第68話 幼馴染

―美雪視点―


 英治が自殺しようとしていた?

 その衝撃的な事実を聞かされて、今まで自分がしてきた事を思い出した。


 英治に隠れて近藤さんと浮気してしまったこと。

 英治の誕生日をドタキャンして、近藤さんとのデートを選んだこと。

 すべてがバレた後、自分の保身や恐怖から英治を陥れてしまったこと。

 そのせいで、英治はいじめられて、自殺を考えるほど追い詰められてしまった。


「最低の女じゃない。私って」

 やっと理解してしまった。いや、分かっていたのに、認めようとしなかったんだ。だって、怖かったんだもん。あの浮気がばれた時、自分が今まで築き上げてきた優等生としての地位や友達を全部失うのが……


 でも、あの時の自分はバカだった。

 だって、そのつまらない保身のせいで、捨ててはいけなかったはずの一番大事なものを失ってしまったんだから。


 思わずいつもの公園に来てしまった。

 英治と一緒に遊んだ近所の公園。


 ここでいっぱいふたりで遊んだな。ブランコをこぎながら、ずっとおしゃべりした。昔の思い出に浸りながら、ブランコに腰かける。


「じゃあ、大きくなったら、英治君のお嫁さんになる」

 小学校1年生くらいの時の思い出のセリフ。


「大丈夫だよ、ずっと一緒にいるから」

 英治のお父さんが急死してしまったときも、この同じ場所で彼を慰めた。


「やっと告白してくれたね。はい、私もずっと好きでした」

 

 一番大事にしていた思い出が次々にフラッシュバックしては消えていく。英治と一緒にいた10年間は、自分にとって一番大事な時間だったと教えられる。どうして、どうして、自分は今まで自分勝手に動いてしまったんだろう。


 英治は、ずっとこちらに寄り添ってくれていたのに。

 そんな恩を、仇で返したんだ、私は……


 にじむ目で、前を向いた。「遊具撤去のお知らせ。設備更新のため、以下の時間に作業します」という注意文が目に入る。ああ、一緒に遊んだブランコも滑り台も大事な思い出も消えていくんだ。そう理解すると、自然に涙が止まらなくなる。


「大好きだったのに、大好きだったのに、大好きだったのに。自分のせいで、すべて失ったんだ」

 残酷な事実で心はぐちゃぐちゃになる。

 あの優しい英治を裏切ってしまったんだ。地獄に落ちるべきだ。私が幸せになる資格なんてない。だから、英治を捨てて選んだ近藤さんにも捨てられようとしている。お母さんにも見限られる。


 本当にバカだった。

 あの温かく幸せな場所にはもう帰れない。


 ※


 思い出の公園に泣き崩れて、フラフラになりながら家に帰る。誰もいない場所に戻るしかない。


 人並みの中に見つけてはいけない人影を見つけてしまった。

 ずっと会いたかった最愛の人。


「エイジ?」

 思わず声をかけてしまった。私にはそんな資格もないのに。

 英治は一瞬驚いた表情を作り、こちらに振り向いた。


「美雪?」

 その表情には、困惑の色と恐怖に染まっていた。いつもの優しい笑顔を見ることができなかった。やっぱりもう……


 ※


「エイジは、幼馴染だったけど……しつこくて、ストーカーみたいな最低の暴力彼氏です」


 ※


 自分が言ってしまった言葉が何度も頭の中に反復する。


「なんだよ、俺を笑いに来たのか? もう話しかけてくるなって美雪が言ったんだよな」

 普段の英治とは思えないほど、冷たいものだった。

 それだけのことをしてしまったんだと理解する。


「ち、違う。そうじゃない。少しでもいいから前みたいに戻りたいって」

 幼馴染としての距離感は完全に壊れている。警戒している英治の声が心に突き刺さる。


「何を言っているんだ」

 冷たい言葉に心を押しつぶされながら、声を震わせて、頭を下げた。


「ごめんなさい。最低のことをしたのはわかっています。それだけでも、伝えたくて……」

 私の謝罪の言葉を聞いて、英治は表情すら緩めずにため息をついた。


 ※


―エイジ視点―


 思わぬ謝罪に、冷めてしまった自分がいることに気づく。

 あんなに心の中で大きな存在だったはずの、幼馴染の居場所が、どこにもいなくなってしまったことに気づく。


「もっと、怒ると思っていたんだけどな、俺。好きの反対は、無関心ってことか」


「何を言っているの、英治? 英治が許してくれるなら、私なんでもするから……」

 たぶん、これは美雪なりに謝っているんだと思う。でも、心に響いてこない。俺が求めているのはそういうことじゃないんだと思う。


 許すとか、そういう問題じゃない。

 ただ、不快に思う自分がいた。


「そうじゃないんだよ。これ以上、思い出を汚して欲しくないというか。やっぱり、俺たち今後とも付き合わない方がいいと思うんだ。それがきっとお互いのためだと思うから。これ以上、美雪のことを嫌いになりたくない」

 その言葉を聞いて、美雪は完全にフリーズする。


「えっ……」

 少しだけ罪悪感を感じながら、俺は続けた。


「俺、他に好きな人がいるからさ」

 拒絶の言葉をぶつけながら、俺は歩き出した。


「やだ、嫌だ。英治、英治……」

 その言葉に反応する義理もない。俺は、前に進んだ。

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