第6話 変化球

 文哲と話してみてサイン交換を終わり、上山はサインを出す。

 攻撃的なサインだな、と思いつつも文哲は頷き、その要求通りのボールを投げた。

 倉田の膝元に決まるツーシーム。

 振りにいった倉田は芯を外すと咄嗟に判断し、バットの軌道を修正して空振りする。

(ストライクからボールにギリギリ外れる球か)

 文哲がすぐ頷いたことから見ても、上山のリードと文哲の考えが一致していることが分かる。


 さっきまでの山村は、最初は何度か首を振っていた。

 その後は割とすぐに頷いていたが、それであそこまで打ち込まれてはどうにもならない。


 山村には問題があるとは思うが、山村にだけ問題があるわけではないだろう。

 大阪光陰の真田が、一時期キャッチャーとの相性が悪くて調子を崩したが、豊田相手にはしっかりと合っていた大蔵のような例もある。

 とりあえず一球目で分かったことは、バッテリーは倉田の意表を突いてきたことだ。

 かなり攻めるリードである。倉田が上級生には出来なかったであろうリードだ。


 ここから一気にアウトローへ追い込んでくるか、もしくは――。

(来た!)

 インハイ。しかもぎりぎりにボールになる、これもツーシーム。

 当たればデッドボールのその球を、倉田はカットした。


 さすがにキャッチャーボックスの上山を見るが、平然として倉田の方を見ない。

 なるほど、これがこいつの本性か。

 そしてそんなリードの通りに、首を振らずに投げてくる方も投げてくる方である。

(タカと同じで、攻めてくるタイプのキャッチャーだ)

 倉田のような安全策を取るタイプではない。


 ツーストライクから追い込んだら、インハイのアウトローで見逃し三振が取れる。

 そう考えるのが常識的な配球だ。中学レベルならそれで何も問題ない。

 狙っているところへの三球目は、予想通りのアウトローで、じゃっかん甘い。

 これなら痛打出来ると思った倉田の視線の先で、わずかにボールが沈む。

 カットボールだ。痛烈だがファーストへの内野ゴロで、図体からは想像出来ないほど素早く宇垣が動いてキャッチする。


 スポ薦試験の内容から見ても明らかなのだが、宇垣は動けるタイプのデブである。

 次の打者も内野ゴロにしとめて、鬼塚は残塁である。




 こうなるか、と秦野は何も言わずに試合を見ていた。

 山村は悪いピッチャーではない。普通の高校に行けば一年からエースであろう。

 実際にあまり打撃に期待していない下位打線は抑えているのだ。

 今日は外してある二年の三人を入れていれば、死の打線になる。

 それこそ去年の春、虐殺とまで言われたコールドゲームのような。


 秦野としては文哲の力を認めながらも、もっと違うタイプを送ってきてほしかった。

 確かに文哲は今の段階でも完成度が高く、県大会でもかなり上の方まで勝ち残れるタイプだろう。

 だがどうせなら南北アメリカ大陸のどこからか、球速のあるパワーピッチャーを送ってほしかった。

 この先も成長の余地はあるだろうが、化けるほどの印象はない。


 セイバーの育成方針は、突出した戦力の充足だったはずだ。

 言ってはなんだが文哲のようなタイプの選手は、日本にだっていくらでもいる。

 家が裕福だと聞いたが、それが関係しているのだろうか。

 最近のセイバーの動きは、秦野はよく知らないのだ。

 以前に16球団構想は話してもらったが、従来のままでは暗礁に乗り上げているとも聞いた。

(台湾か……)

 世界の野球のリーグの中では、実質的に成立しているのは、アメリカを頂点とする周辺をマイナーとするメジャーを別にすれば、日本、韓国、台湾の三つだけである。

 もちろん世界各国、それこそヨーロッパにもプロのリーグはあるのだが、その頂点はスターになるほどの国はそうそうにない。


 その中でも東アジアの日本を頂点とする野球は、MLBからの独立性が高い。

 メキシコなどの南北アメリカの野球リーグは、MLBを頂点として成立している。

 かつてはキューバが社会主義国の国として野球の強国であったが、体制がMLBへの参加を許容している以上、日本が規模的にも技術的にも、第二の野球大国であることは確かだ。

(後で詳しく話を聞かないとな)

 秦野が見つめる先で、三回の表の攻撃が始まる。




 バッターとしての上山は、パワーはあるが読みで球種を絞って、それを狙っていくスタイルだ。

 八番打者であるが、それはあくまでもキャッチャーに専念するため。

 打率もそこそこいいし、長打が打てるのは魅力である。

 ただここまでのバッテリーの成績を見れば、自分がベンチに入れる可能性は低いと言っていいだろう。

(本当は肩を見せたかったんだけど)

 上級生チームが積極的に振ってきて、盗塁を放棄しているので見せようがない。

 ただピッチャーが右の文哲に代わったので、塁に出れば足も絡めてくるかもしれない。


 まずはこの打席だ、とストレートをどうにか引っ張ったのだが、ショート正面のライナーでアウト。

(え? でもなんでその位置にいるの?)

 投げた瞬間に、ポジション取りを変えたのか。

 それでも痛烈な当たりだったはずなのに、女子に捕球されてしまった。

 別に女性蔑視の上山ではないが、普通に女子の中でも特に際立った体格ではないツインズに捕られて、ショックなことは確かなのだ。


 九番バッターは本来は山村だったが、既にノックアウトされて他の新入生に代わっている。

 そしてその交代した選手も、あっさりと打ち取られた。

 打者九人で見るべきところがあったのは、球数を投げさせて球種を引き出した文哲と、それを参考にして塁に出た悟だけである。

 一番に返って大石の二打席目であるが、このあたりから倉田のリードもやや実戦的になってくる。


 トニーのピッチングはまだ、馬力に任せたものだ。

 変化球は二種類のスライダーの、小スライダーとも言えるカットボール。

 打たせて捕るならカット、空振りを奪いたいならスライダーだが、特にトニーの身長からは、ストレートと縦スラのコンビネーションの相性がいい。


 それでも二打席目の意地で、センター返しの球がピッチャーの足元を抜く。

「たーっ」

 だが気の抜けたツインズが、セカンドがキャッチしてショートにトス。そこからファーストへと送球して、俊足も実らずにアウト。

「ユニフォーム汚しちゃったよ」

 軽く言っているが、連繋としては双子の呼吸がぴったりである。

「惜しかったな」

 悟はそう声をかけたが、ツインズの動きは明らかに打球の方向を予測していた。

 一打席目に比べればずっとマシな結果だったが、それでもこれを成果というのは無理がある。


 ベンチ枠は二つと言われていたが、このままだと一年からベンチ入りは出来ないのではないか。

 ならば守備で魅せるしかないと、センターに向かう大石である。




 三回の裏は、七番の佐々木から。

 白富東のベンチは、スタメンと言っても何人かはあまり能力的には期待出来ない選手もいる。

 だが中にはコーチャーとして優秀で、研究班から特別に入ってもらった者もいるのだ。

 佐々木は純粋に実力で背番号を獲得しているが、突出していい部分があるわけではない。

 比較的足が速く、代走と外野で使えるぐらいか。

 もっともベストメンバーを組むと、外野はアレクと鬼塚、そして残り一名となるため、打力を期待されてトニーが入る場合が多い。


 佐々木やその後の西園寺としては、この歓迎試合はアピールのチャンスの場でもある。

 ベンチには入れるが、試合に出ることはあまりないというぐらい、スタメンとの差があるのだ。

 守備力にしてもトニーとさほど差はないと思っているが、当たった時にトニーはホームランが打てる。

 佐伯ほど守備と走力に特化していれば、準スタメンとして使われることもある。

 だがより試合での経験を積むためには、もっと結果を出していかないといけないのだ。


 そんな必死の三年に対して、文哲と上山も必死である。

 比較的打力は低いなどといったところで、甲子園を制覇するようなチームで背番号をもらっているのだ。

 球数をしっかりと使った上で、ボール際のコントロールで凡退を狙う。

 それでも難しいアウトローをさばかれたが、右方向は悟の守備範囲だ。

 素早いフットワークで捕球して、そのまま一塁へ送球。

 着実にアウトにしてくれる、ありがたいセカンドである。


 そしてその後もセカンドゴロと、セカンドライナーで、ようやくこの回は三者凡退に終わった。

 トニーの打球をキャッチした悟は、手のひらが痺れるぐらいの衝撃を受けたが。

 守備での貢献になるとは言っても、あまり打たせすぎないでほしい。




 四回の表、新入生チームの攻撃。

 二番の文哲からであるが、ここでようやくヒット性の当たりが出た。

 もっともセンターアレクの広い守備範囲なので、センター前がセンターフライになったが。

 ただピッチングも考えれば、それなりにアピール出来ていると言っていいだろう。


 そして悟の二打席目だ。

 ランナーがいればもっと色々と考えるのであるが、この状況ではシンプルに出塁を考える。

 ただここまでノーヒットに抑えられてしまっているので、さすがに打っていく必要があるだろう。

(縦スラは厳しいよな。ストレートをどうにか打たないと)

 ここまでまだ、全く球威は衰えていない。

 シニア時代には未体験の球速ではあるが、どうにか目で追えないことはない。


 打たせるためのカットボールはカットしてファールにする。

 縦スラは見極めてボール。

(けどこれ、ストライクからストライクに入ってきたらまずよな)

 悟はとにかく、結果を残すことを考える。


 理想的なプロへの進むコースである、名門強豪校での道は閉ざされた。

 しかし父の転勤からまさか、こんな狭き門の後に、広くしっかりとした道があるとは。


 ここで一本打つ。

 そしてまずはベンチに入る。


 高めのストレートは、おそらく吊り球だったのだろう。

 だがスピードは今日のメイチで、悟のヒッティングゾーンの中である。

 手首を返して、右方向に弾き返す。

 右中間を抜いて、長打の当たりとなった。


 三ついけるかとも思ったが、三塁のコーチャーに入っていた哲平が止める。

 今日のライトに入っている鬼塚の肩を考えれば、無理をするような場面ではない。


 これでワンナウトから、得点圏へのランナーが出た。

 そしてバッターは自分で四番を背負った宇垣である。




 一打席目は凡退した宇垣であるが、最初は様子見と言ったのも完全な強がりではない。

 そもそも150km近い速球などこれまで人間では相手にしたことはなかったし、あの身長から投げてくるピッチャーなどもいなかった。

 しかし凡退していく同級生を見ていって、おおよそのイメージは出来た。

(ここで打点がつけば、まあ一歩前進だろ)

 しかしここで秦野が手を上げる。


 トニーには特に文句はないし、おそらく普通に勝負しても勝てる可能性は高い。

 だがここで宇垣の伸びた鼻を折っておきたい。

「ピッチャーとキャッチャー交代。大仏は引っ込んで倉田がファーストに。鬼塚が引っ込んでトニーはライトに」

 秦野としても新入生だけでなく、現在の二三年の成長も見ておく必要はある。

 ただキャッチャーを引っ込めるわけにはいかないので、とりあえず合格とした大仏と、スタメンに固定の鬼塚を下げたのだ。

 トニーはもう一度ピッチャーをしてもらうかもしれない。


 佐藤家のツインズが、バッテリーを組む。

 その意味を知る上級生は、秦野の意図を正確に読む。

 生意気な新入生の鼻っ柱を折りにきているのだ。


 事前の予定が全て狂った宇垣であるが、双子の投球練習を見ていても、明らかに遅い。

 女子にしては速いのかもしれないが、中学軟式でもいる程度だ。




 秦野が考える選手のツールの一つに、インテリジェンスというものがある。

 そのまま訳すなら知性とでもなるのだろうが、この場面で必要なのは、この事態に対処できるかどうかの対応力。

 この試合はアピールの場ではあるが、同時にこのチームのデータをどこまで知っているかも重要なのだ。


 宇垣は完全に甘く見ているようだが、シニア出身の宮武は、去年の白富東に、シニア出身の女子選手がいたことを知っている。

 そこから動画検索などをしていけば、佐藤家の双子がどういう存在かも分かるのだ。

 自分の力をアピールするのは当然必要だが、そのためには相手の情報も持っていないといけない。

 宮武は自己中心的な人間ではないが、協調性の欠けた宇垣に対して、わざわざ情報を教えるほどのお人よしでもない。


 投球練習も終わり、宇垣が打席に入る。

 それに対して桜は、さあどうして料理すべきかと考えるのだが、ふと見れば秦野は、首を掻っ切るかのような仕草をした。

 なるほど、やりすぎぐらいに叩き潰してもいいのか。

 そう判断した桜は、椿のリードに従って、初球は外に外れるストレートを投げた。


 思ったよりは速いが、打てないほどではない。

 宇垣はそう判断し、実際にそれは間違いではない。

 ただ双子の操る投球術を知っていれば、この初球の入り方にもっと疑問を持っただろう。


 二球目はゾーンに甘く入ってきた。

 それをフルスイングで狙った宇垣だが、途中で球が消えた。

 空振りした後にミットの位置を見れば、明らかに沈んだようだ。

 スプリットにしては、球速にストレートとの違いがなさすぎる。

(ストレートをわざと遅く見せたのか?)

 緩急とは全く別のアプローチの仕方だ。


 三球目はやはり甘く入ってきたストレートだが、宇垣はそれを振らなかった。

 落ちるというよりは、下に向かって伸びていく球。

 見ると決めていなければ、おそらく今度も消えて見えたかもしれない。

(魔球かよ……)

 佐藤直史の投球動画は、当然ながら宇垣も見ている。

 スルーと呼ばれているジャイロボールは、魔球として有名だ。

 日本にはいないが、MLBなどでは同じタイプの球を投げるピッチャーはいる。


 おそらく日本においては、対戦する可能性のないボール。

 しかし今はこれを攻略しなければいけない。


 三球目も甘く入ったストレートからの――。

 ホップするように見えたストレートが、振り抜いたバットの上を通過していった。

 ど真ん中のストレート。

 二打席連続にて、宇垣は凡退である。

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