第88話 粘り強さ

 エースのプライド。日本語で言うなら矜持といったところか。

 エースをエースとならしめるそれは、やはり勝つということか。

 あるいは圧倒的な実力を示し、あいつなら仕方がないと思わせること。

 あるいは圧倒的な努力を示し、これまたあいつなら仕方がないと思わせること。

 エースの形は一つではない。


 淳のエースとしてのプライド。

 あるいは実力を担保するもの。

 それは途切れない集中力。


 血は遠くにしかつながっていないにも関わらず、淳は武史よりも直史に似ている。

 集中力と制御力が、二人に共通のものだ。

 武史は下手に球威があるので、適当に投げてしまうことがある。

 それでも集中する時は集中するのだが。

 淳はさすがに、ノーヒットノーランを狙って出来るピッチャーではない。

 だが失投の数は、恐ろしく少ない。


 統計的に、相手を抑えられるピッチャー。

 常にロースコアに抑えるピッチャーというのは、プロには向いている。

 あとはこのロースコアに抑えるレベルが、プロでも通用するか。


 右バッターに対して磨いたのはシンカー。

 それも高速タイプのシンカーだ。

 スピードのある球が一度浮き上がり、そこから外に沈みながら逃げていく。

 バットに当たる程度ならどうにかなるが、ヒットにするにはひどく難しい。

 右打者の方が多い帝都一には、確実に有効だ。


 水戸学舎に負けた経験を、こうやって活かしている。

 そして当の相手の帝都一からは、青山のクロスファイアーを真似している。

 これにカーブの回転をかけると、左打者はゴロばかりを打つことになる。


 これらの打たせるピッチングに対し、帝都一のバッターならば、どうにかカットで逃げられる。

 だがそれをミスするまで、ミスしないのが淳のピッチングだ。

 タイミングをずらして、緩急差を利用し、リリース位置から変化量を変えてくる。

 三振の数は少ないが、ボール球を振らせることでそれも確保する。




 2-0から、終盤の勝負。

 八回まで、六本のヒットを打たれている淳であるが、孝司の盗塁刺殺などで援護してもらっている。

 アンダースローからのクイックは難しいのだが、孝司の強肩と送球モーションで、ランナーを殺すのだ。

 一人殺せば、次からは走ってくるのは難しくなる。


 最終回。九回の裏を、二点のリードで迎えることが出来た。

 得点差を考えて、着実に一点までで抑えて守る。

 守備ではあるが、意識は攻撃的に、相手の打撃を殺しつくせ。


 打線は三番の青山から。

 帝都一の二番手ピッチャーは、打線においてはクリーンナップを打っている。

 この先頭は切りたいが、スライダーにどれだけ対応してくる?


 初球から狙われたが、サード方向のラインを割ってファール。

 ゾーンから外れていく球だったが、打球自体は強かった。

 捉えられはじめているのか?

 だがこのマウンドは自分のものだ。


 カーブを二球続けた後のストレート。

 真正面に跳ね返ってきた打球を、淳はグラブに収める。

 ピッチャーは投げた瞬間、九番目の野手になる。

 誰か有名な人間の言葉を、義兄である直史が言っていた。

 自分の周り程度はどうにか守らないと、他の野手もやる気をなくすのだ。

 グラブの中のボールをしっかりと握り、ファーストへ送りワンナウト。


 四番打者は、ホームラン数こそそれほどではないが、ミートが上手くランナーが二塁にいれば、外野を越えるか外野の前に落とすかが出来る、器用なバッターである。

 こいつは三番打者の方がよかったのではないかと思う淳だが、とりあえず長打力はあまりないことはありがたい。

 そう思って膝元へ沈めたボールを、大きく掬い上げてきた。

 ホームランにはならなかったが、やや前目に守っていた大石の頭を越える。

 ツーベースヒットで、ワンナウトからランナー二塁となる。




 どうせなら、スリーベースにしてほしかったなと思うバッテリー。

 ならばおそらく帝都一は、最低でも一点という選択を取ったと思うからだ。

 だがその場合、内野ゴロでも外野フライでも、確実に一個アウトを取る。


 次は五番打者か。

 長打が打てるという点では、六番の堀田も恐ろしい。

 ここでライナーからのダブルプレイというのが、帝都一としては一番怖いと思う。

 だから下手な打球であれば、ランナーは三塁までで止まると思うのだ。


 ここで白富東は動く。

 ピッチャー交代ではない。守備位置の交代だ。

 久留米が代打で出た後、ファーストには佐伯が入っていた。

 そしてサードをユーキから宮武へと代える。

 もうユーキはピッチャーとしては使わない。最後まで淳で行く。

(まあどうしようもなくなったらトニーかな)

 精神的にはそう思っておく秦野である。


 宇垣と久留米をベンチに戻したため、代打で期待出来そうなのは、あまりいない。

 このまま守り抜かなければ、追加点は難しい。

 守りきるために、ユーキから宮武へサードはチェンジした。

 ランナー二塁という場面では、ユーキでは判断が難しいかもしれないと思ったからだ。


 帝都一も、この覚悟を理解する。

 ここで同点に追いつければ、延長は有利だ。

 しかし二点の差を、残り二つアウトを取られるまでに縮めるのは難しい。




 帝都一も動いた。

 二塁ランナーの四番に、代走を出す。

 下手をすれば、三盗を狙うという宣言か。

「バッター集中! アウトは一つ! ただしディレードスチール注意な!」

 普通の盗塁ではなく、隙を突いた何かの盗塁はあるかもしれない。


 決着が近付いている気がする。

 二点のリードを、どうやって守るか。

(この五番もプルヒッターだ。レフトフライに抑えれば、三塁まで進まれることもない)

 サウスポーの淳にとっては、むしろセカンドランナーの方が鬱陶しい。

 まさかとは思うが、単独の三盗もないではない。

 もっとも失敗すれば、一気に試合は終わるだろう。


 外角に曲がる変化球は、一球目はボールで、二球目はストライクになった。

 外に目を付けさせておいて、内でしとめる。

 そんな当たり前のコンビネーションだが、効果があるから定跡なのだ。


 そして三球目は、真ん中寄り。

 失投と見られなくもないボールを、掬い上げる打球。

 レフト方向。大きい。

 だが風に吹かれて、ファールグラウンドへ移動する。

 フェンスギリギリだ。レフトフライでサードへのタッチアップは、かなり無理がある。

 だが捕球体勢によっては、それもありうる。

「タッチアップあるぞ!」

 ジャンプしてキャッチした駒井は、確かに体勢を崩した。


 ここからスタートするのが、帝都一の代走か。

 尻餅をついた駒井は立ち上がって送球するが、コースがずれている。

 タイミング的にも微妙だったが、サードの宮武は無理をせずにベースから足を離して、送球をキャッチした。このあたりの判断は、宮武に代えておいて良かったと言うべきか。

 ツーアウトランナー三塁。




 あと一人だ。

 バッターは六番の堀田。打率はそこそこだが、パワーはあるので都大会ではホームランも二本打っている。

 甲子園でもここまで、長打を三本打っている。


 だが、相性がある。

 淳のスピードのないボールをホームランにするには、確実にミートして自力で飛ばさないといけない。

「ファースト優先だぞ!」

 孝司が声をかける。そして淳と視線で通じ合う。


 秦野の知る限りでは、白富東のバッテリーの中で、一番総合的な相性がいいのは、この二人ではなかったかと思う。

 次点がジンと岩崎で。

 直史は誰と組んでも、相手に能力があれば実力を発揮していた。

 武史の場合はリードが完全にキャッチャー任せであったので、あれはあれで倉田や孝司も大変だったろう。

 この二人はお互いが知恵を出し、下手に意見が安易な方向に流れることもない。


 まず一番気をつけなければいけないのは、一打同点になるホームラン。

 単打までなら問題はない。一点を返されても、長打力に劣るバッターが出てくる。

 代打の切り札的なものは出てくるかもしれないが、淳のような軟投派相手には、初打席で対応するのは難しい。

 ここでホームランを打たれなければ勝てる。

 だからこそ初球は、ホームランの確率がある高目へのストレート。


 絶好のボールであるが、淳のストレートの軌道を、忘れていたのか。

 振り切ったボールは、強烈なピッチャー返しとなる。

 プレートに当たったボールは、高く跳ね上がった。

 ショート方向。方向転換した悟は空中でキャッチし、そして体を捻る余裕がないと判断し、サードの宮武にトス。

 それを受け取った宮武は、ファーストへ送球。


 塁審の右手が上がった。

 スリーアウト。ゲームセットだ。




 勝った。

 エースの完封によるロースコアのゲーム。

 正直どこで点が入ってもおかしくはなかった。

 これが一点差だったら、最終回はどうなっていたか。


 二点差があったから、ランナーを一人出しても、三塁へ進ませても、致命的な状況にはならなかった。

 大きく息をついた秦野は、国立と珠美と共に、ベンチ前に出る。

 ファーストへ滑り込んだ堀田は、まだ立ち上がれない。

 センバツで優勝したのに、夏はここで終わるというのは、逆に悔しいのだろうか。

 ベスト8でも満足できない。そんな飢えた選手たちだからこそ、ここまで来れたとも言える。


 強い選手たちで、強い監督で、強いチームだった。

 秦野は甲子園に流れる校歌を聞く。

 何度も聞いているが、その間には常に、試合の反省を行う。

 もちろん勝った時だけでなく、負けた時も。

「球数、どんだけだったかな?」

「139球」

 準決勝との間には一日の休みがあるし、白富東は他にもピッチャーがいる。


 名徳は見る限りでは、やや帝都一よりは劣る相手だ。

 それにエースの古沢が、たくさんのイニングを投げているため、消耗は激しいと思う。

 一回戦はなかったものの、二回戦では日奥第三の市川との投げあい。

 三回戦では強打の蝦夷農産との勝負。

 準々決勝の福岡城山は、強打というだけではなく、得点するための力が強かった。


 古沢がどれだけ消耗しているか、そしてそこから回復するか。

 それが準決勝のポイントになる。




 第四試合は、大阪光陰と瑞雲の試合。

 瑞雲も明倫館と似たようなタイプのチームだ。地元のシニアとの協力で、良い選手を伸ばしていくという。

 ただしチームとしてのまとまりは強いが、この年は突出した選手はいない。

 それでもまさに全員野球で、ピンチを致命傷にしない。


 だが、わずかずつ与えられる傷によって、出血を強いられる試合になっていった。

 守備の間に与えられるプレッシャーによって、攻撃面での主導権が奪えない。

 大阪光陰はピッチャーを継投で使い、一年生の蓮池を前半、三年の緒方を後半で使っている。

 何気にこれをリードする福沢の動きが注目点か。


 終盤に緒方が、ダブルプレイ崩れの中で一点を失った。

 だが4-1で試合は決着。

 爆発的な攻撃で圧倒するわけではなかったが、堅守の瑞雲を相手に、わずかな隙を突いていく勝利であった。




 準決勝は一試合目が桜島実業と大阪光陰。

 そして二試合目が名徳と白富東。

 またかよ、と言われる大阪光陰と白富東の決勝が見られるかもしれない。


 この二校の因縁はどれだけ根深いのか。

 白富東が始めての甲子園出場を果たしたセンバツ、ベスト8で負けたのが優勝した大阪光陰であった。

 その夏には準決勝でパーフェクトピッチでやり返したものの、決勝で逆転サヨナラホームランを打たれて準優勝。

 次のセンバツは対決はなかったが、夏は決勝で対決。大阪光陰を破った白富東が春夏連覇。

 次の春も、決勝は大阪光陰。

 そして夏も、決勝で大阪光陰。

 初めて甲子園に出てから、六大会中五大会で対決し、そのうちの三回が決勝戦。

 神宮での対決も含めれば、さらにその対戦数は多くなる。

 

 東の横綱と言われていた、帝都一ももちろん強い。

 強豪の多い東東京で、出場記録を伸ばし続けているのだ。

 しかしここまで、二つのチームの対決が続くとは。


 名徳のピッチャー古沢のボールは、球速としてはMAXでも145kmに届かない程度だ。

 だが手元でよく動いている。

 ストレート系でありながら、カットボールやツーシームが、ストレートのフォーシームとほとんど変わらないところが、そのピッチングの持ち味なのであろう。

 一日の猶予がある。

 あちらのピッチャーも回復するが、こちらのピッチャーも回復する。

(出来れば次は、淳は使わずに勝ちたい)

 それが秦野の判断である。


 桜島が上がってくる可能性も、ないわけではない。

 あそこは速球にめっぽう強いのだ。150kmを投げる化け物一年生がいると言っても、それだけで抑えられる打線ではない。

 だが緒方がいる。

 緒方もそこそこ速いストレートを投げてくるが、あのストレートは球速や球威ではなく、球質が異質なのだ。


 主戦となるピッチャーが二人いて、それなりに回復しながら投げてくる。

 これまでの試合内容を見ても、先制してリードを奪ってと、危なげがない。

 ただ相手は桜島実業だ。

 甲子園の舞台でも平気で二桁得点をしてくるし、県大会での得点力は大会ナンバーワン。

 もちろんそれだけ失点もしているというわけだが。


 決勝の相手は、桜島がいいなと思う秦野である。

 そもそも決勝の前に、準決勝を勝たないといけないわけだが。

 淳のピッチングは、桜島相手でもロースコアに追い込むだろう。

 それにここまでの勝ちあがり方を見ていると、桜島から何点かを取るのは難しくない。

 打力偏重。桜島の伝統である。


 準決勝の第一試合、ベンチ入りメンバーは待機所で体を動かす。

 だから試合の様子を客席で見るわけにはいかないのだが。

 長かった甲子園も、あと少しで終わる。


×××


 ※ Ex20投下しました。セイバーさん、暗躍してます。

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