第28話 釣銭

 ギルドを出て家に帰ろうと道を歩いていると声がかかる。食料品店のおかみさんだった。今日はやたらと声をかけられるな。つけはきれいにしたはずだがと思いつつ軒下に入る。

「ハリスさん。2・3日顔を見なかったね」

「ああ。ちょっと仕事で」


「この間、ティアナちゃんが買い物に来た時のことなんだけどさ」

 何かやらかしたのかと身構える。

「その時は気づかなかったんだけどね。私がお釣りを間違えて多く渡しちゃったみたいなんだ」

 やれやれ。結局そうなるのか。確証が持てない時はあいつに責任を押し付けておけ。主があんな感じだから奴隷もきっと。慣れていたつもりだが、俺は頬が自然とこわばるのを感じた。


「そしたらね。わざわざ戻って来て、間違えてましたって言うじゃないか。小銅貨4枚返してくれたんだよ」

「はあ」

「偉いね、って言ったら、あの子何と言ったと思う? 『ご主人さまの顔に泥を塗るようなまねはできません』だってさ」


「えっ?」

「あたしゃ、もう感動したね。懐に入れちゃえば分からないのにさ。僅かな額とはいえ、将来、自由を買い戻す原資にしようってのが普通だろ? まあ、あんたはあの子に良くしてやってるようだけどさ」


「なんで、わざわざ俺にそんな話を?」

「うーん、なんでだろうね。良く分からないけど、話さなきゃいけないと思ったのさ。余計なお世話だとは思うんだけどね」

 俺は口の中でもごもごと礼のようなものを言って立ち去った。


 家に帰ると部屋ではジーナが一人で呪文書を広げている。声をかけて邪魔をしては悪いと思い、ティアナは裏庭だろうとあたりをつけて、そちらに向かう。

「あ、ハリスさん」

「邪魔するつもりはなかったんだが。まあ、ついでだからちょっといいかい?」


「いいわよ。何かしら?」

「俺と組んで、ダンジョンの第1層を新人連れで一巡りする仕事があると言ったら受けるかな? 一応前衛は経験者が1人つくんだけど」

「別にいいわよ」


「ずいぶんとあっさり受けるんだな?」

「まあ、私よりは経験豊富なハリスさんがいいと思ったなら悪い話じゃないでしょ」

「それほど良くもないけどな」

「そう? いずれにせよ判断は任せるわ。ところで、あそこに置いてある本は片付けた方がいいわよ。ティアナに読まれていいなら知らないけど」


 ジーナが部屋の隅の書き物机を指さす。あ。バクスタ公爵物語か。生まれも育ちも顔もいいバクスタ公爵の女性遍歴を書いた話で、中身がアレな割には人気がある。主人公が二股・三股当たり前で女性と寝まくる話。このバクスタ公爵は身寄りのない美少女を引き取って、兄のように慕っているのを遠慮なく食べてしまう外道だ。まあ俺も他人のことは言えんが。


「あの子は勝手に人の物を読んだりしないだろうけど、字を覚えたら、本を読みたいって言ってたわよ。あの子にはちょっとまだ刺激的すぎるかもね」

 言いたいことを言い終えたのか、俺に反論するすきを与えずにジーナはまた呪文書に戻っていった。


 それほど過激な描写があるわけではない。ただ、見せない方がいいだろうな。仮に俺にやましい気持ちがなくても気まずいし、俺にその気はありまくるのだから。ティアナが自分の境遇と比較して、俺に対して警戒するようになっても困る。書き物机の引き出しに本をしまって鍵をかけた。


 しかし、ジーナはバクスタ公爵物語の内容を知っていて、俺に何もいうつもりはないのかな? 俺の下心には気づいてないとか? 他人の奴隷について口を挟む権利はないといえばないのだけれど。まあ、とりあえずは俺の信用が下がるのを防いでくれたということにしておくか。


 俺は裏口の扉を開ける。ティアナはさきほど俺が脱ぎ捨てた衣類の洗濯をしていた。波型の板の上でせっけんのついた衣類をこすりつけている。俺が近くまでいくと振り返った。泡だらけの手のやり場に困りながら、袖で顔をぬぐう。息を弾ませて上気した姿に俺はドキリとした。


「あら。ご主人様。何か御用ですか?」

「いや。用というほどのことじゃないんだが、これを渡そうと思ってな」

 俺は取り出した銅貨をティアナに見せる。

「今晩の夕食の材料代ですか? そうですね。ご主人様に料理をお出しするのは久しぶりなので頑張りますね」


「いや。買い物代じゃない。これはお前が好きに使っていい」

 ティアナは首をかしげている。

「えーと。私が自由に使っていいのですか?」

「貯めておいてもいいし、欲しいものを買ってもいい。好きにしろ」


「そんな。受け取れないです」

 ティアナは後ずさりながら手を振った。泡が飛んで頬にくっつく。手を伸ばして拭ってやると、ふにっとした何とも言えない触感が指先に残った。

「あ、ありがとうございます」


「まあ、どこでも、これぐらいの小銭は自由にさせてるんだ。むしろ、今まで渡してなくて済まなかった」

 俺はティアナのエプロンのポケットに銅貨を突っ込んだ。

「あ。あの。その」

 ポケットに手を入れようにも泡がついておりままならない。


「それと、お前が気に入ったお菓子のバターガレット。ギルド長から貰ったのをテーブルに置いてあるから好きに食え」

 俺は家の中に引っ込む。ティアナに渡した額は銅貨4枚。奴隷が自由を取り戻すには、自分の売値と同額を主人と王国に支払う必要がある。ティアナの場合は金貨6枚。このペースで渡していったとしても40年かかる計算だ。


 今はこの生活に満足しているようだが、いずれはもっと欲が出てくるだろう。奴隷であっても主人が権力を持っていればそのおこぼれに預かることができるが、俺にそれを期待しても無駄だ。となれば、究極的には解放奴隷になることが目的になる。渡した金はそのための資金としては細い希望の糸だ。俺のやったことは所詮は偽善でしかなく、いいことをしたという気持ちは急速に萎んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る