第13話 取引

「すまない。反射的に手が動いてしまった……」

 ジーナは俯いていた。まあ、確かにきつい顔に似合わない可愛いレース付きの下着を見ちまったことは悪いとは思うが、不可抗力だろ。

「そうだよな。薬は1個しかねえんだ。ま、とりあえず、ダンジョンの外出てから、その点は議論しようぜ」


 俺の言葉にジーナは顔をあげる。

「ここでぐだぐだ言ってる時間がもったいない。あの連中も大騒ぎしていったから、帰り道にモンスターを集めてるかもしれないしな。モンスターを見かけたら遠慮なく呪文をぶっ放してくれ。期待してるぜ」

「分かったわ」


 足の遅い前衛が居なくなったことで身軽になった俺たちは出口へと急ぐ。もうすぐ第一層への階段というところで、前衛3人組を追いかけている魔狼2体が見えた。さっき逃げた奴とその仲間か。金属鎧は速く走るのには向いていない。それでも必死になって逃げていた。ある意味賢明な判断かもしれない。あの腕前で下手に応戦すれば倒しきる前に他のモンスターがやってくる恐れがある。


 魔狼は跳躍して2体で一人にとびかかった。バランスを崩しながらも走り続けている。その間、俺達はその距離を詰めていた。何度目かの体当たりで、3人組の誰かが転倒する。コンバだ。魔狼が少し離れて態勢を整えた。その足元を青く透明な光が包む。後ろを見ると走りながらジーナが杖を構えていた。


 対象物の表面を一時的に凍り付かせて、その上に居るものの身動きを封じる呪文チル。割と地味ではあるが魔狼を対象としないため、やつらの魔法抵抗は意味がない。とっさの判断と走りながら呪文を唱えられる体力があるとは、ジーナはやっぱりそこそこ腕が立つのかもしれない。横を通り過ぎながらショートソードを引っこ抜き魔狼に一太刀ずつ浴びせていく。


 階段を上ったところでさらに一人、ダンジョンの出口に着く前にさらにもう一人を追い越した。

「ほら、あと少しだぞ。頑張れ」

 出口にたどり着いたところで、立ち止まろうとするジーナを急き立てる。

「止まるな。あいつらから十分に離れるまでは」


 朝日が昇る中を坂道をたったかと下っていく。野鳥が朝の挨拶を交わしていたが不意に現れた俺達に驚いて飛び立った。ダンジョンの入り口が見えなくなったところまで行って初めて立ち止まる。まだ、荒い息をしていたジーナが言った。

「ど、どうして、こんなところまで」


「それは簡単なことさ。解毒薬は1個しかない。あいつらがいると面倒だろ」

 ジーナは顔を上げる。俺が背負い袋からフラスコを取り出すとそれをじっと見ていた。走ったせいか、かなり泡立っている。魔法士相手ならこの距離で俺がフラスコを力づくで奪われる心配はない。


「さてと。あの3人組は任務放棄をしたので、こいつに対する権利は主張できない。で、この傷はあんたのせいってことでいいよな?」

 俺が肘の噛み傷を見せると、ジーナは首を縦に振った。

「じゃあ、俺がこれを飲むことに異論はなし。だろ?」

 俺がフラスコの栓を抜くと切羽詰まった声でジーナが呼びかけてくる。

「お願い。その薬を譲って。代金は払う」


「悪いが払えるとは思えないね。今この薬を飲めば助かるが、これを譲ればノルンまでたどり着かなきゃならない。その間に毒が全身に回るだろうし、間に合ったとしても瀕死の状態だ。当然、その状態での喜捨の額は銀貨じゃすまない。まあ、金貨2枚は取られるだろうな。あんた持ってるのかい?」


 そこそこの魔法が使えるとはいえ、単一属性の攻撃魔法しか使えないともなれば、懐事情は俺と変わらないだろう。この地方で冷属性のみしか使えないとなれば俺より条件は悪いかもしれない。こんな実入りの悪い行方不明者の捜索に参加している時点でお察しだ。つまり、金貨2枚なんて持ってるはずがないのだ。


「シー、じゃなかったスカウトの基礎訓練受けてるんだから、私より毒への耐性はあるはずよね。お願い。借用晶も出すから。あなたはあんな可愛らしい奴隷も持ってるくらいなんだから、金貨2枚ぐらい払えるでしょう?」

 ジーナは腰に下げていた袋から小さな水晶を取り出した。


『ニワトリの年6月3日生まれの魔法士ジーナ。ここに約定する。利息年1割で金貨2枚の借用があるものなり』

 誓言すると唇を水晶に押し当てた。半ば強引に水晶を俺の手に押し付ける。仕方ないふうを装ってフラスコを渡してやった。


 ジーナは顔をしかめながら緑色の液体を飲み干す。前に経験があるが、あれは飲んだ翌日まで、青臭いげっぷが上がってくるひどい味の薬だ。俺は水晶をしまうと道をスタスタと歩き始める。ジーナは横にやってくると頭を下げた。

「恩に着る」

「やめとけ。その分の対価は払ってるだろ。それよりこれ持ってくれ」

 俺は遺品の矢筒ほかの遺品を投げて渡す。


 ふらふらになりながらもなんとかノルンの町にたどり着く。脂汗がつうっと頬を伝った。

「そんなに足元が弱っていて大丈夫なの? 顔色も悪い。私もついて行こうか?」

「いや大丈夫だ。それよりも報告を頼む。ギルドも早く結果を知りたいだろう」

 断固としてジーナに遺品を持ってギルドに行かせ、俺は一人で神殿に直行した。


 受付で友の会の証を見せると効果は抜群だった。そのまま奥まで連れていかれ、今までは見たこともない神官が対応してくれる。助手が俺のレザーアーマーを脱がせると、すぐに解毒の呪文を唱え始めた。いい気持になって俺は浅い眠りに落ちる。


「ご気分は?」

 その声で目が覚めた。

「ああ。悪くない。助かったよ」

「そうですか。お役に立てたようで何より」

 礼を言って神殿の出口に向かう。本当にタダだったよ。すげえな会員証。


 道々、本日の損得勘定をした。ジーナの借金は空手形になる可能性が高い。見捨てて、高級解毒薬を売っぱらった方が良かったか。売値の半額で銀貨4枚。まあ、その程度は回収できるはずなので俺の行動は正解かな。そんなことを考えつつ、神殿を出たところで、門の影からティアナが顔を出し、いきなり俺に抱きついてきた。

「お帰りなさいませ」

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