第124話 甲子園への道

 部室の壁に貼られたトーナメント表を、マジックで太く塗っていく。

 白富東は初戦となった二回戦を突破した。

 同じように他の球場でも試合は行われていって、どんどんとチームが消えていく。それを見つめるのは耕作である。

(壮絶だなあ)

 春の時には思わなかったが、全ての県のチームが一つのトーナメントで戦うということは、こういうことなのか。

 特に千葉の学校数は多いため、毎日多くの三年生たちが、あるいは下級生たちも、涙を流しているというわけか。


 他の全てのチームの骸の上に立つのが、一校の代表。

 そして全国の都道府県の代表、わずか49校が甲子園の土を踏めるのだ。

 年によっては多くなったりする記念大会もあるが。


 既にその数は64校まで減っている。

 シード校はおおよそ問題なく勝ち上がっている。このままなら準々決勝で蕨山、準決勝でトーチバと当たることになる。

 研究班の人間は飛びまわり、秦野や国立、そしてコーチ陣は相手の分析を開始する。

「今はもう、夏の大会は全部ネットで中継してくれるんだよなあ」

「秦野監督の時代はまだだったんですか?」

「俺の最初の監督の時代もまだだよ。おかげでデータ収集がどれだけ大変だったか」

 そんなおっさんの回顧も交えながら、分析は進む。


 一通り次の対戦相手については終わった。

 なのでまず間違いなく準決勝で当たるだろう、トーチバの分析にもかかる。

 白富東と比べると、平均点ではほぼ等しいが、一部の戦力で突出している部分がない。

 ここで勝つなら必ず勝てるという勝機を見出せない。


 やはりトーチバには勝てる。

 問題は誰かが怪我をしないかだ。

 大会に入って、ベンチ入りメンバーは全員が、調整の練習のみをしている。

 そして合宿施設が開放されて、特に事情のない者はここに泊り込んでもいい。

 実際のところは練習時間も強度も減らしているので、普通に家からでも間に合うのだが。

 試合の前日には、早起きするのが面倒だという理由で、ベンチメンバーの多くが泊まる。

「いや、畑の様子は毎日見ないといけないんで」

 そういう耕作はブレない人間であった。

 実際のところは、雑草引きも三日に一回程度で大丈夫なのだが。




 宮武は泊り込んで、部員たちの体調までもしっかりと把握している。

 妹であるマナは、それを手伝っている。

「百間君、あれだけ投げても全然体重減ってないね」

「地味に凄いやつだな、あいつは」

 宮武も一目置くところは、地味なサーキットトレーニングを、弱音を吐かずに続けるところだ。

 さすがにこの時期にはそれは行っていないが、投げ込みはそれなりにやっている。


 甲子園で大活躍し、ドラフト指名されてプロに行くような、そういうタイプの才能ではない。

 だが大学までであれば、あの底抜けに頑丈で、スタミナと回復力に優れた肉体は、充分に通用するはずだ。

 もっとも本人は野球は、高校までで終わるつもりのようだが。


 宮武はキャプテンになってから、色々と自分なりに想像しながら、キャプテンの役割というものを考える。

 選手はひたすら自分と、試合での勝利のことを考える。

 もちろんキャプテンとしては、チーム全体のことも考えないといけない。

 だがキャプテンは、次に何を残すのかを考えるのだ。


 これまでに見てきたキャプテンは、倉田元樹と赤尾孝司。

 その前にはSS世代の化け物を管理していた、大田仁。

 今の世代のキャプテンを選ぶ時、またキャッチャーの上山になるのだろうと思っていた。

 だが秦野が選んだのは宮武であり、先輩たちも宮武に託し、同学年からもキャプテンとして扱われた。

 まあ宇垣や山村、大石といったあたりが問題児だったので、厳しく注意する宮武が適役だったということはある。


 キャプテンは、次の世代へと何かを伝える。

 だがそれが上手くいったかというと、自分でも疑問がある。

 現体制になってからの初代キャプテンとも言えるジンは、一年の時から野球部全体を再作成していった。

 倉田がそれを発展しながら引継ぎ、孝司は能動的にチームを動かしていた。


 宮武はとにかく、必死にするだけであった。

 実力ナンバーワンの悟や、正捕手の上山、それに信頼性の一番高い文哲が尊重してくれたことにより、宮武はどうにかキャプテンの職責を全うできた。

 もちろんまだ最後の夏の途中であるが、あとはもう走っていくだけという段階だ。


 後輩たちに何かを残せただろうか。

 同学年の体育科以外の部員とは、それなりに仲良く出来たと思う。

 あとはもう、栄光に向かって走り続けるだけだ。

 ……そう思っていたのに、妹のことが心配であったりする。




 マナはそれなりにツラのいい生まれである。

 女子としてはかなり背が高く、そのあたりで敬遠する男子もいるだろう。

 だが客観的に見れば、充分に可愛いらしい。

 短い髪は野球をしていた名残であるが、女子にもモテているそうな。

 キャプテンの自分にはそんな浮いた話はないのに!


 宮武の場合は部活にガチすぎて、引退までは告白をしないでいようと考えている、控え目な女の子が何人もいたりする。

 どうせ推薦で大学にも行けるのだろうから、女子に振り回されて残りの高校生活をエンジョイするがいい!

 そんな誰かの私怨はともかく、野球部が勝ち進んでいくのは、もう白富東の常識である。

 学校関係者は卒業や異動でいなくなっても、周辺の住民は知っている。

「朝、散歩してるとなあ。早い生徒が来て、もう練習してたんだな。その打ったボールがネットを越えて、わしの前に落ちてきてなあ」

 そんな大介のエピソードを話してくれるおっさんが、グラウンド周りには集まるのである。


 マネージャーとしてそんなお年寄りに話しかけられたりすることもある。

 地元民は元から、白富東の進学校としての実績は知っていた。

 単に頭がいいだけではなく、遊ぶのも上手い生徒が多かった。

 現在でも確かに体育科は存在するが、基本的には公立の進学校である。


 自分に関係ないとして趣味に没頭する者もいるが、お祭りに乗るのも上手い者が多い。

 大学とは違って、高校まではかなり、共同体としての意識が強いのだ。

 大学にまでなると規模が大きくなりすぎ、サークルやゼミでの関わりが大きくなる。

 白富東は過去に、いつも売り物にならない野菜を提供してくれる農家に、雑草取りなどでスタメンが畑仕事を手伝ったことがある。

 このあまりにも露骨なアピールは、ビジネスライクなセイバーではなくジンの発案であったが、農家を廃業する時には、その土地を安く譲ってもらえることにもなった。

 そんなわけで白富東の野球部は、地域に愛されているのである。

 ただ駅前のゴミ拾いはしなかった。




 ただ周りから見ていたり、話に聞いていただけでは分からない、野球部の実態。

 これらの人々との接触までもが、キャプテンの仕事の一つなのである。

 地元民は選手は応援しても、監督までは応援しないことが多い。

 とりあえず地元に愛される野球部は、気持ちよくプレイ出来る。

 兄の大変さを改めて知ると共に、草むしりまでそんな意味があったのかと、感心するマナである。

 なおグラウンドの草むしりの方は、除草剤で皆殺しだ。

 本当は芝にしたいのだが、あまりに維持が大変すぎる。


 そういった地味な作業もない、夏の大会期間。

 三年間で何を成したか成さなかったか。

 この時期に、一気に日本全国から、高校球児が減っていく。

 秋の大会の前には、また減ったりもするが、それでも引退する人数ほどではない。


 白富東は順調に、コールド勝ちで進んでいた。

 ただ他のチームも順調で、元々ベスト8相当と言われるBシードまではしっかりと準々決勝までは残っている。

 Cシードからは脱落が出ているが、それほどのジャイアントキリングはない。

「県ベスト8かあ……」

 クラブハウスに貼られたトーナメント表を見るたびに、違和感を抱いてしまう耕作である。

 中学時代は軟式で、県大会本戦に出られるだけで精一杯だった。

 だがこのチームにとって、ベスト8ですらまだ通過地点。それどころか甲子園出場すらも、まだ道の途中であるのだ。

 選手によっては全国制覇でさえ、まだ人生の半分以前と思っている者さえいるかもしれない。


 うなっている耕作の隣に、ひょっこりとマナが現れる。

「感慨深い?」

「う~ん……白富東に入るから、甲子園の応援には行くのかなぐらいは思ってたけど、自分が甲子園のベンチに入るかもしれないと思うと……」

 正直な耕作の返事に、マナは笑う。

「お兄ちゃんもベンチには入ってたけど、スタメン出場はほとんどなかったしね。けど百間君は出ると思う」

「俺? 甲子園のベンチは18人だから、外れると思ってたけど」

「ん~、まずキャッチャー三人は外せないでしょ? それでピッチャーは兼任も入れれば何人もいるけど、左は山村さんと百間君だけだしね」

「左って貴重なんだなあ」

 左というだけでこの優遇。左に生まれてよかった。


 そんな百間を、マナは覗き込む。

「百間君、少し背伸びた?」

「どうだろ? 体重は確かに増えたけど」

 農民筋肉の上に、アスリート用の筋肉が乗っかって、耕作の肉体は頑丈になっている。

「男の子は背が高くなるとかっこいいよね。女は背が伸びると可愛くないしなあ」

「そんなことないだろ。つーか今身長どんだけ?」

「165」

「普通普通。だいたい男のガチムチの筋肉に比べれば、女の子なんて華奢すぎるよ。なんなら片手で持ち上げられるぐらい」

「さすがにそれは無理じゃないかなあ」

「でも俺、60kgの袋、両肩に背負って普通に歩けるぞ」

 なおマナの体重は60kはないが、かなり近い。

 実際のところ、スポーツをやってる女子というのは、男が夢見ているよりは、よほど体重は重いのである。むしろマナは身長に比すれば軽い部類だ。 


 


 二人が何を話しているのか、ドアの向こうで聞き耳を立てているのは宮武である。

 こいつはアホかと、悲しい目でそんなキャプテンを見つめるのは、悟と宇垣だ。

「普通に入っていけばいいじゃねえか」

 悟は呆れるが、宇垣は呆れると同時に面白がっている。


 女の兄弟がいるというのは、こういうことなのか。

 たが宇垣は自分に似た、うざい妹しかいないため、宮武の心情は分からない。

 悟の場合は兄がいるが、北海道の大学に行っているので、最近は接触がない。

 なにせ長期の休みだと、冬以外は野球部でつぶれるので。


 杞憂を抱いて苦悶している宮武は、ぶつぶつと呟く。

「あんな男っぽい妹でも、妹は妹で心配なんだよなあ」

「え、マナちゃんは確かにボーイッシュだけど可愛いだろ」

「だな」

 発言者の悟と同意した宇垣に、宮武の猜疑の視線が向けられる。

「まさかお前ら野球部の禁足事項を」

「いや、普通に仲間の妹として、客観的に見て可愛いだろ。ちょっと俺のタイプじゃないけど」

「ボーイッシュとか言うけど、あれは充分可愛いと思うぞ。俺のタイプでもないけど」

 どうしてこいつらは、自分のタイプではないと、言葉の末尾にくっつけるのか。


 二人は宮武が目立ってモテない原因の一つが分かった。

 そもそもマナの入学前から、妹がいることは色々と話していたのだ。

 そしてマネージャーをやってもらて、今はこんな態度である。

 つまり宮武はシスコンなのだ。それ以外の何物でもない。

「オラ、さっさと入って用事すませるぞ」

 あえて空気を読まない宇垣の手によって、カップル未満のふわふわとした空間は破壊されるのであった。




 全ての夏の中で、この高校三年生の夏が、一番速く、そして思い出深いものになるのだろう。

 そんな予感をはっきりと感じながら、高校球児の夏はすぎて行く。

 勝てば勝つほど、負かしてきた相手の、怨念だったり希望だったり、とにかく思いを感じさせる。

 二年生の時などはかんじなかったこれが、三年の夏ということなのか。


 白富東は無事にベスト4までは勝ち残った。

 準決勝の相手はトーチバである。

 山の向こうには、上総総合と勇名館が残っている。

 上総総合は準々決勝で、三里を破っていた。


 まずだいたい、県内ベスト8には入るであろうチームの、代わり映えのしないラインナップである。

 良くも悪くも、お互いの手を知り尽くしていると言うべきか。

 ただ国立としては、三里と戦った場合、あちらの手の内を知り尽くしているので、むしろやりにくかったかもしれない。

 トーチバだろうと上総総合だろうと勇名館だろうと、そのあたりには容赦なく対応出来る。

 三里にいたころは白富東も含めて、必死で倒そうとしていた相手だ。


 ただこの間に、ちょっとしたアクシデントもあった。

 このところはセカンドに入ることが多く、大会序盤ではピッチャーもやった石黒が、怪我で全治一週間となったのである。

 軽い捻挫で、テーピングをすれば出られなくもないのだが、県大会で優勝すれば、甲子園には間に合う。

 そこでセカンドに入ったのは、やはり数イニングはピッチャーとして投げた花沢だ。


 内野としても、花沢の肩はあまり強くない。

 ただしそのグラブ捌きはたいしたものだし、セカンドとしての状況判断もたいしたものだ。

 このわずかな違和感を抱きながらも、白富東は準決勝を戦うことになったのである。


×××


※ この作品においては千葉県代表が増える記念大会は基本ありません。

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