第206話 大人の本気
まさか、動機までは見透かされることはないはず。だって、私の内面の問題だもの。超能力者でもなければ、絶対に無理。
「勝手に妄想を事実だと考えているだけでしょう」
そう冷たく言い放つ。
必死に自分が優位になる場所を見つけて、心の平穏を求めようとしている。
「ええ、そうかもしれません。では、答え合わせといきましょう。たしかに、あなたがかわいい部活の後輩である青野英治君をいじめる動機は、一見すればない。他の部員の人たちも言っていましたよ。あなたと青野君は、それこそ姉弟のように仲が良かった。だからこそ、青野君に裏切られたと思って、彼を排除しようとしてしまったんじゃないかってね。部長であるあなたもきっと噂に踊らされてしまったんだって」
そうよ、このままいけば、かなり立場が優位になる。
そう期待してしまう。
「でもね、僕はそうは思わないんです」
天国から地獄に叩き落されるような感覚。
「な……ぜ?」
「まず、今回の件ですが、青野英治君へのあなたが行った仕打ちは、たしかに裏切られたことからの仕返しと考えれば一定の理屈は通る。ですが、あなたは青野英治に執着しすぎているんですよ。作家にとっては、原稿というものは、命の次に大事なものでしょうね。あなたは、あえてそれを処分してしまおうと思った。ここがポイントです」
まるで、手品の仕掛けを解説するマジシャンのように、流れるように論理が展開されていく。
「青野君の原稿を執拗に処分しようと思ったのは、何かの代償行為ではないか。私にはすぐにそう思いました。では、なにに対する代償行為なのか。こういう場合、人間を狂気に駆り立てるのは、恨みと嫉妬のどちらかです。そして、あなたはそのどちらも青野英治君に持っていたんじゃないでしょうか。例えば、彼の小説の才能に嫉妬し逆恨みしていた、とか?」
「……」
思わず息をのむ。どうして、どうして、ここまで。
「そうなれば、あなたの行動には、ひとつの論理のようなものが浮かび上がってくる。あなたは、小説や作文で何度も表彰されるくらい優秀で才能がある女性だ。物を書くという分野においては、相当な自信があったはずです。でも、その自身が年下の後輩に負けた。若いあなたには、死ぬほど苦しいことだったと思います」
やめてよ、浅い同情なんていらない。
「だからこそ、青野英治君の才能の象徴である原稿にあそこまで執着した。すべて捨ててしまいたいくらいに」
「勝手に、妄想を……」
「ええ、妄想です。ですがね、もう一つ確証があるんですよ。実は、奇跡的に、青野君の原稿は1作だけ無事だったんです。これは、その原稿のコピーですね。もちろん、部長であるあなたはこの原稿を読んだことがあるでしょう」
あのネット小説の原型となった原稿だった。いまいましい。なんで、あれが……
「ええ、そうですか、一つでも無事でよかったですね」
「ええ、それがあなたを追い詰めたわけですからね。本当に良かった。実は、あなたのウェブ小説のアカウントは特定済みです。ここ数日、何本か短編を投稿していらっしゃいましたね」
「読んだの?」
私の心の中に土足で入ってこないで。やめてよ。
「もちろん、読みました。私は専門ではありませんが、ずいぶんと青野君の小説に影響を受けている。素人の私でもわかるくらいに」
「……」
「おもしろいのは、青野英治君が小説をウェブに投稿した後に、追うようにしてこちらを書いていることです。まるで、対抗するかのように。まるで、すがるかのように……」
心の中はかき乱されていた。
「大人の本気をなめないほうがいい。あなたが、ストーキングのように数日、青野君の後をつけていたこともわかっています。青野君が打合せをしていたカフェにも行っていましたね。スマホのGPSや電子決済の履歴、店員の証言。すべて、あなたが彼に執着していた間接的な証拠になっている。あなたは、後輩の才能に嫉妬し、その才能を潰そうとして、返り討ちにあった。すべてはあなたの嫉妬から始まった。違いますか?」
自分は他人を思い通りに操れると思っていた。
でも、そんなのは子供の浅知恵だと思い知らされる。
小説でも否定された。もう、私には何も残されていない。
「……」
言葉にもならない悲鳴と泣き叫ぶ声が取り調べ室に響く。みっともないくらい子供のように泣き叫ぶ自分が情けなかった。なんとかして、言い返そうとしたけど、言葉にならない。
本当に自分は子供だと無理やり理解させられる。屈辱と羞恥のらせん階段を下り続けた先に、自分の破滅を突きつけられた哀れな道化師。
心は完全に壊れ始めていた。
「終わりだね。少し休憩にしよう」
刑事はそう言って出て行った。
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