第176話 最終局面へ向かう各々
―都内某所(宇垣幹事長視点)―
密会のために、なじみのバーでウィスキーを飲んでいた。
今日のスコッチは、スペイサイド地方のものだ。
若いときに、親友とよく飲んだ思い出のボトル。お互いに、ウィスキーは香りを楽しみたい派だったので、氷は入れずに、ストレートでゆっくり飲んで、いろんな夢を語り合った。
「あの時代が一番楽しかったな」
そう、しみじみと思う。思えば、このいつものボトルはあれから何度かデザインが一新されている。それでも、なおシェリー樽にこだわった甘くフルーティーな昔ながらのウィスキーの味を維持している。お互いに子供ができたときに、誕生年のボトルを送りあった思い出が昨日のように思い返される。
思い出の酒をまた一口飲む。やはり甘い。レーズンやハーブ、黒糖、みたらし。複雑な味わいが幾重にも口に広がった。
「幹事長、遅くなりました」
待ち合わせしていた男がやってきた。もう少し感傷に浸りたかったんだが、残念だ。
「いや、大好きなウィスキーを飲んでいたから、もう少しゆっくり来てもよかったんだよ?」
「さすがに、これ以上遅くなるわけにはいきませんよ」
「飲み物はどうする?」
「では、マティーニを」
なかなかいいチョイスだ。マティーニとは、薬草酒である蒸留酒のジンを香草入りの白ワインであるベルモットで割るカクテルだ。
カクテルが運ばれてきた。彼が一口飲むまで、仕事の話はあえてしない。
「うまいですね」
マティーニというカクテルは、バーテンダーの技量が如実に出る。それを褒められるのは常連としてもうれしい限りだ。
「さて、仕事の話をしようか。閣議で総理はどんな様子だった?」
こちらの質問に期待の若手は答える。
「かなり動揺していましたよ。やはり、近藤市議の件で相当焦っているみたいで」
「だろうね。逃げようとしているみたいだけど、そううまくはいかないだろうな」
「マスコミのリークは、幹事長がやったんじゃないですか?」
やはり、彼は政治家としては若いな。まだ、理想に燃える青さがある。その青さは嫌いじゃないが、不用心だとも思う。
「さぁ、どうだろうね」
最大の武器はあいまいさだ。嘘はつくべきではない。でも、直接真実を告げるべきでもないときは、こうやって煙に巻くのが一番。
「正義はここで作られるとも言っていました。総理は、いじめ問題を早期に終わらせるために、高校に圧力をかけると言っていました」
「そうか。総理も随分甘いようで」
そう苦笑しながら、派閥の若手のホープである文科大臣に、私は笑いかける。
やはり、もみ消そうとするのか。そう、軽蔑の意味を込めながら。
※
―立花部長視点―
私は、満田君との約束をするとすぐに、文芸部の後輩の松田さんに連絡する。
すべては、彼女に罪を背負わせるために。
「松田さん。大変よ。すぐに会いたいの。ここに来てくれる? あと事前にこの番号の駅前のロッカーに秘密のメモを残しておくから見ておいて」
彼女への指令書をロッカーに残しておく。今駅に向かっているから、準備はすぐに終わる。
あとは、彼女と満田君とサッカー部員たちに動いてもらえば……
池延エリを口止めして、私は彼らに罪を押し付ける。
これしかない。
「そうよ。大丈夫。私は誰よりもうまく人間を操れるんだから」
それだけは、英治君や近藤君よりも優れた才能を持っていると思う。
最後の武器を最大限に使って、この難局を乗り切る。それが、最後の希望。
最後の希望?
どういうことよ。いつの間にか自分が人生のがけっぷちに追い詰められていたことに気づく。どうしようもない劣等感を抱え込まされたことにも……
今まで築いてきたものをすべて失い、逃げ切れたとしても青野英治という天才への劣等感を強く感じながらこのまま生きなければいけないという重い十字架が心の傷を深めていった。
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