第170話 遠藤と堂本父

―遠藤視点―


 青野君からメッセージが届く。

 どうやら、部活の後輩がいじめ問題に巻き込まれてしまったらしい。後味の悪い展開だな。せっかくサッカー部を排除したのに、まだ文芸部という膿が出し切れていなかったという事実に気が重くなる。


 人間の業の深さってやつだな。


「もちろん、協力するよ。もし可能なら、明日の昼休みにでも紹介してくれ。学食でみんなでランチでもしながら、顔合わせでどうかな?」


 俺のメッセージに、今井も同意してくれて、明日の昼の予定が決まった。

 たまには、美味しいと評判の学食のカレーライスでも食べようか。


 そんなことを考えていると、目の前でパトカーが止まった。

 一瞬身構えるが、こんなことをする警察官に一人心当たりがあった。


 いや、間違いなく彼だ。

 見知ったおじさん警官が、ゆっくりと車の外に出てくる。


「一樹君じゃないか、久しぶりだね」

 いつものように優しい声色。数年ぶりだというのに、毎朝、あいさつしているかのような気分になるほどの親近感。そして、警察の制服からかもしだされる圧倒的な安心感。


「堂本のおじさん。お久しぶりです」

 ゆみのお父さんだった。昔から知っていて、いつも優しいおじさんだ。

 でも、ゆみと友達以上、ギリギリ恋人未満のような関係になっているから、少し複雑な気分だ。


「娘から話は聞いているよ。大変だったな。また、ゆみと仲良くしてくれているようで嬉しいよ。今から署に帰って、仕事終わりなんだが……どうだろう、久しぶりに食事でもどうかな。ご両親には、こちらから連絡しておくからさ」

 そう言われてしまうと、断る理由もない。今日は両親は仕事で遅くなるらしいし、適当にスーパーの総菜で済ませようと思っていたくらいだ。


「いいんですか?」


「もちろんだよ。今日は妻が、婦人会だから、ゆみと外で食事をする予定だったんだ。君が来てくれれば、絶対に喜ぶだろう」

 そう言って、近所で昔からある焼肉屋さんの書いたメモを渡される。


 ゆみのお父さんは、警察官ということでバリバリの体育会系だから、昔から焼肉に連れて行ってもらっていたことを思い出す。いつもの店で、これまでのことを仕切りなおそうと言ってくれているように思えた。


 ※


 俺が焼き肉屋の前で、美味しそうな煙の香りを堪能していると、仕事帰りのおじさんがやってきた。ゆみの姿は見えない。


「待たせたね。ゆみは、学校の勉強会で15分くらい遅れてくるらしいから、先に入って待っていよう。ここは暑いからね。早く冷えたビールでも飲みたいよ」

 有無を言わせずに、店の中に入ることになってしまった。ちょっとだけ気まずいから、早くゆみが来てくれと思っていたのに。


 店に入るなり、おじさんはビールとキムチ、枝豆、塩キャベツ、コーラを注文してくれた。


「肉を食べていると、ゆみに怒られるから、野菜をつまみに先に始めちゃおうぜ」

 ビールとコーラがすぐに届く。


「乾杯」

 スピード感ある展開で、こちらはついていくだけで精一杯。


 ビールとコーラのジョッキがいい音を立てて、ぶつかりあった。暑いから冷えたドリンクがたまらなくうまい。


「うまい。特に、一樹君と一緒にお酒を飲めるから最高だ。実はね、こうやって娘の恋人と酒を飲むが少し夢だったんだ」

 いきなりの爆弾宣言に、思わずコーラを吐き出しそうになる。

 からかわれたとわかったのは、おじさんの嬉しそうな顔をこちらに向けているから。


「冗談だよ。まだ、友達だもんな」

 あえて、「まだ」を強調するあたり狙っていたのがわかる。


「やめてくださいよ、結構真剣に悩んでいるんですから。俺なんかで本当にいいのかって」

 それを聞くと、うんうんとうなずきながらビールをもう一口飲むおじさん。


「青春だな。だいたい、俺は君を昔から評価していたんだぞ。"なんか"じゃないぞ」


「ありがとうございます」

 俺の少し不安そうな顔を察してか、おじさんは有能な警察官の顔をのぞかせる。


「失礼なことを言うかもしれないが、聞いてほしい。君は、中学校の時に大変なことに巻き込まれた。本来なら周囲の大人である俺たちが君を守れればよかったんだ。そのことは、今でも後悔しているし、申し訳なかったと思う」


「そんなことは……」


「いや、子供を守れなかったというのは、どんなことであっても大人の責任なんだ。君の身に起きたことを考えれば、大人だって耐えられない人はたくさんいる。でも、君はそれを乗り越えようと努力した。辛いことがあって心がズタボロになるというハンデを背負いながら、1年進学が遅くなってしまったとしても、地域の難関進学校の入試を突破したんだ。すごいことだよ。君は本当にすごい。大人になれば、わかるよ。君は1年を無駄にしたと思っているのかもしれないけど、違うんだ。挫折や困難を乗り越えたという経験は、かけがえのないものだよ。それができるだけで……僕は一人の人間として一樹君を尊敬しているんだ」

 思わず眼がしらが熱くなる。おじさんは、「ふっ」と笑いながら、「もういいや。肉たのんじゃおう。カルビ食べよう」と暴走を始める。


 後から来るであろうゆみに、叱られるのを覚悟して。

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