第130話 幸せだったことに気づく美雪
―美雪視点―
私は三井先生に伴われて、お母さんの病院まで向かっていた。
さきほどの学校でのことを思いだす。
泣き崩れる私に、学校の先生たちは、何も言わず保健室に案内し、そこで監視下におかれた。当たり前だ。さっきまで、自殺しようとしていた生徒を放置できない。
高柳先生が、「大丈夫か」と会いに来てくれた。
私は何も言えなかった。結局、先生のことも私は裏切っていたのだから。もう、幼馴染も友達も家族も誰も私のもとからいなくなってしまった。
全部、私が裏切ったから。こんな大きな問題を引き起こした私は、もうここにはいることができない。
さっきの屋上で、話した彼女の真摯な声が忘れられない。
※
「そうはいきませんよ。あなたがここで自殺したら、英治センパイが傷つくってこと理解できてますか。ずっと一緒にいた幼馴染に浮気されて、裏切られた上に、自分勝手に心を傷つけるほどの資格があなたにあるんですか。どうして、あんなに優しい人たちの近くにいたはずなのに、そんな簡単なことも分からないんですか。どこまで自分勝手に動くつもりですか。英治センパイの恋人だったんだら、少しは彼のことを考えてあげてくださいよ。どうして、あなたに、彼の未来を傷つける資格があるんですか。一生の傷をどこまで広げたら気が済むんですか。結局、あなたは英治センパイのことを愛していなかったんじゃないですか」
※
あの言葉がずっと、耳の奥で反響し続けている。
一生の傷。自分勝手に、ただ甘えていただけ。本当に愛していたのか。
きちんと答えることができなかった。彼女の執念にも似た青野英治への愛情に圧倒されたから。私は、10年以上一緒に生きていたはずの幼馴染を彼女よりも理解できていないという残酷な事実を突きつけられてしまう。
私は、ただ甘える相手が欲しかっただけなんだ。いなくなったお父さんの代わりを見つけたかっただけなんだ。だから、本当の愛情よりも、ただ、わかりやすい肉体的な関係と即効性のある快楽がもたらす充足感に逃げただけ。
「(ごめん、英治。私、一条さんほどあなたを愛せていなかったんだね。私最低だもん。当たり前だよね。一条さんは、あなたを信じ続けた。)」
完敗だった。どうやっても勝てないという絶望。
これで死んで逃げることもできなくなった。
「申し訳ないが、こんなことが起きた以上、親御さんに連絡させてもらうことになる。今は謹慎中だが、何か不安があれば、いつでも連絡してくれ。三井先生も同じように言ってくれている。これは教師と生徒じゃなくて、人間と人間との話だからな」
先生の優しさがつらくなる。親に連絡という言葉を聞いて、思わず「やめて」と叫びそうになるが、それもできなかった。入院している母にこれ以上の心労を与えてしまう。消えてしまいたい。人間でなくなっていた自分のことを思い出されてしまう。
もし、私が浮気しなかったら……あの温かい場所に戻れたはずなのに。
戻りたい。絶対に戻れないとわかっているのに、そう考えてしまう自分が嫌になる。自分が捨てた場所に、戻りたい。
あれが本当の幸せだったと気づく。近すぎてわからなくなっていただけなのに、私はそれをいとも簡単に手放してしまった。
あの温かい場所の代わりを絶対に作ることができない。たぶん、もう絶対に。英治と過ごした時間が人生で一番幸せだったと痛感しながら、私はこの後の長い絶望の人生を歩まなくてはいけなくなったと思う。
三井先生に伴われて、私はお母さんが入院している病院に向かう。
駅の近くの道で英治と一条さんがいた。大きな道路を挟んで、逆の方向だから、彼らは、私には気づかない。ふたりは、お互いに楽しそうに歩いていた。
私が失った幸せを目撃しながら、失意の道を歩み続ける。
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