六年目・春 エリートではない

第102話 場違いな少年

 白富東高校は、進学校である。

 千葉県が学区制を布いているため、進学校がそれなりの地区に一つは存在するが、公立の中では間違いなく偏差値の高い学校である。

 そこに合格した一人の少年がいる。

 メガネをかけて、特に不細工ではないが、それほど風采に優れているとも言えない。

 身長は平均程度で、意外と筋肉のついた体。

 体育科ではない。将来の進学を考慮した上で、普通科に入ったのだ。


 だが過疎化が進んでいた中学から、白富東に進んだのは、学年では彼一人。

(覚悟してたつもりだけど、知ってる顔一人もいねえ)

 家では兄に勉強を教えてもらっていたのだが、その兄が言うには、面白いやつらがいっぱいいるのだとか。

(何も勉強しなくて合格するような兄貴とは、俺は違うけどな)

 自由人である兄のことは、すごいとは思うが尊敬はしていない。


 兄がやらないなら、農場は自分が継ぐ。

 卵もニンジンもサツマイモも、全部自分のものにする。

 そんな覚悟を知った上で、兄は勉強を教えてくれた。

「それなら最初から農業高校行ったらいいんじゃねえか」

 とは言ったが、単に農家を継ぐだけであれば、それで正しい。

 しかし彼には将来を見据えた計画があった。


 農家の娘は、農家には嫁に来ない。

 全部が全部ではないが、少なくとも知り合いはそういうのが多かった。

 だから高校のうちに彼女を見つけてしまうのだ。


 しかし農家の嫁に来てくれるような女の子を見つけるなら、商業科などの進学校でない学校に行った方が捕まえやすかったのではないか。

 そこもちゃんと考えている。いずれは農場を企業化するのだ。

 現在の農家離れというのは、農家が辛いからこそ起きていることだ。

 だがちゃんと人間を雇うなり、他の農家と連繋して持ち回りで、畑を見ていく。

 マンガで読んだけど、非常にいいアイデアではあるし、実際にやっているところもいくらでもあるのだ。




 そんな思惑は置いておいて、新しいクラスでの挨拶である。

「百間町耕作です。名前が長いのでいつも、ヒャッケンって呼ばれてます。中学時代は野球でピッチャーをしてました」

 特に問題のない挨拶であったはずだが、座った途端に横の席からの視線を感じる。

(けっこう可愛い……けどデカイな)

 デカイと言うほどではないが、それなりに上背のある女子である。

 胸は平均だろう。


 その女子も名乗った。

「宮武学です。名前のせいでよく男の子に間違われます。中学時代は部活で陸上、あと野球のシニアに入ってました」

 おお、野球女子であるか。ベリーショートの髪型もあいまって、同性にモテそうだ。

 数年前に甲子園に、初めて女子選手が出場した。

 そして去年大学野球では、流星のように輝く東大女子選手の姿があった。

 彼女もそれを見ていたのだろうか。


 そもそもその選手は、この白富東出身なのだ。

 耕作は自分とは全く別世界の人間だなと思いつつ、テレビでその活躍を見ていた。

(野球かあ。中学時代と同じぐらい緩いなら、入ってもいいかなあ)

 百間町家は農家であり、そして祖父の代からの野球好きである。

 父親の自慢は、俺は甲子園に行ったぞということなのだ。

 兄はそれに反発してか、サッカーを選んでしまったが。


 そして白富東の野球部は、入学直後から一年生が練習に参加出来るらしい。

 なんでもあのSSコンビが入ってからの伝統だそうで、夏のシードを取った時も、初めての関東大会を勝った時も、一年生を主力に入れていた。

 そんなに強いのに、練習時間は短い。

 なんでそれで強いのかとは、以前より言われてきたことだが、簡単なことである。

 天才がいたからだ、と耕作は考えている。


 SSと呼ばれていた、佐藤直史と白石大介。

 一方は大学へ進み、もう一方はプロへと。

 そしてどちらも常識ハズレの記録を残し続け、世間のお茶の間に話題を提供し続けている。

 今も充分に強いが、ドラフト一位競合のような選手は、もう出てこなかった。

 野球は技術の積み重ねなので、ある程度の実力までは成長する。

 だが甲子園に優勝して、ドラフト一位指名をされるような選手は、さすがに生来の才能だ。

 

 160kmとかを投げるのは、才能が必要だ。

 ある程度平凡な才能であれば、他の色々なことを犠牲にすれば、140kmぐらいまでは投げられるらしいが、それはあくまでも理論上の話。

「というわけで例年通り、野球部はもういきなり入部出来るから、放課後に見に行くのもいいぞ」

 普通は部活説明会などあるのでは、と思う耕作であったが、そういえば学校説明会でも、部活紹介は野球部にかなり力を入れていたか。

 そんなわけでホームルームも終わり、さてどうしようかと耕作は考えていたわけである。

「ねえねえ、百間君。あ、百間君でいいよね?」

 そしたら隣の女の子が声をかけてきた。

「百間君って左利きで間違いない?」

 確かに左で書いていたのだ、気付く者は普通に気付くだろう。

「そうだけど」

「サウスポーのピッチャーって貴重じゃない? 野球部入るんでしょ?」

「考えてはいたけど、別に俺、たいしたピッチャーじゃないよ」

 謙遜ではなく事実である。

「分かってないな、百間君は。左利きっていうのは、それだけで才能なんだよ」

 まあ中学校時代の顧問も似たようなことを言ってはいたが。

「私もマネする予定だし、行こうよ!」

「え、選手はもういいの?」

 シニアで野球をやっていたから、女子選手の実績がある白富東へ入ってきたのだと思ったのだが。

「お兄ちゃんとか見てると、さすがにもう無理だって分かるの。シーナさんって私より小さかったのに、すごかったんだね」


 これは、ひょっとしてアレであろうか。

「宮武さんって体育科?」

「そうです。馬鹿でごめんなさい」

「いやそんなことは思わないけど」

「じゃあ行こうよ。知ってるサウスポーを見逃したなんて知られたら、お兄ちゃんに怒られちゃうし」

「ああ、野球部なんだ」

「そう、キャプテン」


 そういえばそうだったか。

 受験に集中していたため、去年の夏はすっかりテレビも見ていなかった。

 夏の三連覇を果たせなかったことは、残念に思ったものだ。

 センバツも見ていたが、明らかにチーム力は落ちていたと思う。

 それでも自分程度の雑魚ピッチャーが、通じる環境ではないと思うが。

「ねえねえ、行こうよ~」

 意外と、というほどもまだ知らないが、押しの強い彼女の懇請に、耕作は押し切られたのであった。




「私はね、マナて呼ばれてた」

 宮武学では明らかに男っぽいので、学からマナと呼んでいたそうな。

「お兄ちゃんは岳でタケルなんだよ。兄と妹でガクガクコンビ」

 ご両親の名前の付け方は、本当にそれで良かったのか。

「百間君はいつから野球やってたの?」

「小学生四年生から学童で。そんで左利きだったから、小六にはピッチャーやらされたなあ。全然球なんて速くないのに」

 個人的にはライトが好きだった。小学生レベルだと、ライトへの打球は少ないので。

 あまり期待されても困るので、先に予防線は張っておく。


 耕作の言葉は間違いではない。

 左ということと、あとはコントロールが安定してストライクが取れるので、部員の少ない中からは、ピッチャーに選ばれたものだ。

「お兄さん三年ってっことは、俺の兄貴と一緒か」

「お兄さんも野球してたの?」

「いや、兄貴は中学まではサッカー部だったけど、高校では文化系」

 歩きながら二人は、校外の敷地にある野球部グラウンドにやってくる。

 あれが有名な大介フェンスかだとか、でかい専用のクラブハウスがあったりと、公立でこんなに金かけてるのか、と耕作は変なところに感心したが。

 一度は野球部専用ではなく、他の部活にも場所を取られそうになり、実績を残すためにSSが出場したのが、一年の春の大会だと聞いている。


 この入学式の日に、明らかにご近所さんらしき暇人が集まっているが、これが強豪校というものなのか。

 グラウンドには既に何人かがいて、キャッチボールなどをしているが。

「あれ? 確か部員無茶苦茶多いんじゃなかったっけ?」

「まだ一年生しか来てないはずだよ。たぶんあの人たちは、スポ薦と体育科じゃないかな」

 体育科やスポ選組は、春休みから練習に参加していたらしい。


 耕作も部活だけならず、農作業で鍛えた筋肉を持っているが、スポ薦組や体育科は明らかに体格が違う。

 小さい選手もいるが、体の厚みがユニフォームの上からでも分かる。

 見学組はおそらく普通科だ。

 入るかどうか迷っているというところだろう。

 正直耕作も、選手層が分厚そうで、身体能力からして違う連中と、一緒のチームで試合に出られる自信などないのだが。

「分からないよ。ダイヤのAの沢村君もサウスポーだし」

「俺みたいにメガネはかけてないけどね」

 キャッチボールをするだけで、だいたいのレベルは分かるというものだ。

「どいつもこいつも上手そうだよなあ」

 やはり野球部に入るからには、試合には出たい。

 しかし何十人とかいう人数の中からレギュラーを、いやベンチを勝ち取れるほど、自己評価は高くない。


 マナとしては耕作は、それなりに鍛えた体には見えるのだ。

 学生服の上から見えるというのは、かなり本格的ではないかと思うのだが。

「スポ薦組って、やっぱり凄いのかな?」

「任せて。しっかり事前情報は仕入れてあるから」

 そして解説をしてくれるマナである。




 身長はそれほどでもおないが、体格はしっかりとしていそうなのが、キャッチャーの塩谷。

 シニアでは名門の鷺北シニアで、正捕手をしていたそうな。

 打つのも走るのも出来るので、普通に私立のスカウトにかかっても良さそうなのだが、なんでも左ピッチャーが全然打てないらしい。

 右打者のくせに。


 ひょろっとした体ながら、腕を撓らせて投げるのが、外野で主にセンターを守っていた仲邑。これも鷺北シニアだ。

 肩も強いのでピッチャーも出来なくないのではないかと思うが、ど真ん中にしか投げられないのが課題なのだとか。

 野手としてはそれで充分なのだが。むしろそれが重要なのだが。


 同じく少し線が細いのがシニアでは高打率の俊足であったという九堂。

 パワーがないのでホームランは打てないというが、まだ高校一年生なのだから、これからの伸び代はあるだろう。


 シニアではなく中学軟式だったらしいのが城。

 内野を兼任するタイプらしいが、これはマナもよくは知らない。


 小柄だが体の厚みはあるのが長谷川で、これもシニア出身。

 体格には似合わないパワーを持っていて、長打も打てるそうな。

 その体格だけでスカウトから洩れていたのだとしたら、やはりスカウトの素質重視というのは勘違いも甚だしい。


 そして身長も体重も整っていそうなのが悠木。

 問題児であちこちのシニアから逃げては、他のシニアに入ったりと、困った人間だったらしい。

 どこがどう問題児なのかは分からないが、どうしてそんなのがスポ薦で入ってくるのか。




 シニアが多いんだな、というのが耕作の純粋な感想である。

 耕作の家は兄以外は野球好きではあるが、シニアに入れてまで野球をしろなどということはなかった。

 あくまでもアマチュア、甲子園を目指すことが、高校生の目標であろうと。

 現在のシニアは野球名門校への予備校などとも言われていたりもするが、そこまでしてやるものではないというのが、一家の総意であろう。


 他にも今いるのは、体育科の人間がほとんどだろう。

 これだけで20人以上がいて、上級生やさらに入ってくる下級生を考えると、ベンチに入るのは無理そうな気がする。

 ただマナの言うことには、レギュラーメンバー以外は主に公立と練習試合を組み、それなりに試合には出られるらしい。

 試合に出るということは、野球を上達する上で、大切なモチベーションを維持する方法だ。

 その中から最終学年になって伸びてきて、スタメンを獲得する人間もいるのだとか。


 あとはテレビでも有名であった、研究班。

 いわゆるやる側ではなく、見る側に近いのが研究班で、情報の分析をしたり偵察をしたりと、公立高校が甲子園でも活躍するのをサポートしている。

 耕作としては自分は、本当はそっちの方が向いてるんだろうな、と思う。

 だが単純に、野球はやる方が好きなのだ。


 まあすぐここで決めるようなことではないだろう。

 実際の練習を見たり、雰囲気を掴んでからでもおかしくはない。

「それで、あの人が名将の秦野監督」

「ああ、有名人」

 テレビで何度も見た顔である。


 SS世代の最後の夏を前に、白富東の監督に就任。

 そこからは夏春夏と三連覇を果たし、その後も甲子園には連続して出場し続け、ベスト4、準優勝、ベスト8と本当に凄い実績を残している。

 白富東は体育科の初年度の入学生が今の三年であり、それまでは全くスカウトもしなかったというか、出来なかった。

 難関の普通科の入試を抜けて、入学した者のみで構成したチームであったのだ。


 天才はいた。だが天才だけで、勝ち進めるはずもない。

 間違いなく名将であり、耕作はああいうタイプにこそ憧れる。

(まあガチガチに拘束されなくて、練習試合でも試合に出られるなら、入ってもいいかな)

 この時点での耕作の考えは、この程度のものであったのだ。


×××


 ※ なお百間町は「ひゃっけんまち」と読む。

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