第199話 家族の話
庭園を抜けて、俺たちは予約しておいたカフェに入る。
まだ暑いから、のどがカラカラだ。
「悩みますね。どれもおいしそう」
一条さんは、メニュー表を何回も往復しながら、考え込んでいる。
「ここは、パスタが有名なんだっけ?」
「はい。王道は、カルボナーラなんですけど、裏メニューのナポリタンもこだわっているらしくて。古き良きレトロな感じらしいです」
「それは美味しそうだな」
うちのメニューにも昔ながらのナポリタンってのがある。日本人、昭和的なナポリタン、本当に好きだよな。思わず心の中で片言になってしまった。
「どうしよう。決めました、私はカルボナーラで」
よし、じゃあ俺も決まりだ。
「なら、俺はナポリタンにしようか」
その返答を聞いて、彼女は思わずいぶかしげる。
「本当に?」
そのばつの悪そうな感じが、いつもの彼女とはギャップがあり、かわいらしかった。
「うん、俺はナポリタンが好きなんだよ。人気店の裏メニューなら、実家の勉強にもなるし」
「先輩、いつもみたいに私にどっちも食べさせてくれようとしていますよね?」
まあ、バレるよな。露骨だし。
「そんなことないよー」
頑張ってとぼけようとしてこんな言葉しか出てこないのもなんだか情けない。
「もう。本当に食べたいものがあるときは、ちゃんと自分の意思を優先してくださいね。優しくしてくれるのは嬉しいですが……」
「うん、ありがとう。でも、今回は、俺もどっちも食べてみたいからさ。シェアしようよ」
「お礼を言うのはこっちのはずでは?」
そう言って、彼女は笑いだす。本当に笑顔が増えた。
こういう風に軽口をたたいて笑いあうなんて、想像もできなかったはずだ。
つい数週間前の俺たちには。
※
「ナポリタン、美味しかったですね」
食後の紅茶を飲みながら、彼女は満足そうに笑う。
「ああ、カルボナーラもね」
俺はアイスアップルティーを飲み干した。
こうやって、少しずつお互いの時間を積み重ねていくのが普通になっている。
ティーカップを置きながら、彼女は少しだけ決意を固めた表情で言う。
「先輩、この後、時間ありますか? 一緒に来て欲しい場所があるんです」
彼女が決心してくれた。ならば、逃げるわけにはいかない。
「うん、行こうよ」
短く返す。これだけで十分伝わった。
「ありがとうございます」と頭を下げて、スマホから誰かに連絡を取り始めた。たぶん、車の手配だ。
「では、行きましょうか」
カフェから少し近くの駐車場に、黒塗りの高級車が止まっていた。
普通なら近寄りがたい威圧感が出ているが、彼女は気にすることもなく、車に乗り込んでいく。不思議とさっきまで笑いあっていた彼女とは別人のようになっている。これが公式の場で、一条愛が求められる態度なのだとわかる。
「先輩もどうぞ」
後部座席に案内されて、やや緊張して乗り込んだ。
車が発進する。
「たぶん、一時間くらいで目的地に着きます。くつろいでいてください」
そう言われて、くつろげる余裕もないよな。
一条さんの家の人じゃなければ、この状態は生命の危機まであるところだ。
「ごめんなさい。こんなに仰々しい移動になってしまって」
「大丈夫だよ。むしろ、電車移動より快適だし」
ちょっと冗談めかしで言うと、一条さんは笑ってくれた。
「先輩、思ったよりも大物ですね」
少しだけいつものような感じに戻りながら。
「やっぱり、だめですね。先輩と一緒だと、いつもの自分に戻ってしまう。みんなに求められている強い一条愛を演じることができなくなる。おもしろい話じゃないんですよ。なのに、せっかくの休日デートだったのに、ごめんなさい」
「大丈夫だよ。俺も一条さんについて、しっかり知っておきたいんだ。だから、話してもらえて嬉しい」
彼女は、目を閉じて、ゆっくり頷いた。
その後は、少しだけ無言の時間が続く。アクアラインのトンネルの中に入ったことで、車内は暗くなる。彼女の表情が読めない。
トンネルを抜けて、海の上を車が走りだす。明るくなった車内で、隣の彼女は、まっすぐこちらを向いて語り掛けてきた。
「もうすぐ、目的地です。聞いてくれますか、私の家族の話を」
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