第35話 教師と親

―キッチン青野(高柳視点)―


 俺は、校長先生と一緒にキッチン青野へとやってきた。

 本来なら昼休憩の時間にお邪魔するはずだったんだが、青野のお母さんは、すぐに話をしたいということだったので、お店が開店する前の9時30分に面談の予約を行った。


 青野の件は、三井先生に任せている。今日から青野の補習もはじまる。校長と教頭がかなり根回ししてくれたおかげで、授業の遅れは1日だけに収まりそうだ。体育や芸術関係の単位をどうするかは現在協議中だが、休みの日や放課後に何らかの補習やレポートを書くことで対応する方向で最終調整中だ。


 今回、青野本人は同席せずに、親と教師だけでの話し合いとなった。


「ここが青野君のおうちですね」

 校長先生は、持っていた紙袋を握りしめる。自分と校長がふたりで、今わかっている情報をまとめて作った資料や今後の方針について書かれた資料の束だ。


「はい」


「高柳先生。最終的な責任は、私が取ります。それが学校の長としての職務ですので。だから、あなたはしっかり事実を伝えて、あとは青野君とご家族に寄り添う形でお願いします。まぁ、正直、キミは言わなくてもできているから心配していませんけどね」


「買いかぶりすぎです。手が震えて、心臓バクバクですから」

 こういう状況だ、やっぱりどうしても緊張する。正直に言えば、逃げることができるなら逃げてしまいたい。


「そうなるのは、当たり前ですよ。私だってそうですから。しかし、私たち教師は、生徒の一生を左右してしまうほど大きな存在でもあるんです」


「その通りです」

 だから、逃げるわけにはいかない。


「きっと、親御さんも高柳先生のことはわかってくれます。では、行きましょう」

 

 ※


―母視点―


「この度は、大変申し訳ございませんでした」

 校長先生と担任の高柳先生は、玄関に入るなり開口一番、私に向かって頭を下げて謝罪してくれる。もしかしたら、適当な謝罪とお茶を濁すような対応法だけ説明されて終わりかもしれないと思っていたけど……


 ふたりの誠実な態度は、私に安心感を与えてくれる。南先生も言っていたけど、どうやら本当に校長先生たちは立派な教育者みたいね。


 お兄ちゃんは、エイジを溺愛していて、冷静な判断ができなくなりそうなので、準備をそのままお願いしている。


「頭を上げてください。先生たちは、いつこのトラブルを把握したんですか」

 担任のやせた先生が答える。


「夏休み明けのホームルームの時間です。英治君が体調不良で調子が悪く、保健室に行ったと聞いた時に、彼の机に落書きの痕跡がありました。そして、すぐに教頭先生から校長先生に伝えて、対応を協議しました」


「そんなに早く気づいたんですね。英治はすぐに先生に相談したんですか?」

 正直びっくりした。この人がどれほど職務に励んでいるのかよくわかる。


「いえ、結局、青野君は保健室を抜け出して、教室に戻ってこなかったんです。ですので、先日、保健室の三井先生から、お母様の方にお電話させていただきました」


「なるほど……」

 たしかに、保健室の先生から電話を受け取ったわね。


「その日は、今井君に英治君とつないでもらって、翌日に事情を聴きました。こちらが今わかっていることをまとめたものです」


「そうですか。読ませていただきます」

 そこには、エイジが恋愛がらみのトラブルに巻き込まれて、その影響で変な噂を流されていることがつづられていた。名前は伏せてあるが、美雪ちゃんと浮気相手にも事実確認をしていることも書かれていた。嫌がらせの実行犯と思われるクラスメイト2名も調査中であることも。また、英治の学業に関してはできる限りのサポートをする旨と本日より補習が始まることも書かれていた。


「先生、最後に書かれているこの文は本気ですか?」

 報告書には、「現在確認されている様々な行為に関しては、器物破損や名誉棄損などの犯罪行為が確認されており、加担した生徒に対して、警察に相談することや退学や停学を含む厳しい処分を検討している」と書かれていた。本来の学校側としては、こういういじめ問題に警察を絡めることを嫌がる風潮があると聞くことが多いのに……


 高柳先生は即答する。


「ええ、学校側としては今回のような行為をした生徒を認めることはできませんからね。もちろん、名誉棄損などは英治君やお母様が警察に届出をするかどうかになりますので、そちらは青野さんの判断になります。しかし、机への落書き等に関しては学校側も備品を破壊される実害を受けておりますので、すでに警察の方にも相談させていただいております」

 

「こういう学校の問題に警察を介入させたくないのではありませんか?」

 思わず、私の方から聞いてしまった。高柳先生が答えようとしたところで、校長先生が先に口を開いた。


「259人。それが、去年、自殺で亡くなった高校生の数です。もちろん、いじめだけではなく、健康問題や家庭環境の問題で自ら命を絶った生徒の数を含みますが……」


「……」

 リアルな数字が自分に突き付けられて、思わず背中にナイフが突き刺さったような錯覚すらおぼえた。


「自殺未遂などを含めれば、いじめ問題で人生を狂わされた生徒はもっと多いでしょう。この数字はあくまで氷山の一角。そして、今回のような事件が起きてしまった」

 校長先生は、力を込めて断言する。


「生き死にの問題に発展しかねない問題が発生したのであれば、一番優先すべきは被害者である英治君のことだけです。我々、大人はまずは彼の将来のために動かなくてはいけない。そう思うのですよ。そのような大きな問題からすれば、学校の名誉など小さな問題にすぎません。そして、加害者である生徒の将来を考えれば、ここで隠ぺいすることは間違いなく、彼ら・彼女らの性格形成に悪影響を及ぼす。やってしまった過ちに対しては、きちんと償う機会を与えることもまた教育だと思っています」

 老紳士は、続けてしっかりとこちらの目を見て呼びかけてくる。


「英治君を守るためにも、我々に力を貸して欲しいんです」

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