第75話 確率と意外性

 四回の表、帝都一の攻撃はクリーンナップから。

 三番四番と、ゴロと三振にしとめて、さて五番の堀田である。

 エースでありながら五番を打っているあたり、相当に打力も期待されている。

 だがこの二つの役割を期待されているというのは、かなり厳しいものがあるのではないか。


 淳はバッティングにも自信があるが、長打を打てるクリーンナップには入ろうなどとは思わない。

 ただ甘く見てきた相手からは、着実に打ってきた。

 本当はそれなりに打てるピッチャーがラストバッターであるというのは、味方に取っては色々と作戦が立てやすいのだと、秦野は言っていた。

 もっとも今日の淳はラストバッターではないのだが。


 打力までも期待されている堀田に対して、まずは第一球。

 ストレートがわずかに外れたが、それを打たれる。

 よしと思ったボールが一塁線を抜いて、ライトが慌ててフォローする。

 ファーストの宇垣は前後の動きや周囲の強い球には対応するのだが、フットワークがやや弱い。

 自分でファーストを守ったこともある淳は、自分なら捕れたなと思わないでもない。

 だがこんな考えを、あっさりと切り替えるのもピッチャーの資質である。


 次の打者をあっさりとフライでアウトにし、さて四回の裏の攻撃だ。

 こちらも三番の悟からで、チャンスメーカーとしてはかなり期待している。

 次が淳の女房役の孝司だが、孝司もまた高打率の長打も打てるバッターだ。

 キャプテンでキャッチャーと色々と大変ではあるはずだが、それだけ期待もしているのだ。


 まずは塁に出てほしいなと思っていたところ、悟の打った打球はまたも鋭く伸びていく。

 まさかと思ったのが悪かったのか、センターのフェンス直撃ツーベースとなった。

 どうもここ最近、確実に打撃に覚醒している気がする。

 もちろん元々優れた資質は持っていたが、さらにそれが伸びている気がする。

 やはり国立の指導のおかげなのだろうか。


 ノーアウトから二塁となり、打席には打率も高く長打も打てる、しかも小技もそれなりに使える孝司。

 正直なところ、ここで追加点がほしいところだ。

 最悪でも進塁打を決めれば、次は小技も使える駒井。

 ゴロを打たせてもおおよそ、悟の足なら帰ってこれるだろう。

 しかしここでベンチが選択するのは、かなりリスクもある作戦。


 初球スチール。

 孝司が援護の空振りをして、その間に悟は三塁に滑り込む。

 微妙なタイミングだったが、やはり虚を突いたのが良かったか。

 まさか四番の初球で盗塁とは、かなり危険度が高い選択だ。

 だが松平も、ここまでリスクの高い作戦を採ってくるとは思っていなかった。

 何よりセカンドでの悟が、そういった雰囲気を全く見せていなかったのだ。


 上手い。

 秦野としても、会心の采配だったと言っていい。

 ここまでやれば、孝司ならば自分の役割は分かっているだろう。

 アッパースイング気味に、高く打ち上げたフライ。

 レフトに飛んだそれはフライアウトにはなったが、悟がタッチアップするには充分なものであった。

 これにて追加点、点差は二点に開く。

 白富東の力が、少しずつ帝都一を押し込んでいる。




 淳の統計的に相手を封じるピッチングは、どうしても時々偏りが生まれてしまう。

 この試合でも五回に、その偏りが生まれた。

 即ち連打でヒットを打たれることである。


 確率的には少ないのだが、ありえないほどの数字でもない。

 そしてそれがノーアウトからでも、もちろんありえないことではないのだ。


 帽子を取って、額の汗を拭う淳。

 プレッシャーに強くても、動揺がピッチングに出にくくても、精神的に全く消耗しないというわけではないのだ。

 むしろ全く影響しないのは、人間として欠落している部分があるとも言える。

 ノーアウト一二塁から、バッテリーは初球ストライクがほしい。

 だからこそ狙いどころとも言えるのだが、ここで際どいところに投げ込んでこれるのが、淳の強みである。


 帝都一は振らない。ボールを見極める。

 待球策か。連続でヒットを打たれれば、甘いストライクは投げてこないと思うのだろうが。

 それでも際どいコースで、二球で追い込む。

(ツーストライクから送ってくるかもな)

(あ~、そういうことやりそう)

 そう思ったら本当にやってきた。

 ファーストとサードは突っ込んでくるが、それに対してプッシュバントで横を狙う。

 淳がそこをフォローするが、どのベースが間に合うのか。

「一つ!」

 結局哲平の入ったファーストに投げるしかない。


 ワンナウト二三塁。

 バッターは先頭に戻って勝。

 ヒットが出れば下手すれば同点の場面、勝負の組み立ては難しい。

 これがサヨナラのチャンスなら逆に満塁策も浮かぶが、逆転のランナーを出すわけにもいかない。

 勝負しかない。ただし、長打を避ける。

 長打を避けるなどというのは、当たり前すぎる話ではあるが。


 低めに変化球をコントロール。

 だが勝はそれをシャープなスイングで打ち返した。

 当てて、内野の頭を越えることを考えたスイング。

 それがファーストの宇垣のミットの上を越えて、回転がかかってフェアグラウンドからファールグラウンドへ転がっていく。


 まずい。これは二塁ランナーも帰ってくる。

 三塁ランナーは間違いなくホームベースを踏み、そして二塁ランナーも三塁を回る。

 そのランナーだけではなく、孝司はグラウンド全体を見る。

「セカン!」

 ライトのトニーからセカンドへ送球され、そこでバッターランナーはアウトになる。

 だがこれで、二点を返された。


 ランナーは消えたが、試合も振り出しに戻る。

 ここで集中力を切れさせず、投げ続けなければいけない。




 単なる良いピッチャーとエースの違いは、やはりそこにあるのではないか。

 集中力である。

 メンタルの強さとはちょっと違うが、淳が失投をほとんどしないというのは、無駄なことを考えないからだ。

 孝司からすると、白富東のピッチャーは直史からユーキまで色々と受けてきたが、淳の集中力は直史の次ぐらいにはすごい。

 試合の状況を理解した上で、最適の結果を求める。

 アンダースローで変化球をたくさん持ったコントロールのいいピッチャーというのは、それだけリードのし甲斐もあるというものだ。


 二点を取られてから淳は、より球数は多くなったものの、失投せずに投げてくる。

 ナチュラルな変化球投手とも言える、アンダースローのコントロール。

 体を撓らせて投げるそのボールは、球の出所を捉えるのも難しい。


 わずかにヒットは打たれても、連打を浴びない。

 これが現実的な範囲での、理想のピッチングだろう。

 だが慣れというものはあるので、試合が終盤に近付くにつれて、配球の組み立ても考えていかなければいけない。

 ピッチャーの苦しいところだが、それは向こうも同じである。


 帝都一の堀田は、全国レベルの本格派投手である。

 だが白富東にとっては、別に珍しい存在ではない。

 岩崎とほぼ同レベルか、やや落ちる。

 変化球の種類も同じようなものだし、単純にスピードだけなら武史の足元にも及ばない。

 鋭い打球が、堅い守備をたまに抜けていくが、それを恐れずに投げられるところが、ピッチャーの意地なのだろう。

 本当にピッチャーというのは、どいつもこいつも頑固である。

 約一名、違う方向に頑固な人もいたが。




 ピッチャーが一番苦しくなると言われる七回の攻防を終えた。

 八回の攻撃が両チーム共にラストバッターから始まるというのも、試合が拮抗しているという証拠だろう。

 ただし淳と違って堀田は、フォアボールを二つ出している。

 バッターが打ち取られるリスクのないフォアボールの出塁。

 地味ではあるがこれは、バッテリーにとっては下手に打たれるよりも厳しい。

 ピッチャーのコントロールが悪いか、相手のバッターに見切られているからだ。


 八回の表、ラストバッターは打撃も悪くはない捕手から。

 淳はこれに対して、追い込んでからボール球を振らせて三振。

 技巧派のピッチャーにとってボール球を振らせて三振を奪うというのは、かなりの快感なのである。

 なのであまり、これを求めすぎないように気をつけなければいけない。


 さて、厄介なこいつはどう始末するべきか。

 四打席目の勝に対して、まずは際どいインハイの球。

 最悪デッドボールになってもいいやという球であったが、余裕を持って避けられた。

 これが大介あたりだと、避けながらホームランを打っていたのだろうから、やはりこの厄介なバッターも、恐れるほどではない。

 二球目に外のスライダーを打たせてアウト。

 三人目も無難に片付け、これで残りは一イニング。ただしこちらが点を取ってくれればだが。




 同じく八回の裏は、ラストバッターのトニーから始まる。

 淳を八番に置いているところに、本日の打線は意味がある。

 一番から三番までを、一つの攻撃単位として考えるシステム。

 なのでトニーは長打力を求められているわけだ。


 パワーピッチャーとは相性のいいトニーなのだが、ここまで多投してこなかったスプリットで攻められる。

 続く宇垣も打ち取られたが、哲平が粘った末に出塁。

 ツーアウトながらランナーを一人置いて、悟の打席が回ってくる。


 せめて二塁にいれば。

 哲平の足ならだいたいの当たりで、一気にホームに帰ってこれる。

 だが決勝点になるかもしれないこの場面では、相手のバッテリーも存分に警戒している。

 悟は今日の二得点に共に絡んでいるので、帝都一もかなり警戒している。

 しかし警戒しすぎて歩かせれば、勝ち越しのランナーを二塁に送ることになる。

 ツーアウトなので、バッターが打てば自動で走塁開始だ。

 なのでここで、慎重に悟と対決するのは間違っていない。


 だがバッテリーは、悟に対して投げるコンビネーションがない。

 スプリットを決め球に使いたいが、ツーストライクまで追い込む手段があるのか。

 際どいところでファールを打たせるにしても、危険すぎる。

 九回の表はクリーンナップからの攻撃なので、ここで確実に封じておきたい。


 内角をボール球で攻めよう。

 その提案に、わずかに間を置いて堀田は頷く。

 スライダーを、ゾーンから外れるように。左打者には打ちにくいはずだ。

 下手をすればデッドボールになるかもしれなくても、長打よりはマシだ。


 振りにいった悟は、このボールをファールにした。

 なんとかファールでカウントを稼ごうというつもりなのだろう。

(すると決め球はスプリットってとこかな)

 上手く掬い上げなければ、外野フライになってしまう。

(追い込まれるまでは、広く待つ)

 またもスライダーを打って、ファールグラウンドに飛んで行く。


 これで追い込まれた。

 おそらくスプリットが来る。

 投げられた球は、速度と角度からしてスプリット。

 スイングしながら微修正する。

 ヘッドを走らせるのを、ほんの少し遅らせる。

 すると打球の軌道は、上がり過ぎないものになる。


 左中間を抜ける。

 打った瞬間に発進していた哲平は、軽く二塁を回り三塁へ。

 センターが打球に追いつくが、これなら行ける。

 コーチャーが腕を回し、哲平は減速せずにサードベースを蹴る。

「ノースライ!」

 駆け抜けた。それを追いかけたミットは空を切る。


 勝ち越し点。これにて悟は三安打。

 次の表を封じれば勝てる。




 思ったとおりにはいかないな、というのは良くも悪くもある。

 八回の裏で3-2と勝ち越した白富東であったが、九回の表にまた連打を浴びて追いつかれる。

 だがそこから、九回裏に久留米のソロホームランが飛び出して、サヨナラ勝ちとなった。

 正直なところ意外な展開ではあったが、今の白富東なら、確かにありえる展開であったのだ。


 筋肉ムキムキの久留米が吠えると、まさにゴリラ的な迫力がある。

 ゴリラは本来、穏やかな動物であるらしいが。

 五リラが打って、試合を決めた。


 関東大会は4-3で白富東の勝利。

 センバツの敗北を晴らした結果ではあるが、あくまでもこれは前哨戦。

 白富東の三年の中で、これでよいと納得している者などいなかった。


 だが、勝つことは勝った。それも確かだ。

 相手のミスが目立ったわけでもなく、ちゃんと攻守のバランスが取れた試合であった。

 悟の活躍が目立ったが、タッチアップに久留米のソロと、長打が打てるようになってきている。

「練習試合を組まないとな。それにピッチャーをもっと鍛えていかないと」

 センバツ優勝の帝都一に勝ったというのは、大きな自信となる。

 だが正直、ホームゲームという印象もあるし、本当に大事なのは甲子園なのだ。


 白富東の連覇の記録は止まった。

 しかし夏の連覇の記録はまだ狙える。

 現在の学年体制になってからは、夏の三連覇をしたチームはない。

 去年までより確実に落ちたはずのチーム力で、それを果たせるのか。


 打線全体のレベルアップが必要だ。

 そしてあとは、伸び代が異常に大きなユーキを、どこまで伸ばせるか。

 指導者としての手腕が、この夏の結果につながるだろう。

 三年生にとっては、当然ながら最初で最後の、三年の夏。

 また、世界で一番熱い時間が始まる。

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