第208話 母と愛
母さんは、俺の質問に対して、すべてを理解したとばかりに笑う。優しくやわらかい笑顔で。
「そっか。英治がそのことを聞くってことは、やっぱりそうなんだ」
少しだけ複雑な感情をこめて笑う母さんの表情は、娘を思う母親のように少しだけ物悲しそうだ。
「母さん?」
「詳しくは、仕事が終わったら話すわ。少しだけ待っていて」
「うん」
俺は、家に帰って、風呂の準備などをして待つ。
今日はいろいろあったから少しだけウトウトしてしまった。
※
「英治?」
母さんの声で目を覚ました。どうやら寝てしまったみたいだ。
「ごめん、寝てた」
リビングの机に突っ伏していたから身体が少し痛い。
「疲れたんでしょ。話、明日にする?」
「いや、今日がいい」
母さんは、わかったとうなずいて、俺の目の前に座った。
「そう。じゃあ、麦茶だけ持ってくるわ」
そう言って母さんは冷蔵庫から麦茶を注ぎ、俺の分も合わせて持ってきてくれた。
「ありがとう」
お互いに麦茶を一口飲み、話を始める合図が出た。
「母さんは知っていたの?」
「知っていた、とは言えないわね。もしかしてとは、思っていただけ。愛ちゃんが瞳さんによく似ていたから。愛ちゃんと会ったのは、赤ちゃんの頃だけだし確証が持てなかった。宇垣という苗字じゃなかったから、人違いかもしれないし、何か複雑な事情もあるかもしれない。そう思って、自分から詳しく聞こうとは思えなかったわ」
「……そっか」
母さんは、結構、子供の意思を尊重してくれる。愛さんにも、俺と同じように接してくれていたんだと思う。
「さっきの英治の質問に答えれば、宇垣さんは、お父さんの葬儀以来、ここに来ていないわ。南さん以上に相当責任を感じていたから……」
そうだ、父さんとあの三人はとても仲が良かった。仕事終わりに、お酒を飲んだりしていたし、休日はボランティア活動でも一緒だった。
「それで、事故が起きたんだ?」
「ええ、私もお葬式に参列したくらいで。お嬢さんは入院していたから、会えなかった。宇垣さんは喪主で忙しそうだったから、ほとんど話せなかったわ。私はそれ以来、ずっと会えていない。南さんから、何かを忘れようとするくらい仕事に没頭しているとは聞いていたけど」
最愛の妻と親友である父さんをほぼ同時に失ったことで……宇垣のおじさんの何かが壊れてしまったのかもしれない。ぼんやりとそう思った。
「母さん、今日、俺から聞いたことは、一条さんには内緒にしてくれないかな。たぶん、彼女から母さんにきちんと話したいと思っているはずだから。結果的に、嘘をついてしまったこと、かなり気にしていたから」
「うん、わかったわ」
たぶん、愛さんは相当、気にしているはずだ。彼女の性格から考えて、自分からしっかり説明したいだろう。今回の件は、俺が焦りすぎたのかもしれない。後悔を含みながら、母さんを見ると、俺の気持ちを察してくれたのか、優しく笑ってくれた。
「がんばったわね、英治」
「えっ?」
「愛ちゃんにしっかり寄り添ったからこそ、彼女の重い心の扉を開けたんだわ。がんばったわね」
そう言われると、胸が少しだけむずむずする。
「いや、俺はずっと皆に助けられっぱなしだし」
「そうね。でも、英治。心が弱っている時に、ただ近くに一緒にいてくれるだけで、救われるものよ。お父さんが亡くなった後、お兄ちゃんやあなたが私にしてくれたみたいに。ただ、同じ時間を過ごしてくれる人がいるだけで……」
「うん、ありがとう」
仮眠を取ったからか、身体は軽かった。少しだけ小説を書こう。
そう思って自分の部屋に入る。
※
―宇垣幹事長視点―
久しぶりに、地元に戻ってきた。
馴染みのバーで、軽くウィスキーを飲む。
「珍しいな。このモルトで、シェリー樽ではなく、バーボン樽を使っているなんて」
そう言うと、いつものマスターは笑う。
「ええ、免税店限定品でして。取り寄せました」
「甘くクリーミーで、原酒の良さがわかりやすい」
そう簡単に伝えると、彼は笑った。
「では、わしも同じものをもらおうか?」
後ろから声が聞こえた。馴染みのある懐かしい声だ。
「南さん?」
「ああ、久しぶりだね。宇垣君」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます