第192話 エリとゆみ

―池延エリ視点―


 どうして、うまくいかないんだろうな。

 私は、死にたかったのに。何もないのに、このまま生き続けなくてはいけない。


 さっき、数人の男たちに囲まれた。言葉の節々からサッカー部の人間だとわかった。すべてうまくいったと思った。地獄への道連れを増やして、あとは少しだけ、肉体的な苦しみを味わえばいい。それも、罰なのだから仕方がないと受け入れていたはずなのに。


「そこまでだ」というかけごえとともに警察官がたくさん乱入してきた。いくら体育会系とはいえ、本業の警察官に囲まれたサッカー部たちはなすすべもなく捕まってしまい、私は無傷で保護された。


 ここは、警察署の取調室。

 私は、一応被害者だから簡単な取り調べを受けつつ、いろんな人たちに心配してもらった。私にはそんな価値もないはずなのに。サッカー部の人たちは本当にバカだ。こんなこと起こさなければ、謹慎や停学くらいで済んだ人も多かっただろうに。完全に、自分で道を踏み外した。


 私と同じだよね。あの女にいいように操られて、すべてを失った。

 本当にバカだ。


 念のためしばらくは警察の護衛がつくらしい。これで、馬鹿な真似はできなくなったしまった。すべてを失った身体で、生き地獄にいなければいけない絶望。自暴自棄にすらなれない自分が、悲しかった。結局、あの日から私は何一つ自分で選ぶこともできなくなっていた。


 もう少ししたら家に送っていくと言われて、誰もいない部屋で待たされる。


 警察の人に私の部屋を見られるのか。気が重くなる。さきほどの取り調べの中でも、実家の近くに一人暮らししている今の生活に疑問符がつけられていた。私が、親に捨てられたとわかると、同情のような視線を送られた。私のボロボロの自尊心は、さらに傷ついた。


 優しくノックする音が聞こえる。車の準備ができたのだろうか。

 私の呑気な予想は裏切られた。


「久しぶりね、エリ」

 中学までの親友は、厳しい顔で、こちらをにらんでいた。


「ゆみ、どうして?」

 彼女はゆっくりとパイプ椅子に座る。とても女性らしくなった元・親友の変化に驚く。そうか、お父さんか。たしか、ゆみのお父さんは警察官。そのルートから連絡があったということか。


 思わず心が負けそうになる。もしかしたら、彼がいるかもしれない。そんな都合がいい私の妄想が叶えられるはずもない。


 あんなことしたのだから、来るわけがなかった。


「とりあえず、ケガもなくてよかったわ」

 ゆみは、警戒するようにそう言った。


「ありがとう。まさか、また会ってくれるとはおもわかったわ」

 失ってしまったぬくもりある世界の象徴。それが少しでも近くに来てくれた。


「本当はもう二度と会うつもりはなかった。その覚悟は、変わっていない」


「そう」

 自分でも驚くほど声のトーンが落ちていた。

 わかっているのに、わかっているのに。本当に自分が失ったものの大きさを痛感させられる。


「でも、こんなことがあって、言わなくちゃいけないことができちゃったのよ」

 

「うん」

 圧倒的な拒絶だ。


「あなた、自分から死のうとしたでしょ?」

 さきほどは、名前を呼んでくれたのに。もう、距離ができてしまった。

 そして、元親友は驚くほど、私の思考を理解していた。


 そんな理解者を私は失ったんだ。

 無言で彼女の問いかけにうなずく。


「やっぱり……」

 失望とそれ以上に複雑な気持ちが込められた言葉が、心に刺さる。


「あなたに文句を言われる筋合いない」

 これが最大限。今自分にできるプライドの示し方。


「そうね」

 彼女は、私をまっすぐに見た。彼女はこんなに強い子だったのだろうか。虚勢を張っている自分をはるかに上回るくらい彼女の中から自信を感じる。何かを守ろうとする決意も。


 何か。そんな抽象的な言葉なわけがない。

 一樹。


 そうよね。


 私が無言でいると、彼女はしっかりとした言葉で自分の気持ちを伝えてくる。

 ずっと他人の言葉の中で生き続けてきた自分とはまるで違うと自覚させられてしまうくらい、しっかりと。


「あなたは、いつも自分勝手で……」

 言葉を紡ごうとする彼女の目はうるんでいた。

 何度も言葉にならないで、言葉を呑み込んでいる。


「私たちは、あなたがここで死んで楽になろうなんて、自分から責任を放棄するなんて、絶対に許さないから」

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