第136話 英治と高柳(生徒の飛躍)
―空き教室―
今日の1限は高柳先生が世界史を教えてくれることになっていた。
なぜか、普通のクラスの授業スピードを超えてしまったらしく、先生の授業はゆっくり雑談多めになっている。歴史ネタのおもしろエピソードは、小説ネタにもなるし、正直大好きだ。
特に、高柳先生は、冗談も多くて、わかりやすいから生徒にも評判がいい。そんな評判がいい先生を独り占めできるから、授業はどんどん進んでいく。高柳先生は特に、スケジュール調整しやすいらしいので、一番多く授業を組んでくれている。次が校長先生の英語で、教頭先生の国語が続く。
「おい、青野。30分で、今日の分、終わっちゃったよ。どうしようかな。そうだ、フランス革命の時に、ナポレオンをたたえるためにベートーヴェンが作った交響曲でも聞くか。これは資料集にも書いてある通り、ナポレオンを賛美するためのものだったが、ベートーヴェンは彼が皇帝になったと聞いた途端、皇帝を罵倒し、賛辞の文を破り捨てたんだ。青野は、小説好きだよな」
先生は自分のスマホで、音楽を流し始める。
「はい」
「ファウストを書いたゲーテって知っているか?」
「知ってますけど、さすがに読んだことは……」
「だよな。俺も大学の暇なときにやっと読んだくらいだから、それが普通だ。でも、これがすごいんだよ。今度貸してやろう。1000ページを超えるけど、おもしろくて、夢中になるから。ラストが特にいいからな。あの名台詞は一回聞いたら絶対に忘れない。漫画版も確か図書館にあったはずだ。そのゲーテが、さっき教科書で読んだヴァルミーの戦いを、こう評したんだよ。この日ここから、世界史の新しい時代が始まるってさ。これは本当に言ったか疑問もあるらしいけど、それほどこの戦いが大きな転換点だったわけで……」
先生は、1対1だと俺の興味に合わせて、おもしろおかしく歴史を語ってくれる。俺が小説を書いていることも知っているから、文豪のエピソードも紹介してくれるんだろうな。
ということで、歴史の授業はひと段落してしまった。
俺はチャンスとばかりに、先生に報告する。編集さんからは、学校に説明するために、今回の件を話してもいいと言われているから、しっかり言わなくちゃいけないと思っていたんだ。
「高柳先生、実は、俺……」
このタイミングで深刻そうにしゃべったからか、先生も思わず身構えていた。しまったと思いつつ、気を取り直して続ける。
「小説をネットに投稿したら出版社から声をかけてもらったんです。今まで書いたものを短編集にして、プロデビューしないかって……」
いきなり、言われたからだろう。先生は、意味が分からないとばかりに硬直してしまう。
「誰が?」
そんな聞いたこともないほど力が抜けている声が飛んできた。
「いや、俺がですよ」
「はっ!?」
時間差で先生は見たこともない表情をして驚きの色に染まる。
「それで、学校側に報告したくて。きちんと公表できるのは、出版近くになってかららしいんですが……」
「そ、そうか。それはすごいな。驚いたよ」
先生は、驚いた顔でそれでいて嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。学校側で不都合とかありませんか?」
「あるわけないだろ。うちはバイトも寛容な学校だからな。もしかしたら、書類くらいは書いてもらう必要があるかもしれないけど。生徒の活躍を喜ばない教師はいないよ。むしろ、教え子にプロ作家がいるなんて、なかなか体験できないな。嬉しいよ。顧問をしていた部活の生徒たちが全国大会出場を決めたときみたいに嬉しい。校長先生たちにも、青野のほうから説明してくれ。そのほうが絶対に、先生たちも、喜ぶよ」
いつもは少しくたびれている感じの先生が、子供みたいな笑顔を見せてくれた。それだけで、自分も温かい気持ちになる。
「ありがとうございます」
先生は、こちらに手を差し伸べてきた。握手のポーズだ。なんだか、自分を大人の仲間として認めてくれているようで、嬉しかった。
俺たちは、力強く手を握り合った。
※
―廊下、高柳視点―
授業を終えて、廊下に出る。
思わず言葉が漏れてしまう。
「青野。お前は本当にすごいよ。自慢の生徒だ」
逆境を乗り越えて、自殺を考えていたかもしれないのに、それでも前に進む。本当に誇らしかった。こんな生徒を担当できて、自分は幸せ者だと思う。
だからこそ……
青野をしっかりサポートしていきたい。今後の学校生活が、あいつにとって、つらい気持ちを塗り替えるほど、幸せなものになるように……
―――
(作者)
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