第109話 実戦で実験

 かつて千葉県の代表的な二強と言われたのは、トーチバと東雲の二校であった。

 勇名館の甲子園初出場と、その後の白富東の栄光、三里という公立の躍進などもあり、そのうちの東雲は、やや影が薄くなっていた。

 ただこの春の大会は勝ち進み、ベスト4で白富東と当たる。

 サウスポーエースの正木は一冬で成長し、MAX146kmのキレのいいストレートと、スライダーとツーシームを投げ分けてコンビネーションを作る。

「というわけで、あんまり速くなくて緩急も使ってこないタケだ」

 秦野の身も蓋もない言い方に、三年生は笑ってしまう。


 東雲も変わったものである。

 かつては全員坊主が当たり前の、古く懐かしい野球をしていたものであるが、金をかけて時間はかけず、甲子園を制覇する白富東が現れてしまった。

 こんなことをやっていても強くはなれないし、上に大学もない東雲では、選手のその後のキャリアを考えても、あまりいい未来を描けない。

 そこで監督交代に伝手を使って、選手を集め直して、制度も変えたのが現在の東雲だ。

 あの丸坊主を懐かしく思う者がいるのかと言えば、いない。

 東雲がトーチバと覇権を賭けて争ったのは、おおよそ10年にも満たない期間だ。

 学校自体はそれ以前からあったのだが、野球名門と言うには、それほどの歴史はなかった。

 だからこそ改革も、スムーズにいったというわけであるが。


 秦野は元は神奈川の指導者であったし、国立が現役の頃は、ようやく二強と呼ばれていた頃だ。

 東雲とも対戦したことがある。監督としても対戦し、その時には勝った。

 白富東はなんだかんだ言って、資金的なバックアップが潤沢であったが、本当に普通の公立である三里が東雲を倒し、甲子園に行ったことが、改革の最後のきっかけになったのかもしれない。

 ただ強豪は強豪なりにl、やはり金は使ってくるし、伝手で選手も集められる。

 正木はコントロールの悪さを高校の二年間をかけて矯正され、ついに最後の夏で甲子園行きを狙うのだ。


 はっきり言ってしまうと、甲子園行きを狙うなら、来年である。

 秦野が認めているように、白富東は年々弱くなってきていて、悟と宇垣のドラフトレベルのバッターが二人抜けると、来年はこの穴を生めるバッティング面の人材がいない。

 されに左右のピッチャーが抜けてしまい、計算出来るのはユーキだけとなる。

 もちろんそのユーキは全国レベルのピッチャーであるのだが、左は一年まで含めても耕作しかいない。


 白富東の後塵を拝しつつ、設備やスカウトに力を入れてきた私立。

 それに対抗出来るだけのチーム力は、おそらくはない。

 だが、今年はまだ強い。

 遠慮なく倒してしまって、夏の前哨戦としよう。




 本日の先発は、実質的に白富東のエースになりつつあるユーキである。

 一年生の時から甲子園を経験しているというのも大きいが、彼は異色な白富東の中でも、かなり異質な人間である。

 野球に必要以上の価値を認めていないという点で、彼は直史よりも、武史よりも、エースらしくはないピッチャーである。

 ただ実力だけは本物だ。


 一冬を越え、センバツも経験し、ベスト8という白富東としては最も甲子園では悪いタイの早さで敗北してしまった。初出場の時、大阪光陰に負けたセンバツである。

 もっとも、その一番早い敗北の後に、白富東の栄光は始まったのであるが。

 甲子園初出場から、二度以上は必ず勝っているということを考えると、逆に白富東の甲子園での勝率はすごい。

 武史たちの優勝した夏までに限れば、勝率は九割を超えている。これが四連覇というものだ。

 純粋に実力があるというのもそうだし、クジ運もある程度はあるだろう。

 とは言っても一回戦から桜島と当たり、次にSランクの名徳と当たるなど、SS世代が二年の夏も、楽な対戦相手などではなかった。

 この間の春のセンバツも、結局負けた明倫館が優勝したので、甲子園で負けた相手は、大阪光陰、春日山、帝都一、大阪光陰、明倫館と、全て優勝したチームに負けている。これは凄い。


 センバツのベスト8にしろ、かなり実力は拮抗していた。

 弱くなった弱くなったと散々言われても、それでも全国レベルの強豪であることは間違いない。

 そんな強豪において、ユーキの球速は二年のこの時期に150kmが出ている。

 去年の夏、一年生だった蓮池が150kmを投げるのを見て、それなりに思うことはあったらしい。


 ピッチャーがいい時、白富東はやはりその力を最大限に発する。

 初回を三者凡退で抑えてくれる、立ち上がりのいいピッチャーがユーキである。

 そして一回の裏、白富東の攻撃が始まる。




 散々に一番バッターの心得を言われ続けた大石は、とりあえず初回の先頭打席は、我慢をするようになってきた。

 この日も追い込まれてから高い内野ゴロを打って、俊足を活かして内野安打となる。

 二番はキャプテンの宮武。バントも出来れば犠打も打てる、万能型の選手である。

 ヒットエンドランは失敗。純粋な進塁打となって、ワンナウト二塁。


 そしてここで、プロも注目の小柄なスラッガー水上悟。

 左対左ということで、勝負をしたのは安易であった。

 わずかに甘く入ってきただけのボールを、センターのフェンスを越えるホームラン。

 一番深いところに放り込んで、本人は涼しげな顔である。


 夏までにはまだ時間がある。

 残り二ヶ月。その時間をどのように使うかで、最後の夏がどこまで続くのか決まる。

 最後まで勝ち残りたい。

 無敗のままで終わりたい。

 だが優勝するのでもなく、ずっとあの場所で闘っていたい。

 三年生の選手はそう思うらしい。


 初回に二点を先制した白富東が、試合のペースを握った。

 東雲もユーキのストレートにあえて狙いをつけたらしいが、ヒットは出てもランナーもなかなか進めない。

 しっかりとアウトを重ねて、傷口が大きくなるのは防ぐ。

 そしてあせりからか、エースの投げる球も、かなり強引なものになってしまう。


 こういう時に、本当に粘り強く投げて、味方を鼓舞するのがエースの役目だ。

 だがピッチャーとしての資質が、こういう時に問われる。

 あとは逆境におけるメンタルを、どう育てるか。

 だいたい昔からのやり方では、普段からの練習で精神的に追い込んで、メンタルを鍛えようとする。

 だがそのやり方では先に潰れてしまう者も多い。

 追い込みによる鍛え方というのは、あれだけのことに耐えられたのだから、ここでも耐えられるというものだ。

 だが白富東はそんなやり方はしない。


 事前に事態を想定して、それに対処することを考える。

 どうしようもない時はどうしようもないから、バックを信じてフォアボールとホームランだけは防ぐ。

 おおよそ内野ゴロがヒットになるのは、半分ぐらいが運である。

 外野に飛んでも野手の正面ということはあるので、大介ぐらい化け物なバッター以外は、基本的に単打までに抑える意識でいいのだ。


 


 フォアボールで先頭打者を出す。

 ピッチャーにとって一番まずい崩れ方だ。

 ここをさっと修正出来るのが、優秀な指揮官であり、優秀なキャッチャーである。

 だが東雲はそれに失敗した。


 ランナーが悟だったというのも大きいが、サウスポーに対して、わざと見えるように大きく動く。

 これでボークが取れたら最高なのだが、注意をある程度引くだけでも充分だ。

 そして意識が分散して、甘い球が行く。

 四番の宇垣が、また大きな一発を打った。


 三番に最強の打者を置く場合は、その後ろにも強打者を並べる必要がある。

 それによって三番打者の敬遠が少なくなり、勝負してもらわなければいけないからだ。

 その点宇垣のような、前の打者が敬遠なり勝負を避けられて自分との勝負を選択した場合、発奮して高打率を残すバッターは強い。

(あいつはあいつでプライド高いよな)

 そのプライドがあった上で、悟を認めているのだから、別に仲がいいわけではないが、理想的な三四番である。


 ここからまだ打線がつながっていく。

 一挙五点を得て、七回までに8-1でコールドを決めた。




 メンタルを鍛えるなどと言うから、ふわっとしたものになってしまうのだ。

 ユーキの場合は状況に動じず投げられる、元々の精神性があるため、窮地に陥ってもさほど困らない。

 文哲はどんな状況でも乱れないし、山村はむしろ攻撃的になる。

 この中では一番、山村が逆に炎上することが多い。

 そのあたりの感情のコントロールを、夏までに身につけることが出来るか。


 決勝の相手は、またも変わらないトーチバとなった。

 勇名館が上がってきたと言っても、上に大学のあるトーチバは、県内最強の私立ではある。

 決勝まで進めれば関東大会の進出は決まっているので、この試合では色々と試すことが出来る。

 万全の体制で挑んでくるトーチバには申し訳ないが、試すには絶好の機会である。


 先発には三日前には勇名館を相手に、184球を投げた耕作である。

 さすがに翌日はノースローであったし、昨日は試合後に軽く調整しただけなのだが、少なくとも異常は全く感じないらしい。

 それどころかキャッチャーをしている上山によると、今日は最初からいいボールがきているとのこと。


 体が頑丈すぎて、あのタフな試合で投げたことが、適度なトレーニングになったのか。

 ありえない話である。消耗した分の体が回復するのには、もう少し時間がかかる。

「むしろこの間よりも肩は軽いです」

 こいつは一般的に分かりやすい才能は持っていないが、体質がそもそも運動に向いているのか。

 ただ瞬発系の能力が大きな要素を占める野球では、むしろ本領を発揮できていないのではないだろうか。

 だが延々と地味な作業を繰り返す、スタミナが必要な競技となると、パッとは出てこない。


 働き者の肉体。

 まさに農作業によって鍛えられた、持久力が備わっている。

 そして暑さの中でも動けるのは、完全に夏向きの肉体と言える。




 トーチバはさすがに、手堅く点を取ってくる。

 先攻で初回からランナーを出すと、ツーアウトにしてでも二塁に送り、まずは先制と手堅い野球だ。

 そして四番にタイムリーが出て、まずはあっさりと一点。

 ただここで耕作は全く崩れない。


 内野ゴロでスリーアウトを取った耕作の背中を、ポンと上山が叩く。

「球はいいよ。テンポよく投げていこう」

「はい」

 今の白富東にとっては、トーチバ相手でも一点差なら、別にどうということもない。


 ツーアウトから悟が選んで塁に出て、あっさりとスチールを決める。

 するとバッテリーは宇垣と敬遠気味に外で勝負した。

 準決勝でも一発打っているので、警戒したのは分かる。一塁が空いているというのも分かる。

 だが初回からランナーを二人も置いて、やはり長打の打てる上山に回すというのはどうなのか。


 上山もまた、長打力は高い。

 特徴としてはケースバッティングよりも、フライ性のボールを打つことに長けている。

 この場合は一発放り込むのが最高であったが、そこまではいかなくてもレフトオーバーの長打を放った。

 宇垣は筋肉デブであるが、動けるデブだ。

 一気にホームベースまで帰って、先制されたその裏に、逆転をする。


 その後さらに一点が入って、二点のリードをもらった耕作は、二回のマウンドに登る。

(けっこう打たれてるのに、よく使ってくれるよなあ)

 そう思いながら投げるボールは、やはり準々決勝の疲れなど全くなく、むしろキレが増している。

 そしてナチュラルに手元で変化する。


 決して、今の段階で安心して見ていられるピッチャーではない。

 だが球速を130kmまで上げて、例のスライダーが安定すれば、少なくとも全国に出しても恥ずかしくない程度にはなるだろう。


 この後、二回の表も三回の表も、一点ずつを取られた。

 その後は継投であるのだが、白富東も追加点を二点入れている。

 県大会の決勝なのに、ずいぶんと実験的な起用である。

 関東大会出場が決まっているので、むしろ開き直っているとも言えるか。


 四回の表からは、精密機械のようにコンビネーションを駆使する文哲。

 その安定したピッチングを見つめる耕作は、道のりのはるか遠くを思いやるのであった。

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