第67話 運命と偶然

―愛視点―

 

 私は、天田さんの元を逃げるようにして、離れる。

 出過ぎたまねをしてしまったという自己嫌悪をおぼえながら。


 本来は、私が言うべきではなかった自殺未遂の件を、天田さんに伝えてしまった。先輩は、隠しておこうとしていたはずなのに。


 自分の感情が暴走して止めることができなかった。


「(だって、命の恩人があんなに追い込まれていたんだ。あんなにやさしいはずの先輩が、誰かの悪意によって、死を選ぶ寸前だったのに、当事者はまるで被害者のように振る舞っていた。許せないよ。あんなに優しい人が、他人の悪意によってゆがめられるのを許せるほど、自分は人間ができてない)」

 自己嫌悪と怒りの感情。そんなネガティブな気持ちが身体を包んでいる。

 でも、どうしてか、後悔はなかった。


 英治センパイは、きっと優しいから、一歩引いてしまう。

 それがわかっていたから、彼の代理として、きちんと天田さんに伝えることができた。少しは役に立てることができた。たとえ、自分がどんなに嫌われようとも、矢面に立つことができたのだから、少しは恩を返せたのかもしれない。


 仮に、あの屋上で、私たちが出会わなければ、英治センパイは、あそこで死のうとしていたんだから。彼みたいなお人好しは、あんな場所で、誰もにも知られずに最期を迎えるべきじゃない。精一杯生き抜いて、幸せな家族に囲まれながら、旅立っていくべき人間だ。


 自分みたいに、他人の命を犠牲にしてまで、生きている人間とは別次元の存在。

 幸せになる義務がある。青野英治という人間はそういう資格を持っている人だ。


 ※


「愛。あなただけは幸せになってね」

「ごめんね。もっとちゃんと言っておくべきだったのに。こういう時にしか言えない、ダメなお母さんを許して。ずっと愛してる」

「大丈夫よ、あなたのことをきっと愛してくれる人と、絶対に会えるから」

「お母さんは、ずっとあなたと一緒にいるからね。ひとつだけ後悔があるとしたら、あなたの花嫁姿を見たかったな」


 ※


 ずっと思い出さないようにしていたお母さんの最期の言葉が思いだしてしまう。今までずっと逃げ続けていた言葉が何度も繰り返される。


 ありがとう、お母さん。あきらめかけていたけど、やっとあなたの教えてくれた言葉の意味、わかったよ。


 逃げようとしてごめんなさい。楽な方に行こうとしてごめんなさい。

 でも、やっと……


 好きな人ができたんだよ。自分よりも私のことを大事にしてくれる人に出会えたんだよ。


「英治センパイに会いたい」

 しっかりと彼に対する恋心を自覚する。高校生の恋愛なんて、しょせん一瞬の出来事に過ぎない。そんな風に冷めていた自分のことを呪う。


 彼を思う気持ちは永遠のものだと信じていたい。


 速足で、自分のマンションまで戻ろうとする。でも、運命の神様はここでも私に微笑んでくれる。


 遠くの方で手を振っている男の人がいた。青野英治さんだった。恋を知った自分はそのありふれた偶然を運命だと信じていた。


「センパイ!!」

 思わず抱き着いてしまいそうになる。ただの偶然だ。でも、ずっと会いたかったから、これを運命だと思う気持ちには嘘をつけなかった。


「一条さん、偶然だな!! これから夕食のラーメン食べに行くんだけど、一緒にどうかな?」

 彼は優しく笑う。昨日のデートで、ラーメン屋さんに行ったことがないという話をしていたのをおぼえてくれていたんだとわかった。ずっと興味はあったけど、


 理性よりも先に、口が動いていた。「いいんですか? ぜひ、行きたいです!!」


 何より先輩の優しさが嬉しかった。


 ※


―エイジ視点―


 サトシが貸してくれた授業ノートを印刷するために、俺はコンビニに向かっていた。その道中で、一条さんと偶然出会いラーメンを食べて解散した。彼女は、お嬢様だから、ラーメン屋なんてなかなか行かないらしい。


 おススメのメニューを美味しそうに食べてくれる。

 それだけで幸せだった。


 彼女をマンションに送って、帰宅の途に就く。

「喜んでもらえてよかった」

 そんな気楽な感想をつぶやいて歩いていると、目の前に見知った顔が歩いていた。

 見間違えるわけがない。


 変な動悸が止まらなくなる。

 会いたくはなかった女だった。


「エイジ?」

 かつての幼馴染兼恋人の天田美雪は、ゾンビのような白い顔で、俺を呼び留めていた。


 二度と会いたくはなかった元カノがそこにいた。

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