慣れない仕事
第4話 強敵
はあ。やれやれ。
まだ産毛の目立つ若い新人冒険者が入ったというので、可能な限り力を尽くしてメンバーを揃えダンジョンに臨んだんだが骨が折れた。まさか錆び錆び獣が出るとはなあ。幸いにして、あの若いのの大切な剣がボロボロにならないで済んだようだけども。
俺はレッケンバーグに新しくできた冒険者ギルドの2階の部屋のソファに身を投げ出す。この部屋の外にはギルド長室との看板がかけられていた。斥候兵ハリスからギルド長ハンクにクラスチェンジとは俺自身が一番信じられない。しかし、紛れもない事実だった。壁にかかっている姿見に顔を映せば付け髭と偽物の傷跡で変装した胡散臭い男が見えるだろう。
色んな人物の思惑をすり合わせた結果として、俺はギルド長なんて職をやらされていた。作曲エレオーラ姫、編曲レッケンバッハ伯爵の軽快な輪舞曲に合わせて踊らされている俺は、事情を知る人間からすれば噴飯ものだろう。誰がどう見ても俺の柄じゃなかった。
いや、我が愛しの妻だけは曇りなき眼で俺のことを立派だと言ってくれる。まあ、俺と出会って以来ずっとティアナはずっと勘違いをしているわけだが、その誤解に応えようとして足掻いてきた結果がこのギルド長の職だ。
『旦那様なら立派なギルド長になれると思います』
ティアナは俺にはもったいないような素敵な女性だ。その信頼を裏切るような真似をすることはできない。できないんだけども……。俺は少し離れた机の上に積まれた諸々に力なく目をやった。俺の決裁を待っている羊皮紙の巻物が小さな山を作り上げている。はあ。
ある意味ではダンジョンに出没する最強クラスの敵であるバラス以上の強敵かもしれない。俺はバラスを倒すのに一役買ったことがあるが、あの時は頼もしい味方が居た。しかし、この決裁待ちの書類と戦うのは俺一人だ。誰の助けも借りるわけにはいかない。
俺は渋々とソファから立ち上がりデスクの横を回って椅子に座った。向かって右の山の一番下になっている巻物をそっと引っ張り出す。ダンジョンに潜る冒険者に持たせるための特別製の油の請求書だった。俺も何度か世話になっている品だが、俺の想像以上の金額が記載されている。あれってこんなに高かったんだな。
先ごろまで住んでいたノルンの町のギルド長サマードの顔が思い浮かぶ。以前はどうしていつも不機嫌そうな顔をしているのか疑問で仕方なかったが、今となってはその理由ははっきりと分かった。そりゃ、これだけの面倒な事務作業をしていればあんな渋面にもなろうというものだ。がしがしと頭を掻く。
部屋の扉がノックされ、俺の返事を待たずに扉が開いた。金色の髪の毛に続き男好きのする顔がぴょこんと姿をみせる。
「ギルド長。ちょっといいですかあ?」
人気食堂の給仕からギルドの受付係に転職したアリスさんが入ってきた。
豊かなものを包んだシャツのボタンが大胆に外されている。
「急ぎの連絡扱いということで届きました」
俺の机のところまでやってくると前かがみになって俺に封筒を差し出した。手に視線を集中してそれより先が目に入らないようにして受け取る。
薄手の封筒は明らかに高級な紙でできていた。ひっくり返しても差出人の名前は無いが、こんなものを使える人間は限られている。ナイフで封を切って中を見ると邪教徒の動きが活発になっているので各地のギルドでも注意を怠らないようにというものだった。
国営の組織であり、治安維持の一部を請け負う冒険者ギルドの長に対する文章として内容は特におかしいものではない。問題は邪教徒の暗躍をこの俺は知っているということだ。その関係でエイリアが監禁されていた事件があり、その解決を俺は手助けしている。
エイリアの身に魔神を降臨させるという計画だったが、寸前に保護することができた。そのこと自体は良かったと思う。魔神がこの世に現れなんぞした日には大変なことになったはずだ。その場にはゼークトも居たことだし、もしかすると降臨したての魔神を倒すことができたかもしれない。ただ、そんな賭けはしたくなかった。
俺を探している最中に騙されて捕まったエイリアを助けることができたのは世界の人にとってみれば本当に幸せなことだったと思う。だから、俺が生きているということがエイリアにバレてしまったなんてことは瑕瑾にすぎない。最高神祇官様の認可を得次第、レッケンバーグにやってきたいとエイリアが熱望して困るのは俺だけだ。
おっと、思考が脇道に逸れてしまったようだ。ということで、この手紙の中身は万が一余人の手に落ちても問題無いようにと偽装された暗号文ということになる。あからさまに暗号だと分かるような支離滅裂な文章でないというところが手が込んでいた。そんなことをするのは……。
「ねえ。ギルド長。聞いてます?」
アリスさんが俺の思考を中断させる。
「やっぱり疲れてるんじゃないですか? そうだ」
いいことを思いついたとばかりアリスさんは机を回って俺のところにやってきた。
「いいことしましょ? ね?」
俺の膝の上に座ろうとするのでさっと身をかわす。一応は素早さが身上のスカウトで飯を食ってきたのでこれぐらいの芸当はまだできた。アリスさんが後ろにひっくり返らないように椅子の背もたれを手で支えてやる。
椅子に深々と座ることになったアリスさんが首を反らせて俺の顔を仰ぎ見た。
この角度だとかなり際どい景色が嫌でも視界に入る。
「よけることはないじゃないですか。お疲れのようだったから慰めてあげようとしただけなのに」
「それは家で待っているティアナがしてくれるんでね」
「まだ仕事がこれだけも残っているし、家にすぐには帰れないでしょう? リフレッシュした方が仕事もはかどるし、そうしたらギルド長も早く家に帰れるんじゃないですか」
「だったら、俺を仕事に集中させてくれ」
アリスはハッとした表情になった。
「あれ? ひょっとしてまだ、大事な機能が回復してないんですか? やっぱりきちんと神殿で診てもらった方が……」
「お、下で呼び鈴がなってるようだぞ」
受付カウンターに置いてある鈴がチリンチリンと涼やかな音を響かせている。
アリスは勢いをつけて立ち上がった。
「ちぇ。まあ、ここじゃ落ち着かないですね。そういうスリルもいいんだけど。じゃあ、別宅の購入早めにお願いしま~す」
アリスさんはシャツのボタンを留めながら部屋を出て行く。
扉が閉まると壁際の書棚に向かった。分厚い辞書を取り出す。先ほどの手紙に含まれている数字をキーに元の文章の言葉を変換し、いくつかの数字を得る。その数字を順に辞書のページと見出し語の順番に当てはめた。それは次の四つの単語となる。
『竜、姫、失踪、注意』
やれやれ。俺は真新しい天井を見上げてため息をついた。
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作者の新巻でございます。
前回更新からだいぶ時間が経ちまして申し訳ありません。
この度、コミカライズの第3巻が11月28日に発売されるのを記念しまして、ほんのちょっと更新をいたします。
引き続きご愛顧のほどをよろしくお願いいたします。
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