第65話 愛vs美雪

―愛視点―


 思わぬ巡り合わせに、こちらが絶句してしまう。どうして、彼女が私の名前を知っているのかについては、今は考えないようにしよう。


 あんなに、大胆に動いたのだから、元カノである天田美雪さんの耳に噂が届いていることは、容易に想像できる。


「初めまして。一条愛です」

 私は、冷たく言い放つ。正直、会話もしたくはなかった。


「きょ、今日は、英治と一緒じゃないの?」

 挨拶も返さずに、震えた声で聞き返してきた。


「まるで、いつも一緒にいることを見ているような言い方ですね。学校の先輩ですが、天田さんと話すのは今回が初めてですし、かなりプライベートな内容に踏み込んだ質問ですので、お答えする義理もありませんよね」

 かなり、とげを含んだ話し方になってしまった。嫌われようが、構わない。


「だって、私は、英治の彼女……」

 その言葉を聞いて、思わず目を疑ってしまう。あんなひどい仕打ちをしていたのに、まだ付き合っているつもりなの、この人は?


「そうなんですか。でも、天田さん、サッカー部の近藤さんを選んだんですよね。今まで、ずっと支えてくれていた幼馴染の青野英治センパイを捨てて。それも、彼の誕生日に……」

 あえて、すべて聞いているように話す。これは、私の持っている情報が間違いではないかの確認の意味も込めている。


「それ……は……」

 やはり、答えにきゅうした。図星か。


「その時点で、おふたりの恋人関係は、終わっているのでは? それも、あなたが彼を裏切ったという最悪の終わらせ方をして」


「だって……」

 やっぱり、彼女は答えてくれない。


「答えられないということは、真実ということですよね」

 彼女は、目を伏せて泣き出しかけている。

 すでに、こちらはあなたの浮気も、最愛の恋人を裏切って保身のためにえん罪をなすり付けたことも全部わかっている。暗にそう伝えた。


 ここで、彼女を断罪してもいいが、私のような部外者が彼女を追い詰めても意味がない。だから、彼女には冷静に今の自分の立ち位置を伝えることにした。自己弁護を続けようとする彼女に冷たい視線を送りながら。


「私たちは10年以上ずっと一緒だったんだよ」

 

「それを裏切ったのがあなたなんですよ。10年間かけて築き上げた信頼をあなたが壊した。それもひどく残酷な方法で。恋愛は自由です。他に好きな人がいれば、英治センパイとは、きちんと別れるべきだったと思います。それが最低限必要な対応だったはず。でも、あなたはそれをしなかった。挙句の果てに、恋人の誕生日に彼を捨てるような最低の行為に走った。どうしてですか、どうして、あんなにやさしい人をわざわざ苦しめるやり方をしてしまったんですか?」

 語気が荒くなってしまった。いつになく早口でまくしたててしまう。


「私だって、英治とは別れたくなかった。ずっと一緒だったし、私の初恋だった。でも、近藤さんと間違いを犯して、その後もズルズル関係をもってしまって。本当は、少しの間だけのつもりだったのに。最後は英治を選ぶはずだった。それなのに、それなのに。あの日、偶然、彼と出会ってしまった。会うはずがない場所で。なぜか彼はそこにいた」

 壊れた機械のようにしゃべる彼女は、痛々しいほどの自己憐憫れんびんを並べている。まるで、自分が悲劇のヒロインのように。


「でも、あなたは加害者なんですよ。あなたは自分が苦しんでいるように言っていますが、一番苦しんだのは英治センパイです。私にはあなたが自分勝手なことを言っているようにしか聞こえない」


「うう……」

 彼女は、固いアスファルトの上に崩れ落ちていく。


「どうして、あんな嘘のうわさを流したんですか。そのせいで……」

 思わず真実を話しそうになって、慌てて口を紡ぐ。私が伝えるべき事実ではないことに気づいていた。


「怖かったの。あのまま、自分が一人ぼっちになっちゃうのが怖かったの。英治とはもう、元の関係には戻れないし。だから、先輩にすがってしまった。ごめんなさい、ごめんなさい」

 すがりつくように、謝罪の言葉を発していく。

 その言い分に思わず、頭に血が上ってしまった。


「そんな理由のため?」

 思わず聞き返す。


「えっ?」

 その態度は求めていたものではなかった。


「あなたは、そんな理由のために、あの優しい青野英治という人間の人生を台無しにしようとしたんですかっ!!」

 

「ひぃ」

 彼女は、こちらの剣幕に圧倒されて短い悲鳴をあげる。思わず、彼女の頬をはたきたくなる衝動に駆られたが必死に理性がそれを制した。こんなことをしたら、彼女たちと同じ側に回ってしまうから。人間ではない、欲望だけに動かされた哀れな動物に。


「先輩は……夏休み明けのあの日。死のうとしていました。あの優しい彼が自殺しようかと考えるほど、あなたたちのせいで追い詰められていたんです。彼が何をしたんですか。ただ、恋人と楽しく誕生日を過ごしたかっただけですよ。それなのに……天田さん。人の純粋な善意を踏みにじって、さらに保身のために彼を悪者にする。そして、被害者を自殺寸前まで追い詰める。そんなことをしたあなたたちを、私は絶対に許しません。許すわけにはいきません。出過ぎたことを言いました。それでは、失礼します」


「エイジが……自殺? うそっ……」

 みるみる顔色が白くなって、感情が死んでいく様子の天田さんだったが、もうこれ以上、話すことはない。私は、崩れ落ちる彼女を無視して、その場を後にした。


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