第145話 計算違い

※ 本日のお話は時系列的に大学編150話の方が先になります


×××


 夏の甲子園も残る試合はあと三つ。

 準決勝第一試合が、白富東と早大付属。

 第二試合が蝦夷農産と仙台育成。

 残ったチームが全て東日本という、少し珍しい状態ではある。

 そして準々決勝の試合を全て見終った秦野は、難しい顔をしていた。


 仙台育成のエース黒川は、センバツでも対戦しているが、全く別のピッチャーになったように感じる。

 まず球速が増したのはいいのだが、球種が明らかに変わった。

 前はストレートとスプリット、そして大きなカーブに加えて、チェンジアップを使っていたはずだ。

 スライダーを新球種として使えるようになったのは分かるが、カーブとチェンジアップはどうしたのか。

 チェンジアップは緩急をつけるために、絶対に必要なはずだ。

 色々と試行錯誤したのかもしれないが、どうも今のコンビネーションの方が、三振は取れているらしい。

 それにここまで使っていないチェンジアップをいきなり使えば、効果も絶大になる。


「まああちらの事情はともかく、果たして準決勝に投げてくるかか……」

「球数を考えると、準決勝を130球程度に抑えても、70球ぐらいしか投げられないと」

「実際は一試合に、もっと球を投げてくるだろうけどな」


 そうやって準決勝で疲労した相手と決勝で当たるなら、ずいぶんと楽になるのだが。

 まさかとは思ったが延長まで投げきってしまったことで、疲労はかなりのものになっているだろう。

 蝦夷農産を相手に、どれだけ抑えられるだろうか。

 あそこはバッターのパワーは、桜島に似たものがある。

 だが桜島に比べれば、粗い部分も随分とあるのだ。


 二番手のピッチャーでも、それなりに抑えられるかもしれない。

 そしてリードして終盤を迎えれば、そこだけをエースに任せる。

 準決勝と決勝の間にも一日の休みがあるので、そこでどうにか回復出来ないか。


 どのみち一度は倒している相手であるし、エースが万全かは難しいところだ。

 それよりは桜島の北国版である蝦夷農産の方が、いろいろと爆発したら怖いかもしれない。

「まあとりあえずは、明後日の早大付属の攻略が先だな」

 夕食後のミーティングを前に、秦野と国立は分析を開始する。




 早大付属のエース成沢は、サウスポーである。

 ストレートのMAXは150kmに満たない程度であるが、伸びのある球を投げてきてコントロールがよく、スライダーを混ぜてくる。

 スライダーは変化量はそれほどでもないが、ストレートとの球速差が少なく、空振りを取れる程度には変化する。

 時々チェンジアップを混ぜるが基本的にこれは低めに外れる。


 厄介なのはこの三種類の球種を、ピッチトンネルを合わせて投げてくることだ。

 バッターの反応出来るぎりぎりの距離まで、球種が分からない。

 ストレートかスライダーに狙いを絞り、チェンジアップを捨てていく度胸があれば、どうにでも出来るのだろう。

 だがそれは高校生レベルには難しいことだ。


 強打者で巧打者の悟と、あの体格で意外と器用な宇垣を除くと、かなり狙いを絞っても打てる可能性は低い。

 それに狙いを絞っても、それを信じて振り切ることが出来るか。

 あとは中途半端に対応出来そうなので、結果的にクソゴロやクソフライを打ってしまうこともある。

「サウスポーか……」

 そう呟いてから、秦野は電話をかける。

 けっこう長い時間をかけてから、向こうが出る。

「もしもしオレオレ」

『オレオレ詐欺をわざとらしくする必要ないですから。それで何の用です?』

 どうやらかけた相手は直史であるらしい。


 直史は怒っていてもかなり平静な声を装うが、今日のそれには不機嫌さが滲み出ていた。

 ちょっと珍しいな、とそれを聞いていた国立は思う。

「明日の練習で、またバッピしてもらえるのかな~、なんて」

『分かりました。午後に行きますから、場所はメールしてください』

 そしてぴしゃりと切ってしまう。

「よし、右だけどあいつなら上手く調整してくれるだろ」

「ずいぶんとあっさり承諾してくれましたね」

「合戦中だったんだろ。少し息が荒かったし」

「……」

 もちろん合戦中の意味が分からない国立ではない。


 秦野は年末年始で直史が地元に戻ってくると、少しは会って話すこともある。

「酔っ払うとあいつ、笑い上戸になって口が軽くなるんだよな。そん時に聞いた話だと、夜間運動どんだけの頻度でやってるかって話とかもしてさ」

 最低である。

「高校時代はさすがにアレだけど、大学入ってからは用事がない限りは毎日で、次の日が休みだと朝までやってるとか、どんだけ性欲強いんだって話だよな」

 本当に最低である。秦野はともかく、直史は意外な国立であったが。

「そういうことは聞かなかったことにしてあげた方が」

「あいつの弱み握っておくと、絶対にどこかで役に立つからな」

 これ以上はなく最低であるが、秦野の采配には、そんなどぎついところもある。

「性欲強いんですか……」

「つーか体育会系なんてそんなもんだろ」

 つまり秦野も若い頃はそうであった、と。

 あまり比較したことはないが、国立の家庭はそこまで過激ではない。




 翌日、とりあえず体を動かしたあと、守備練習と打撃練習を行う。

 ここまでくるとピッチャーは消耗している場合が多いので、投球練習は行わずノースローというのが、普通のチームの常識である。

 白富東はここまで、四人のピッチャーを上手く回すことによって、投手力にはかなりの余裕がある。

 キャッチボールに20球程度の軽い投げ込みで、調子を確認するだけだ。

 バッピをやるのは、直史だけである。

 三年の兼任ピッチャーにやらせてもいいのだが、どうせ左利きはいないし、ピッチトンネルを潜らせる技量の持ち主もいない。

 文哲は昨日投げているし、そもそも左投手でもない。

 山村はカーブは明確にストレートと分かれているので、仮想敵には使えない。


 直史もまた右利きであるし、左手で投げさせたらスピードが足りない。

 それならどうするかと言うと、プレートの端に立ってもらって、そこからストレートとツーシームで、左投手のスライダーを再現するのだ。

 ピッチトンネルを通すことは、直史にとっては普通に出来ることなので。


 ストレートとツーシームとシンカーで、色々と試してみる。

 何この人、本当に人間? という顔を現役の高校生たちはしてしまう。

 大学野球と言うよりは、直史のレベルが傑出しているのだが、こういう人がプロに行かないというのは、野球界全体にとっての損失だと思う。

 ただそんなことを言うと「最大多数の最大幸福の中に、俺の幸福が入ってないからなあ」と直史は韜晦するのである。


 重要なのは変化量やサウスポーということではなく、それがどれだけ見分けにくいか、ということだ、

 甲子園の準決勝まで辿りついた、サウスポーで150km近くを投げるピッチャー。

 当然プロ志望であろうし、スカウトも目をつけているだろう。


 だが休憩中に直史に聞くと、あの程度ではまだまだ全く足りない、と映像も見た上で断言するのだ。

 直史はプロの世界に入ってはいないが、プロの最大戦力を完封してしまった。

 そしてWBCでは各国のメジャーリーガーとも対戦している。

 なので実力を測る上では、一番適した人間とも言える。


 高校時代と大学時代、多くのプロ入り選手を、見たり対戦したりしてきた。

 そんな直史に、今の白富東からプロ入りしそうな人間はいないかと聞いてみる。

「水上がドラ一レベルですね。あと宇垣がいい感じじゃないかと」

 悟は確かに、甲子園通算ホームランが、もう少しで歴代二位タイとなる。

 あるいは準決勝と決勝の試合次第では、二位にまで上がるかもしれない。

 さすがに一位は無理だ。成績がバグっている。チートどころの騒ぎではない。




 悟は秦野も納得だが、宇垣もであるのか。

 確かにこの大会もホームランを打っていて、打撃好調ではある。

「と言うかプロで通用するかどうかは、才能とか能力じゃなくて、性格だと思いますけどね」

 プロに行った人間で、今一軍にいる人間は、個性が強かった。

 二年目まであまり活躍していなかった本多が、今年は主戦力になっている。

「ものすごく忍耐強いか、死ぬほど練習好きか、死ぬほど生意気か、この三つのうちのどれかがないと、どうも成功しないみたいですよ」

 直史はやや歪だが、その三つの全てを持っている。


 他には明日の準決勝だけでなく、決勝のことも聞いてみる。

 仙台育成と蝦夷農産、どちらが勝つのか。

「勝つのがどちらかは知りませんけど、仙台育成のエースのためには、準決勝で負けた方がいいでしょうね」

 そのあたりは秦野と国立と同じ見立てらしい。


 県大会も終盤からは、ほぼ一人で投げてきているエースの黒川。

 センバツには攻略している相手だが、使用する球種が変わっている。

 15回まで投げてしまうと、おそらく疲労が一日では抜けない。

 プロが中六日でシーズンを投げることを考えれば、それぐらいの時間をかけなければ、疲労は回復しないはずだ。


 高校野球の甲子園で、決勝ぐらいまで投げて燃え尽きるというピッチャーは、それなりに多いのだ。

 おそらく黒川のためを思えば、準決勝では負けておくべきだろう。

 そのみち疲労が抜けていない状態では、白富東と当たっても勝てない。

 蝦夷農産のバッティングは粗いので、そこに賭けてみるか。

 だがそれでも中三日で、決勝に投げてくることになる。

 直史のような、手を抜いてもコンビネーションで打ち取れるピッチャーではないので、決勝に勝ち進んできても勝てるだろう。


 それよりも重要なのは、明日の準決勝だ。

 午前中直史は、その練習を見てきたのだ。

「成沢の他にも二年と一年に使えるピッチャーがいたから、むしろこの準決勝の方が、勝負としては厳しいかもしれませんよ」

 それは秦野も思った。

 それほど得点を取れないだろうし、継投してもある程度は点を取られる。

 ここでピッチャーが消耗したら、決勝では白富東も満身創痍で戦うことになるのかもしれない。


 ピッチャーの心配を一番しなくてもいいのは、実は蝦夷農産かもしれない。

 それほど傑出したピッチャーがいるわけではないが、それでもしっかりと四人のピッチャーで、甲子園を回している。

 バッティングの援護が大きいので、エースをちゃんと休ませているのだ。

 それに球速は二年生のピッチャーが一番速く、それを最後に持って来るという、白富東に似たピッチャーの使い方である。

 もっともあちらはサウスポーは、普通のが一人いるだけだが。


 あと二試合。

 明日の試合を勝つ前提で考えても、秦野が指揮する白富東は、あと二試合だけである。

「国体は国立先生が?」

「ああ、まあ全国っていっても甲子園に比べると、どうしてもおまけっぽくなるからな。今のチームなら勝てるとも思うし」

 三年生の中には、かなりの人数が甲子園で野球を卒業する。

 だが今の三年はプロ志望であったり、大学への推薦が決まっていたり、主力の大半は受験とは関係ないのだ。


 不思議な感覚の直史である。

 自分たちが二年生の時は、推薦で決まっていた数人の三年以外は、全員が受験に専念しだしたものだ。

 それでも国体は優勝できたし、翌年も国体を制して、珍しい連覇などを果たしたものだ。


 秦野がいなくなると、もう野球部で、直史が現役時代のことを知る者はいなくなる。

 敵として戦った相手ならば、国立がいるのであるが。

 ただまた、北村が上総総合の後は、白富東への異動を希望する路線は決まっている。

 直史は地元に残るわけだし、たまには練習を見にいこうかな、などと考えている。

 法科大学院の二年間と、その後の司法修習の一年は、そんな暇もないだろうが。


 つまり直史も瑞希も、来年は甲子園を見に来る余裕はない。

 白い軌跡の続きは、ここで終わりだ。

「難しいけど、最後まで勝ってほしいですね」

 自分も感傷を抱きながら、直史はそう呟いた。

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