 もう一度、あの景色を。

 見たいな、とは直史も思う。

 ただしそれはプロに行くとかではなく、もう一度高校野球をやり直したいな、というものだ。


 今のチームにはほとんど不満もないが、それでもやはり高校野球は特別なのだな、とは感じる。

 外部からも内部からも、色々と言われはするものの、決定的な改革がないのは、こう思う者が多いからだろう。

「監督はこの夏で最後なんですよね」

「ああ。次は東京でシニアの予定だ」

「また高校野球の監督はやりたいですか?」

「……一度やったらやめられないのが、高校野球の監督なんだよ」

 そういうものか、と直史は感じる。なんとなく、分からないではない。


 ジンは自分が体験する前から、それが分かっていたのか。

 あいつは色々と選手としての限界を口にしたが、一番よく未来を見ていたのではないか。

 帝都一の監督になれば、おそらくその景色を見ることは、かなりの確率であることだ。

「夏が始まるなあ……」

 汗だくになりながら、直史は呟いた。

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