第7話 買い物
俺は我慢をする。もう少しで振り返ってティアナを抱き寄せるところだった。
「ああ。もういいよ」
声をかけるとティアナは衝立の外に出て行く。ふう。さすがに日のあるうちに中庭でコトに及べるほど肝が太くない。きっと、隣に丸聞こえだろうし、後で隣の婆あに何を言われるか知れたもんじゃなかった。
振り返れば、後ろの衝立の手前に小さな台が置いてある。俺の着替えが一そろい。いずれもお日様の匂いがして快適だった。袖を通して外に出るとティアナがやってきて、後片付けを始める。
「鎧は俺が自分で手入れする」
「分かりました。では、こちらに置いておきます。お背中上手く流せたでしょうか。神殿でエイリア様に洗っていただいて、とても気持ち良かったんです。ご主人様にもして差し上げたくて」
「……ああ」
ちきしょう。俺もエイリアに体を洗ってもらいたい。というか、洗いあいをしたい。相手がエイリアだったら俺は抑えが効かなかっただろう。ゆるやかな服で隠し切れないあの色気。すけべな妄想をしていると、エイリアの凛々しい姿の記憶が割って入る。この間の冒険ではメイスで死霊の頭を吹っ飛ばしたんだっけ。とたんに冷水を浴びせられたような気分になった。
妄想から覚める。塗りのはげ落ちた庭のベンチに座っている俺をティアナが不思議そうに見ていた。
「ご主人様。お顔の色が悪いようですが、大丈夫ですか」
「ああ。うん。先日ダンジョンに潜ったときのことを思い出してね」
ティアナがすぐそばに来てキラキラした目で俺のことを見る。
「ご主人さまは凄いですよね。この間もオークをあっという間に倒してしまったし、ダンジョンで冒険をするなんて。危険が一杯なんですよね?」
「まあな。オークなんかは一番下っ端のようなもんだからな。他にも怖いモンスターはいっぱいいる」
ティアナは見開いた目をくりくりさせて驚く。
「モンスターも怖いが、ダンジョンには危険な罠もあるんだ。一瞬で遠くに飛ばされたり、毒ガスが出てきたり、警報が鳴って化け物を呼び寄せたりな。宝箱だって気を抜いて開けたらドカンだ」
急に大きな声を出したせいで、ティアナはびくっとする。しかし、すぐにくすりと笑った。
「私ったら、こんなことで怖がってしまって。ご主人様なんかもっと恐ろしいことを体験しているはずなのに。ダンジョンはとても危険な場所なんですね」
「まあ、俺はそういう罠を見破ったり、解除するのが得意なんだよ。手先が器用なのかもな」
「きっとそうですよ。私なんか不器用で」
「そんなことは無いだろう。料理も上手かったじゃないか」
「でも。私、お裁縫が下手で……。いつもそれで怒られてました」
悲しそうな顔をして俯くティアナ。ぽたりと地面に水滴が落ちる。あーあ、そんなに泣くほどのことか? 俺は立ち上がるとティアナをそっと抱きしめた。ティアナは少し体をこわばらせる。仕事をして汗ばんでいるはずなのに、うっすらといい香りがした。ただ、肌に年相応の張りはないしカサついている。うーん。まだしばらくはかかりそうだな。
ティアナは鼻をひとすすりすると顔を上げた。そっと俺の体を押しやると無理に笑顔を作る。
「みっともない姿をすいません。繕いものが下手でも怒らないでくださいね」
「ああ」
ティアナはあっという声を出す。
「夕飯の支度をしなくては。ご主人様。何か召し上がりたいものはありますか?」
「そうだな。何か魚が食べたいな」
「分かりました。それでは買い物に行ってきてよろしいでしょうか?」
俺はちょっとだけ考える。俺を油断させておいて逃げる可能性もある。先ほど抱きしめた時に、俺の気持ちを見透かされたかもしれない。いつまでもここにいるといずれ俺にハグされるだけじゃすまないと気づいたか? まあ、様子をみよう。とりあえず、銅貨と小銅貨が数枚入った袋を渡した。
「それじゃあ、行ってまいります」
部屋の隅に転がしてあった籠に洗いたての布を敷くとティアナは元気に出て行った。俺は手早く戸締りをすると、裏通りを通って先回りをする。何と言っても道には詳しいし、こういった隠密行動はお手のものだ。
脇道沿いの暗がりに身を潜めているとティアナが店にやってくる。最初はぎこちなかったがすぐに店のおかみさんと打ち解けて話を始めた。
「私ですか? ハリス様にお仕えしています」
「あの目つきの良くない? 上小路に住んでていっつもぶらぶらしている?」
風向きで声が大きくなったり、小さくなったりしていた。
「私にはとっても優しい方なんですよ。私は前は傷だらけだったんですけど、神官のお友達に頼んで治してくれました」
「あの飲んだくれに神官の友達がいるって?」
「ぶらぶらしているようにみえるのも、気を張り詰めた仕事をしているからです。だから、家にいるときはその分のんびりしているだけじゃないでしょうか。きっとそうです」
「信じられないね」
「私がオークに襲われた時も助けてくれたんですよ。あっと言う間に倒しちゃって。カッコよかったです」
「ふーん。そうなのかい。まあ、お嬢ちゃんがそういうなら、あたしの思い違いなんだろうね。そうそう。魚だったね。マスなんかどうだい。脂がのっていて食べごろだよ」
「じゃあ。それ下さい」
行く先々でティアナは俺のことを誉めまくっていた。思わずケツの穴がむずがゆくなるほどだ。最初は半信半疑だった町の連中も最後は、ああそうかいと答えていた。悪い気はしない。ティアナが家に足を向けると走って家に帰って、ソファでだらりとした姿勢で迎えた。
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