第57話 目撃してしまう元カノ

―美雪視点―


「あっ、結局、今日は何も食べてないや」

 絶望でひとりでうずくまっていた。気づくと、もう日が暮れている。カーテンも閉めずに、灯りもつけずに、家に一人。今の自分は、完全に孤立しているのね。誰も優しい言葉もかけてくれない。


「全部、自分のせいだ」

 当たり前だ。いつも優しい言葉をかけてくれていたエイジやおばさんは、もういない。お母さんが仕事で遅くなっても、英治の家に行けば、寂しくなかった。家族の温かみが、あそこにはあった。私のことを、本当の娘のように受け入れてくれていたのに。


 お母さんが怒るのも……私がそんな恩人たちを裏切ってしまったから。近藤先輩は、結局、私のことを遊びとしか見ていなかったんだ。理解していたはずなのに。頭では理解していたはずなのに。


 結局、すべて自分の欲望に流されてここまで来てしまった。先ほどの写真を見て、一瞬で冷静になる。今までの恋の熱が嘘だったかのように、身体の血管が凍りついていくのを感じる。


 あの時、英治に私は何を言った……

 

 ※


「いやだ、捨てないで。私、センパイに捨てられたもう生きていけないの」


「エイジは、幼馴染だったけど……しつこくて、ストーカーみたいな最低の暴力彼氏です」


「ごめんね、エイジ。もう、あなたとは付き合えないの。学校でも話しかけてこないで」


 ※


 あの日の一瞬を思い出して、強烈な吐き気と自己嫌悪に包まれる。

 なんであんなことを言ってしまったんだろう。何度も後悔したけど、今日は今まで以上に強烈な嫌悪感。あの日……センパイと初めて浮気した日からの自分が自分じゃない頭の悪い別人みたいに感じられた。


 そして、強烈な吐き気がやってくる。

 

 なんで……エイジは、優しくて、大好きな恋人だったはずなのに。私の方から好きになったという自覚すらある。自分の初恋は、エイジだ。頑張ってアプローチして、やっと両想いになれた。


 優しい彼が大好きだった。温かい物語を書く彼が大好きだった。幸せな気分になれる彼の家が大好きだった。


 もうそれが絶対に手に入らない。あの騒動の後、エイジは一度も教室に戻ってきていない。先輩にえん罪をおしつけられて、クラスで孤立して、机に暴言を書かれるいじめをされた。自分はそれを止めることもしなかった。いや、違う。私もそれに関与して、エイジを追い詰めた。


 エイジのことをストーカーとも言ったし、暴力を振るわれたとも言った。優しい英治がそんなことするわけないのに。あの時だって、悪いのは私の方だった。


 私は最低の女だ。だって、彼氏の誕生日に浮気をしていたんだから。皆に攻められるのは、英治じゃない。私の方だ。


 なんとか、家をでた。コンビニに向かう。食事を取るために。

 遠くで一組のカップルが、横切る。思わず、それを見て固まってしまう。


 英治だった。彼は楽しそうに笑っている。横にいるのは……やっぱり一条愛。学校のアイドルが、同性である自分から見てもわかるほど、気合を入れて、オシャレしていた。まるで、恋人同士のデートの時みたいに。


 英治もまた、恋人に向けるような優しい笑顔を見せていた。

 頭の中が真っ白になる。二人に発見されないように、隠れてしまった。


「今日はありがとうございました、初デート楽しかったです」

 一条愛は、そう言って本当に幸せそうに笑っていた。


「そう言ってもらえて本当に良かったよ」


「次回も楽しみにしています。少し遅くなっちゃいましたけど、誕生日祝わせてもらってもいいですか?」


「えっ? 俺の誕生日どうして知ってるの?」


「先輩のお母さんに教えてもらったんですよ! 今日は本当に楽しくエスコートしてくれたから、お礼したいです」

 恋する乙女のように可愛らしい声と表情。同性から見てもドキリとしてしまうくらいの愛らしさと天使のような優しさに包まれた笑顔。


「ありがとう。楽しみにしているよ」

 この瞬間、自分の居場所は、一条愛のものになったと痛感させられた。英治のお母さんにも認められていて、本来なら私が祝うはずの誕生日デートの約束をして、彼の優しさを一身で受けている。全部、私が持っていたはずの宝物だったのに。


 絶望と何も食べずに、嘔吐を繰り返したからか。急に力が抜ける。目がちかちかして、呼吸が浅くなる。


 ふたりに気づかれないように、声をあげずに泣き叫ぶ。

 口の中に小石や土が入ってきてもやめることはできなかった。


 地獄はまだ始まったばかりだ。

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