第38話 部活の後輩からの謝罪

 林さんは、不安そうな顔を崩さずに、下向きがちに俺の前に現れる。


「林さん。言いたいことあるんだよね?」

 一条さんがそううながすと、こくんと頷く。彼女は、俺の原稿を取り戻す時に、協力してくれたはず。だから、俺はさっきまでの緊張した表情を緩めて、彼女に接する。


 その緩めた表情を見て少し安心したのか、彼女は泣きそうな声で話し始めた。


「ごめんなさい。青野先輩っ」

 彼女は、すごい勢いで頭を下げた。地面にぶつかってしまうかもしれないとこちらが不安になるくらいの勢いで。彼女は、そのままの姿勢で続ける。


「先輩は、部活の時に、私に優しくしてくれたのに。私は、怖くてみんなに流されて、先輩のことを信じることができませんでした。一条さんみたいに、先輩の大事な原稿を守れなくてごめんなさい。あなたの力になるべきなのに、それができなくてごめんなさい」

 よく見えないけど、彼女の目からは涙がこぼれ落ちていた。

 そのはかないしずくが、道路のコンクリートの上で弾けた。


「私は最低です。あなたが噂のようなことをするはずがないと分かっていたのに、仲間から外れるのが怖くて、正しいことができませんでした」

 震えている林さんがとても痛々しかった。

 彼女は、部長たちのように俺に直接の攻撃はしてこなかった。今朝の話を聞いて、彼女のラインを見たら、文芸部で唯一ブロックされていないメンバーだった。


 謝る必要があるのは、彼女じゃない。俺に直接危害を加えた人間たちこそ、彼女のように真摯しんしに謝って欲しいのに。もちろん、謝っても許すつもりはない。でも、きちんと言葉を聞きたかった。


「頭を上げてくれよ、林さん。きみは、俺に直接何かしたわけじゃないんだ。それに、一条さんにいろいろ協力してくれたんだろ?」


「でも……」

 結局、こういうことなんだよな。一番苦しむのは、誠実な人間で、そうじゃない人たちは無責任にのうのうと生きていく。


 彼女は、前者だ。ここで俺が許しても、きっと彼女は自分が許せない。このままずっと苦しみ続けてしまうだろう。主犯でもなく、ある意味、巻き込まれただけなのに。


「ちゃんと謝ってくれた。それだけで本当に嬉しいんだよ。一条さんや今井っていう友達、親と教師以外では、林さんが一番最初に俺を信じてくれたんだからね。キミよりも先に謝るべき人はたくさんいるのに……それだけでも救われる気持ちだよ。だから、自分を許してあげてくれ」

 その言葉に、彼女は泣き崩れてしまう。あわてて、一条さんが彼女を抱きかかえて、支えになってあげた。本当に優しいよな、この学校のアイドルは。


「大丈夫だよ。林さんの誠意は、先輩にちゃんと届いているからね。親友の私が言うんだから、間違いないよ」

 一条さんは、優しく彼女の頭をなでながら、ふわりと泣いている同級生の身体を抱きしめる。まるで、聖母のように見えた。そのしぐさが、本当に美しかった。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 嗚咽をしながら彼女は何度も俺に謝り続けた。


 ※


 泣き止んだ林さんと別れて、俺たちは一緒に帰る。

 もう3日目ということもあって、奇異の目では見られなくなっている。慣れって怖いな本当に。


「林さん、文芸部辞めるみたいです」


「そっか」

 一条さんの言葉を聞いて、少し安心した自分がいた。彼女をあの部活の中に入れておくのは、少し危険だと思っていたから。


「毎回、ありがとうな。どうしてこんなに親身になってくれるんだ」

 本当に一条さんにはお世話になってばかりだ。


「それは、あなたもですよ。あの日の屋上で見ず知らずの後輩のために、ずぶ濡れになりながら、命を張って助けてくれたじゃないですか。あんなところで、暴れる人間を止めようとしたら、自分まで落ちちゃうかもしれないのに」


「いや、それはとっさだったから」


「それでもです。とっさにあんなことができる人はそんなに多くないですよ。あの時は、自暴自棄になっていたけど、今では生きていてよかったって本当に思っています。全部、あなたのおかげですよ」


「だからって……林さんと俺の中まで取り持ってもらっちゃって」

 正直、もらいすぎている。一生かけて返さなくちゃいけないほどに。


「今回の件で、センパイはたくさんのものを失ったと思います。私が偉そうに言うことじゃないけど。でも、すべてじゃない。林さんのように、あなたを信じている人はいます。それを知って欲しかったんですよ」

 彼女は、恥ずかしそうに笑った。夕日に照らされて、物げに笑う彼女は直視できないほど、綺麗だった。


「今回の件で、一条さんに出会えたことが一番よかったけどな」

 そう言うと、少しだけ顔を赤くして伏し目がちにつぶやいた。


「不意打ちずるいですよ、センパイのバカっ」

 そう恥ずかしがる後輩のことを見て、俺は幸せな気持ちに満たされていた。


 ※


―美雪視点―


 どうしよう。どうしよう。親に補導が伝わってしまった。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 お母さんに何て説明すればいいの。私はエイジだけじゃない。親すら裏切った最低の女だ。


 真っ青になって震えていると、審判の時間がやってきた。


「天田さん? お母さん来てくれたよ」

 女性警察官の人が優しく呼びかけてくれる。


 部屋のドアを開けて、お母さんは真っ白な顔をのぞかせた。


「……」

 その悲しそうな顔を私はずっと忘れることはできないと思う。これが神様からの罰なんだ。


「ねぇ、美雪? どうして、ここにいるの。私、昨日から必死にあなたのこと探したのよ。仕事も休んでね。なのに、なんで、英治君と一緒じゃないの? 一緒に補導された男の人って誰? あなたとどういう関係なの……」

 聞いたこともないような感情がこもっていない冷たい声で、私に問いかける。


「そ、それは……」

 泣きそうになりながら、声をしぼりだしたものの……


「私ね、昨日の夜、青野さんの家に行ったんだよ?」

 お母さんは、絶望の言葉を私に投げかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る