第169話 挑戦者へ
どうしてこうなった。
耕作は脳内で何度か叫んで、そして諦めた。
過ぎたことはもうどうしようもない。
そして自分はまだ生きているし、試合も終わっていないのだから、投げるしかないのだ。
少なくともこの打者一人には投げなければ、交代することも出来ない。
二年の八巻と長門は、球速自体は耕作よりも速い。
コントロールはどちらもそこそこで、耕作の方が上だろうか。
そして持っている変化球では、確かに耕作の方が上である。
甲子園での耕作の防御率は、ひどいものであった。
それでも試合は打線が爆発し、史上稀に見る打撃戦となったのだ。
最後にはユーキがクローザーの役割を果たし、二年ぶり三度目の優勝。
栄光の舞台に、一年の夏から立つことが出来た。
ただ、だからといって急に何かが成長したわけではない。
夏の甲子園を最後まで戦ったチームは、当然その次の新チームの始動が遅れ、まさに白富東は戦力が低下している。
正確にすると戦力の適切な運用が出来ていない。
この試合でももっと得点のチャンスはあったのだが、最後の一歩が押しきれなかった。
誰が悪いなどと言うつもりではないが、主軸が上手く機能していないのは、やはり監督の采配の問題でもある。
だが動いている選手や、ベンチから見たとしても、国立の指示は的確なのだ。
どの選手も、全力を尽くしている。
だが当たりが運悪く、野手の正面に飛んでしまったりする。
ユーキがぎりぎりでホームランを打って追いついたが、それがピッチングに悪影響を与えてしまった。
それでもあの場面では、打っていくしか方法はなかった。
そして狙い球を指示したのも、国立であったのだ。
監督のせいにはしたくない。
耕作の頭にあるのは、とりあえずそれだけだ。
二番打者への第一球、まずは外に外した。
バットを引いて見送ったが、動作は明らかに送りバントのそれ。
ここでやってくることは間違いないだろう。
セイバーメトリクス的には、ノーアウトランナー一塁からは、送りバントをしない方が、一点の期待値は高くなるとも言われている。
だがそれはバントをする打者と、後に続く打者の能力を、全て平均化したものだ。
確実に決めてくるのなら、送りバントも使うだろう。
ここは素直にさせて、ワンナウトを取る。
送りバントは一塁側で、ファーストが前進し耕作が一塁のカバーへ。
しっかりと一塁はアウトにしたが、キャッチャーの塩谷も普通に一塁に送る指示しか出せなかった。
大事な場面で確実にバントを決めてくる。
先ほどはユーキの球威に失敗したが、トーチバは四番でもバントをしてくるチームだ。
重なる白富東の覇権を覆すために、戦術もドライなものになっていったのだ。
問題はここからだ。
三番も四番も、共に高打率のバッターである。
特に三番は内野安打もそこそこ多く、足でヒットを稼ぐことが出来る。
注目するのは五番かもしれない。
犠牲フライを打った代打に対して、すぐに守備固めの選手を出してきた。
おそらくバッティングはさほど期待できないであろう。
だがまだ代打要員は、トーチバならいるはずだ。
スタメンには劣るかもしれないが、打撃力だけの選手というのも、まだいるかもしれない。
さすがに全てのベンチ入りの選手の、データがそろっているわけではないのだ。
これまで全く公式戦を経験していなくても、試合に出すことが出来る。
トーチバの層の厚さは、やはり白富東よりずっと上だ。
だがそれを嘆いているばかりではいけない。
何よりそんな先のことより、問題は目の前の三番打者だ。
勝負をしないという選択はありだろうか。
歩かせて一塁を埋めて、四番と対決する。
ホーム以外のどこの塁でもアウトが取れるようになるし、ここは一点を惜しむ場面だ。
ただ、もしそれをやってしまうと、俊足の二塁ランナーが、三塁盗塁をしかけてくるかもしれない。
耕作はサウスポーの選手にありがちだが、二塁ランナーへの牽制はあまり上手くない。
盗塁の上手い選手などは、サウスポーからは二塁へより、三塁への盗塁の方がやりやすいという者さえいる。
歩かせるという選択肢はない。
勝負だ。
カウントを稼ぐためにはどうすればいいか。
右打者であるこの三番には、耕作はそこそこ内角にも投げやすい。
スライダーも使っていけるだろう。
だがどう組み立てるのか。
塩谷としても迷うところだ。
国立からある程度は攻め方を聞かされているが、最後のところでは自分で判断しないといけない。
ベンチの中の国立は、最前線まで出てきてじっと試合を凝視する。
ここから何をどうすればいいか、もう指示することは出来ない。
あとは見守って、勝っても負けても選手たちを労わるだけである。
とりあえずはまず、ストライクカウントを取りたい。
魔球に近いとも言われる、落ちずに変化数スライダー。
初球からこれを投げる。
さすがに初球から、これを打たれるとは思わない。
右打者へのスライダーを、耕作は投げた。
そして打たれたが、ファールグラウンドへ飛んでいく。
右バッターにとっては、やはり当てる程度ならば簡単なのか。
ならば次はサイドスローを活かして、シンカーを外に投げるか。
読まれていそうな配球ではあるが、外に外せば打てないか。
左のサイドスローから投げたその球は、完全に見切られた。
見逃してカウントはワンワンとなる。
ここからストレートを投げるのは厳しい。
だが残りのカーブを投げるのでも、相手は読んでいそうだ。
ならば通常タイプの、普通に沈みながらスライドするスライダー。
しかしインローへ投げこまれたそれを、トーチバの三番はしっかりと救い上げた。
ショートの大井が飛び上がるが、わずかにグラブの先を越す。
全力で前に出てきたレフトが、それをキャッチしてバックホーム。
ランナーは三塁で止まって、ショートも返球をカット。
打ったランナーは一塁で止まって、これでワンナウト一三塁。
何か一つで、確実に点が入る。
正念場だ。
10回の裏に、白富東が点を取れる可能性はある。
だが確実にとは言えないし、取れても一点までだろう。
ここで満塁策を取ってしまえば、二点目のランナーを二塁に進めることになる。
その危険を冒してでも、ここは一点を守るべきか。
国立は敬遠の指示を出す。
四番を敬遠してワンナウト満塁は、悪い策ではない。
これでどこの塁でもフォースアウトが取れるが、大量失点の可能性も高まる。
そしてトーチバはここでまた、代打を送ってきた。
データのない相手だ。
だが体格などを見るに、外野フライは打てそうである。
(難しい)
国立はここで、点が入らない可能性を考える。
ワンナウト満塁なので、バットにボールが当たったらスタートという手段は取れない。
内野ゲッツーか、ホームでフォースアウトというのが理想的だ。
満塁にしたことで、スクイズはしにくくなった。
内野ゴロでもダブルプレイにすれば点は入らない。
怖いのはワイルドピッチあたりだが、それはもうバッテリーを信用するしかない。
耕作は暴投などはしないタイプのピッチャーだ。
だがボール球もしっかりと使って、このバッターを打ち取らないといけない。
理想的なのは三振か内野フライ。
ただ耕作の球威では、コンビネーションを駆使しても三振は取りにくい。
ならばやはり内野フライか。
もしくは野手の正面の内野ゴロだが、このあたりは運が絡んでくる。
塩谷にこの場面のリードを全面的に任せるのは、やはり酷だろう。
だが国立としても、バッターの情報がないので、判断はしづらい。
とりあえずスライダーは決め球に使えば、おそらく内野フライに出来るであろう。
だがそこまでをどう追い込むか。
迷った末に、塩谷はサインを出した。
耕作はわずかに考え、そして頷く。
投じられたのは高めのストレートだった。
これを振ってきたトーチバの代打は、打球が真後ろに飛んで行った。
タイミングは完全に合っていたが、ボールの軌道を錯覚した。
サイドスローからのストレートで、なんとかワンストライク。
一つのストライクを取るのが、こんなにも難しい。
相手のバッターだって、少しはプレッシャーがあるだろう。
この攻撃をどうにかしのげば、白富東も上位打線からの攻撃となる。
そこで一点を取ればサヨナラだ。
二球目、カーブ。
ボールゾーンに沈んでいくこの球を、代打の選手は救い上げた。
レフト方向。飛距離は充分。
三塁ランナーはタッチアップの体勢をとり、コーチャーの指示を待つ。
「GO!」
レフトからの返球を、ショートは中継しない。
ワンバンにはなるが、この方向はキャッチャーへのストライクだ。
俊足のランナーの手が、スライディングしてホームベースに伸びる。
ボールをキャッチしたミットで、タッチに向かう。
体には当てたが、どちらのタイミングであったか。
コールを聞く前に、塩谷は三塁を目指していたランナーを刺すべく、三塁へ送球。
そちらでアウトのコールが聞かれるより先に、ホームベースの審判がセーフとコールした。
惜しかった。
コンマ数秒の差であった。
だがこれで、一点が入った。
10回の裏の攻撃は、いよいよまた追い詰められたものとなる。
トーチバのエース鹿島は、気力で投げる。
その気力が、白富東を追い詰める。
二番の塩野をライトフライ。
そして三番の大井をショートゴロにしとめる。
どちらもそれなりに打球に強さがあった。
球筋がしっかりとしてきて、ミートしやすくなっているのか。
だが、これでツーアウトだ。
ツーアウトランナーなし。
バッターボックスには四番の悠木。
この大会ではホームランも打っている、四番との対決。
だが国立は、ここは無理かな、と感じた。
悠木は言動も行動もいちいちキャラを作ったような、目立つ選手である。
だがまだ一年生だ。
最後のバッターとして打席に立って、同点ホームランなどを打つには、甲子園の舞台を経験したユーキぐらいのメンタルがないとまずい。
悠木が本当に頭のおかしなキャラでも、ここはプレッシャーがかかる場面。
そしてこういう状況でどうすればいいのか、トーチバはしっかりと分かっている。
ボール球を二球投げてきた。
そこからストライクを投げてきた。
悠木はその全てをスイングしない。
そして四球目のボールは、際どいコースでストライク。
並行カウントで追い込んだ。
トーチバ側としては、別にここで歩かせても、次のバッターを抑えればいいだけだ。
基本的には、ボール球を振らせてしまえばいい。
だが出来れば、見逃し三振で仕留めたい。
そんな三振の仕方をすれば、しばらくはスランプになっても不思議ではないからだ。
白富東は、まだ成長の途中だ。
来年の夏とは言わず、春にはまた違った姿を見せてくれるだろう。
その時のためにも、ここでしっかりと勝っておかないといけない。
高校野球の本番は夏なのだ。
三振してもいいから、振れ。
国立はサインを出すわけではなく、自発的に悠木が振ってくれることを祈る。
この場面で見送り三振などをしたら、それは悠木のメンタルにダメージを与える。
普段の調子でいいから、振ってくれ。
鹿島のカットボールを、悠木は振りにいった。
そして打球は、ファースト正面のゴロ。
捕ったファーストがそのままベースを踏み、ゲームセット。
悠木はファーストベースの前で、立ち止まったままであった。
白富東が県内で、ついに負けた。
それは伝説の終焉のように思えた。
春のセンバツに出場できる可能性は、これでゼロである。
何人もの選手の、ちょっとずつの力が足りなかった。
強いて言えばユーキだけは、エースとしてもチームの一員としても、充分な働きだったと言えよう。
だがそれでも、直史であったら一点も取られずに完封しただろう。
もうスーパースターはチームにはいない。
白富東というチームで、戦っていかなければいけないのだ。
春は負けても、夏に勝てばいい。
そうとも言えない、秋の大会の敗北。
ここから冬を越えて、チームをまた一から強くしていかなければいけない。
選手たちの表情には、悔しさか無表情しかない。
へらへらと苦笑いしている者もいない。
敗北を正面から、敗北として受け止めている。
ならば必ず、ここから強くなれる。
試合の采配は、充分に振るうことは出来なかった。
だがここからは、育てていく教育者の立場となる。
とりあえず練習試合を組んで、もっと問題点を明らかにしていかないといけない。
国立は諦めない。
監督が諦めないチームは、絶対に諦めない。
夏への扉。
まだ冬を前にして、白富東はその扉の前にいるのであった。
×××
次話で最終回かと。
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