第167話 校長の覚悟

 校長先生に席に座るようにうながされる。

 普通なら生徒が授業を抜け出して、ここに来たんだから、なにか注意を受けるかもしれないと思っていたけど、杞憂だった。


「怒らないんですか?」

 あえて、聞いてしまう。


「授業を抜け出してまで、相談したい大事なことなんだろう。本来なら注意くらいは必要かもしれないけど、君ほどの生徒だ。深刻なことだとわかるよ」


「ありがとうございます。サッカー部が主導していたいじめ問題の件なのですが……」

 そう切り出すと、彼はうんとうなずく。


「なるほど、調べていたんだね。南さんから話は聞いているよ。青野英治君とのことも」


「はい、彼には恩があるので。私は、彼が所属していた文芸部もいじめ問題に関与している可能性が高いと確信しています。文芸部は、青野英治先輩の原稿や私物を無断で処分する嫌がらせをしていました」


「うん。学校のほうでもそれは調査している。もちろん、当事者たちはとぼけているがね」


「ええ、そうでしょうね。しかし、警察のほうでは何か証拠をつかんでいるとも聞きます。向こうのほうは、私のほうで抑えているので、何かわかり次第、ご報告させていただきます。現在、私のほうで確認できた情報は、こちらの報告書にまとめました」

 私は、黒井が作ってくれた報告書の写しを校長先生に手渡した。


「ふむ」

 校長先生は、ゆっくりとページをめくる。これで文芸部への捜査は進むはず。


「そして、お願いというのは、もう一つあるんです」

 先生は、少し驚いたように、こちらを見つめる。この報告書以上の問題があると告げているようなものだから驚くのも無理はないわよね。


「聞かせてもらおう」


「はい、実は同じクラスの林さんという女子の件で。彼女は、文芸部に所属していましたが、今回のいじめ問題の件で嫌気がさして、部活を休んでいるんです。その彼女のSNSにさきほど、匿名アカウントからこのような脅迫のメッセージが送られてきたんです」

 先ほどの画面をスクリーンショットしたものを見せると、校長先生は思わず目をしかめるような拒絶感すら覚えている様子だった。


「これはひどいな。状況証拠からすれば、間違いなく文芸部の誰かだろうね。これでは、もうほとんど自白のようなものではないか」


「おそらく、気の弱い彼女を脅迫すれば、どこにも漏れることはないと思っていたんでしょうね」


「わかった。表立って教師が動けば、脅迫がエスカレートしかねない。まずは、林さんを守ることから始めないとな。担任の先生には、私のほうから伝えておくよ。他の先生にも、彼女と文芸部の生徒たちに注意するようにお願いしよう。君からは、林さんにできる限り物事が落ち着くまで一人にならないように言ってほしい。狙われるならそこだろうし、不安だと思うからね」

 やはり、的確に対処してくれている。相談してよかった。

 

「はい」

 できる限り、林さんと一緒にいるようにしようと思う。もし可能なら、信用できる人たちに協力してもらいたい。候補は、英治先輩の友達たち。あの苦境で、彼を裏切らなかった人たちなら安心して林さんを任せられる。今井先輩に、遠藤先輩にもお願いして……


「それにしても……なかなか、教師の本意と覚悟が生徒たちに伝わらないことが残念だよ。いじめは犯罪で、超えてはいけないラインだと説明しているにもかかわらず、この脅迫事件だ。警告済みにもかかわらず、第2の犯罪が発生してしまったのなら、こちらも容赦はしないよ。林さんにこれ以上の精神的な負担がかからないように早期解決を目指すつもりだ」


「よろしくお願いします」

 話が終わったので、私が辞去しようとすると、校長先生が優しい声で呼び止めた。


「一条さん。君の優秀さと特殊な環境にいることはよくわかっている。だが、君はまだ高校生だ。無理はしてはいけないよ。それは、学校側の仕事だからね。影で青野君や林さんを支えてくれたことは本当に感謝している。君がいなければ、我々は一生後悔するところだったのだからね。だが、それと同じように、私たちは君が傷つくことを望んではいない。我々のことを信用してくれて本当にうれしいよ」

 思わず感情が爆発しそうになる。ついこの間まで、誰も信用できずに死のうとしていた女なのに。


 先生たちは、私の特殊な環境を知っていて、温かく見守ってくれていたのは、頭ではわかっていた。でも、どうしても最後の一歩が踏み込めなかった。今回、先輩のために、奔走している大人たちの姿を見て、私の冷たい心はゆっくり溶かされたんだと思う。


 校長先生は、本当の意味で覚悟を固めている。こんな大事になってしまったのなら……誰かが責任を取る必要があるかもしれない。そうなった場合には、彼は、疑いもせずに自分が責任を取る覚悟ができている。


 どうしたら、こんなに情熱をもって生きることができるんだろう。私が見てきた汚い大人たちとは、まるで違う生き方だと思う。


 どんな言葉を紡ごうか、悩みながら自然と音になっていた。


「私も尊敬できる大人の人に会えてうれしいです」

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