第2話 噂とえん罪

 絶望的な誕生日が終わり、れた頬を母さんに見つからないように、部屋に閉じこもった。親父は、3年前に病気で死んだ。今は、母さんと兄さんの3人暮らし。ふたりとも、仕事が忙しいので、帰りも遅いから、運良く気づかれずに済んだ。


 ふたりに、「調子が悪いから、部屋で寝てる」とメッセージを送って、部屋の鍵を閉めた。心配した2人が仕事から帰ってきて扉の前で話しかけてくる。申し訳ない気持ちになりながら、「夏風邪かも。うつすと悪いからさ。夏休み終わるまで寝てるよ」と嘘をついた。


 心配したふたりはおかゆやプリン、スポーツドリンクを扉の前に用意してくれた。とりあえず、適当にそれを口に運んで、あとは何も考えずに寝て、大切な高校2年の夏休みが終わった。

 

 どうしようもない虚脱感に襲われながら。


 ※


 何度も悪夢を見た。

 美雪と近藤先輩がホテルで抱き合ってキスをしている映像を、俺はモニターから見ていることしかできない。


「本当に気持ち悪いんですよ、エイジって。幼馴染だから優しくしてあげたのに、勘違いして告白してくるんだもん」


「そんな気持ち悪い男の事なんて忘れてしまえよ。今は俺だけを見ていろ」


「はい!!」


 結局、幼馴染として10年間一緒に過ごしても、俺は彼女に指一本触れることもできなかった。センパイは美雪に何度も俺の悪口を言わせて、えつに入っていた。


 夢であるはずなのに、吐き気が止まらない。自分の人間としての尊厳が壊されていく。心が壊れていく音がする。


 もうやめてくれよ。こんなことって。

 あの歓楽街で恋人同士がなにをするか。馬鹿な男であるおれでもよくわかる。結局、誕生日デートをすっぽかされてしまったのも、俺よりも先輩の方が大事だったからで。


 俺は結局、男としての価値がなかったんだな。


 ※


 どうしようもない気持ち悪さで新学期を迎えた。なんとか制服に着替えて、学校に向かう。世界がセピア色に変わってしまったように思う。坂道の通学路は、もう拷問にしか感じられなかった。


『ねぇ、あれが天田さんに暴力を振るった青野だよね』

『うわ、キモっ』

『天田さん、かわいそう。腕がアザになってたよね。女の子に暴力振るう男って最低』

『彼女は優しすぎるんだよ。だから、ストーカーが勘違いする』

『今まで友達だと思ってたけど、今日からはなしかけられねぇよ』

『っていうか、近藤先輩かっこいいよね。だって、あのストーカーDV男に勇敢に立ち向かって、撃退したんでしょ。やっぱりかっこいいな』


 俺の顔を見る度、陰口がささやかれていた。心に鈍痛が走る。わかっていたんだ。あの日から何度か友達から連絡があった。それは、俺が美雪に暴力を振るっていたという噂についてだった。


 どうやら、あの近藤先輩が積極的に噂を流しているらしい。情報源は決まってサッカー部の男子からで……


 俺は何度も無実だと訴えたけど、聞き入れてもらえなかった。


 ※


「犯罪者は、決まってそう言うんだよ」

「もう、絶交だから。学校でも話しかけてくるなよ」

「最低!!」


 ※


 仲のいいクラスメイトたちからは、SNSをブロックされてしまった。もう、誰も味方はいない。


 冷たい目線を無視して、なんとか教室にたどり着いた。しかし、案の定、そこも地獄だった。誰も俺に目を合わせようとしない。


『バカ』

『死ね』

『犯罪者』

『学校に来るな』


 俺の机には罵詈雑言ばりぞうごんの落書きがあった。遠くでクスクスと笑い声が聞こえる。


 後から美雪がやって来た。俺と視線が合って、気まずそうにそらされた。天使のように思っていたブレザー姿の幼馴染は、俺をハメた悪魔に姿を変えていた。


『美雪ちゃん。大丈夫だった? ケガとか』

『怖かったよね。あいつに何かされたらいつもで、言ってね』

『別れ話をしたら、逆上して暴力振るうなんて最低よ』


 美雪は適当に言葉をにごしながら、席についた。事情を知らない人から見ればいたいけな美少女。それがさらに周囲の同情を誘うことになる。


 くそ、どうしてみんな俺のことを信じてくれないんだ。

 俺はストーカーなんてしてないのに。

 動揺して力を込めて、美雪の腕をつかんでしまったけど、アザなんてつくほどのものじゃなかった。


 どうして、どうして、どうして!!!


 いたたまれなくなって、俺は廊下に逃げ出す。しかし、そこにも悪魔がいた。

 近藤だ。

 あいつは、ニヤニヤしながら、俺の苦しそうな顔を見ていた。たぶん、のぞきに来ていたんだろう。サッカー部の後輩を使って、俺の悪いうわさを流して、学校で孤立される作戦の結果を見に来たんだ。


「どうだ、犯罪者君? 気分は……」

 したり顔のチャラ男はしたり顔でこちらをあざ笑っている。


「どうして……あんな嘘を」


「楽しいからだよ。俺に女を奪われた上に、すべてを失う。最高のショーだろ。お前みたいな勘違い男が、美雪なんかに手を出すからいけないんだぞ。早く退学でもなんでもしちまえよ。俺は、他人の人生をめちゃくちゃにするのが大好きなサイコパスなんだよ」

 近藤からはほんのりたばこのにおいがした。それを隠すかのように、くちゃくちゃとガムをかんでいる。


 それが神経を逆なでする。


 思わず膝から崩れ落ちた。声にならない悲鳴を上げながら、俺は身体から崩れ落ちる。冷たい廊下の感触が感じた後、意識はゆっくりと闇に落ちた。

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