第161話 英治と立花

―立花部長視点―


 どうすればいい。この状況をどう利用すればいい。

 利己的な自分の脳がフル回転を始める。


 そうだ、謝ってしまえばいい。自分たちは、嘘の噂に騙された被害者のように装えば……


 彼は、私が今回の件の黒幕であることを知らない。

 善良な彼のことだ。うまくいけば、丸め込めるかもしれない。そうだ、どうして、それに気づかなかったのかしら。


 そこで、彼がフリーズしながらも、こちらに向けている視線に心配の色がにじんでいることに気づく。


 そうか。さきほどまで、保身を考えていた自分の頭が、別の考えが浮かんでしまう。


 屈辱だ。

 さっき、校門の前で聞いた男の人の声が、目の前で立ちすくんでいる英治君と一致した。私は、彼に助けられたんだ。じゃあ、どうして、こんなに驚いているのよ。


「あ、あの……立花部長大丈夫ですか。ずっと、寝ていたんですか。あれから、2時間も経っているのに」

 そうか、そういうことね。彼の複雑な表情は、驚きと警戒と心配。いろんな感情が混じったものだった。


「助けてくれたのね、ありがとう」

 私は、屈辱に震えながらも、一応の礼を言う。


「とりあえず、大丈夫そうですね。よかった」

 彼は本当に一安心している様子だった。

 まだ、利用できるはず。そう思って、口を開こうとした瞬間……

 彼のほうから言葉が紡がれていた。


「あ、あの、えい……」


「部長、ごめんなさい。実は、俺、聞いてしまったんですよ」

 その言葉を聞いた瞬間、血が凍ってしまうような錯覚を覚える。まさか、もうばれているの。汗が止まらなくなる。


「え?」


「始業式の日。俺、部長が眠っているベッドにいたんです。そこで、部長と誰かの会話が聞こえてきて。わかっていたけど、俺、才能がなかったんですね。そんな、俺にいろいろ教えてくれて、そこだけは感謝しています。ありがとうございました」

 思わず絶句してしまう。何かの嫌味だろうか。それとも、プロデビューが確定した人間の余裕かなにかなの?


「何を言っているの?」

 私が欲しいものをすべて手に入れて、ネットで大人気になっていることも、プロの編集者に絶賛されていたことも、全部知っているのに。彼はそんなことは、おくびにも出さず、自分が無能者のようにふるまう。


 これで、自分の虚栄心が満たるわけがない。これは、勝者の余裕だ。青野英治の二番煎じという屈辱的な評価をされている私への同情的なものが含まれている。


「原稿を捨てられたこと……ひどいことされたことは、どうしても許せないし、心の整理ができないけど、それでも、俺がここまでこれたのは部長がいろいろ教えてくれたからってのもあると思うので。そこだけは、感謝しています。ありがとうございました」

 彼は、無神経に私の古傷をえぐっていく。

 彼はずっと、私のことを文芸コンクールなどに入賞した才能ある先輩だと思っていたんだろう。自己評価が低すぎる。そして、私なんかが追いつけないほどの実績を積み上げた彼に、そう言われるだけで、こちらは屈辱に震える。


「……い…げんに……して」

 屈辱と嫉妬で心がどうにかなりそうだった。

 保身のために、彼に謝って、文芸部のことをうやむやにする作戦なんて、頭の中から吹き飛んでいた。


「えっ?」

 

「いい加減してよ。あんたなんかに同情されても、嬉しくないのよ。私よりもはるかに才能があるあんたに……慰められても。今日助けてくれたことも、さっきのお礼も、何の嫌味よ。どうして、ピンポイントに効果的に、私のことを追い詰めてくるの。私は、ずっとずっとあなたのことが怖かった。いつか、私の手が届かないところに行ってしまう才能を持つあなたのことが嫌いだった。同情なんかしないでよ。そんなことされても……むなしいだけ」

 思わず感情が爆発して、子供のようにわめき散らかしてしまう。

 彼は、少しだけ悲しそうな顔をして、すぐに表情を切り替えた。


 彼の中では、もうすでに私は過去の人間のように扱われているとわかってしまった。


「そうですか。残念です。でも、俺はもう立ち止まれませんから。前に進みます。じゃあ、自分、次の授業があるので」

 彼は、教科書をもって、保健室を出て行ってしまう。

 私が知っているはずの彼なら、こんなことを言われたら立ちなれないほど落ち込むはずなのに。ほとんどダメージを受けているようには見えなかった。むしろ、悲しそうな表情の中から、私への同情を感じ取ってしまう。


 どんな暴言を吐いても、彼には届かない。むしろ、憐みの目でこちらを見るだけ。


「青野英治ぃっ」

 恨みを込めながら、もう絶対に届かないはずの男の名前を呼ぶ。


 ※


―高柳視点―


 立花の調子が戻れば、事情を確認しようと保健室に向かったところ、青野との口論を保健室の外で聞いてしまった。

 

 気づかれないように、慌てて廊下の角に隠れて、青野をやり過ごす。彼は完全に断ち切っていたことが伝わる。


 問題は立花のほうだ。先ほど見せたどす黒い感情が、今回の事件に関与しているとすれば、彼女のことを見逃すわけにはいかない。

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