第183話 大人のありかた

 部長と決別して、俺は授業が行われる空き教室に向かった。

 今日の1限目は、世界史。担当教員は、高柳先生だ。


 一条さんによって、すでに林さんの件は、学校側に伝わっている。

 だからこそ、俺もこのタイミングで立花部長に接触した。


「もし、交渉がうまくいったらなんて、甘い考えもあったんだけどな」

 可能性が低いとはわかっていた。

 原稿を返却する。それは、ひとつの暗喩メタファーだった。

 自分たちの罪を潔く認めて、これ以上無駄な抵抗をせずに、自首して欲しい。

 原稿を返すというのは、自分たちの嘘を認める作業だったから。これ以上、2年間を過ごした元・仲間たちに幻滅したくなかったから。暴走して、自分たちの保身のために、弱い後輩を平気で傷つけるような怪物にはなってほしくなかった。


 でも、それは叶わない。

 もう、かつての仲間たちは、人間ではない怪物になってしまった。人の痛みも認識できなくなってしまうほどに。もしかしたら、ずっと隠し続けていただけなのかもしれない。真実は分からない。でも、ひとつだけはっきりしていることがある。これ以上、彼女たちを放置していたら、犠牲者は増え続ける。


 そして、夏休みが終わった日。俺が、誰にも相談できずに、絶望していた時。

 言わなくてはいけない言葉があった。

 相談するべき人たちがいた。


 だからこそ、今度は間違わない。


「おう、青野。おはよう」

 高柳先生は、いつものように少しだけ気だるそうに挨拶してくれる。そのまなざしは、俺に対する信頼と慈愛に満ちているように見えた。


「おはようございます、高柳先生」


「うん、まぁいつものようにやっていこう」


「あ、あの!」


「ん? どうしたんだ?」

 俺はあの日、言うべきだったことを、先生の目を見て伝えた。

 彼からの信頼にこたえるために。


「授業前にごめんなさい。相談があるんです」

 俺の様子に、先生は何かを察したかのようにうなずく。


「言ってくれ。たぶん、それは授業よりも大事なことかもしれないからな」

 その力強い同意に、安心を覚えながら、俺は先生に伝える。


「高柳先生、助けてください。俺は、文芸部員から嫌がらせを受けていました。そして、彼女たちのいじめの標的は、後輩に移ろうとしています」

 全部、先生は知っていることだとわかっている。

 でも、俺はまだ当事者なのに、ちゃんと言えなかった。一番最初に先生に相談したときも、結局事実を伝えただけで、きちんと"助けを求める"ことができなかった。


 だから……

 俺からきちんと大人に頼ろうと思った。


「当り前だよ、青野。生徒を守るのが、教師の仕事だ。頼ってくれてありがとう。教えてくれて、本当にうれしいよ。辛かったよな。ここからは、俺の仕事だ」

 あの日と同じように、先生は俺に向き合ってくれた。あの日は、先生に促されるような形で、やっと助けを求めることができた。でも、今は違う。俺は、大人を信用して、自分から助けを求めた。


 そして、俺は自分の考えを先生に伝える。文芸部が間違いなく、俺のいじめに関与していることも、部員たちの証言が嘘だと思っていることも。


「よくわかったよ、青野。この問題は、学校側としても、できる限り迅速に対応するという話になっている。これで、部員たちをさらに揺さぶりをかけることもできるだろう。青野はできる限り、林に寄り添ってくれ。一条や今井、遠藤が、お前にしてくれたように。こういう、心細いときは、自分が孤立しているわけじゃないとわかるだけで、安心するからな。学校側も林に対するフォローは十分にしていくつもりだ。すでに、1年の先生方も内々には動き始めている」

 先生は力強く断言した。


 ※


―高柳視点―


 もう少しだ。青野の証言で、文芸部はかなり追いつめられることになる。もしかしたら、離反者が出るかもしれない。実際、青野の件は、悪意を持って、原稿を隠したか処分したかのどちらかだろう。これで、窃盗罪か器物破損罪のどちらかが成立してしまうだろうな。


 青野は、そちらに関しても、サッカー部の件とは別に被害届を出すと言っていた。これで学校側も処分についての大義名分を得ることができる。さらに、青野の件に加えて、林への脅しだ。いくら、捨てアカウントを使ったからとはいえ、特定できれば、立派な犯罪だ。


 だが、立花は徹底的に抵抗し、言い逃れてくるだろう。

 

「最後のピースは、言い逃れられない決定的な証拠を突きつけることだな」

 頭の中でそう結論を整理し、いくつかの切り札を頭に思い浮かべながら、立花の理論を決定的に破綻させる道筋を考えていく。

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