外伝2ー2 従者と姫

 私の目の前で馬に揺れる姫様の髪にバレッタが光を添える。その背中から気持ちは読み取れない。私などが姫様の気持ちを推し量るなど不遜極まりないが、おいたわしいという感情が沸き上がるのを押さえることができなかった。あの日、あの男との決闘に敗れた姫様は輝く笑顔で夫婦となることを決める。それが始まりだった。


 私はフラン、ノールの二人と一緒に姫様付きの下女として派遣されることになった。姫様が嫁ぐと決めたハリスという男の家に着いてみると驚くことに、既に3人もの女が同居している。そこそこの剣の腕は有しているようだったが、何も好き好んでという程度の男。もちろん、私の立場でそのようなことを姫様に告げるわけにはいかない。


 実際のところ、姫様は幸せそうだった。慣れない手つきで料理を手伝い、他の女ともなんだかんだで良好な関係を築く。ハリスという男は見かけに反して、王国の重要人物というのも段々と分かってきた。あとはいつ挙式をするのか、姫様の妻としての序列がどうなるかが気になるばかりの頃、凶報が届く。


 夫となるべき男の死の知らせにも姫様は取り乱すことはなかった。魂が抜けて人形のようになったティアナという娘や醜態をさらすエイリアという神官と比べて自若とする姫様が誇らしい。下賤の者とは違う態度にマーキト族長の血縁者としての矜持が見て取れた。


 ただ、お側に仕えている私達からみれば、姫様が心に深い傷を負っているのを感じずにはいられない。形見として受け取った投げナイフを大事に首から下げていることからもそれは感じられた。新しく作った鞘を愛おしそうに撫でる指先を私は直視できない。


 本拠地を離れて数日後、私達の一団は、タンダール王国の派遣軍と合流を果たす。総司令官は口髭を生やした美貌の男レッケンバッハ伯爵。姫さまとは旧知の間柄だ。どうも我らの族長はまだ王国との間で血縁を結び関係を強化するということを諦めてはいないらしい。私に発言権は無いが、もし許されるなら私はこの伯爵を推薦したい。


 我らを未開の民と侮る者もいる中で、伯爵はそのような態度はおくびにも出さなかった。洗練された容貌をしているが、ただの貴族ではない。兵士に混じって肩を叩く付き合いもでき、粗末な食事も不平を言わずに食べた。そして、剣の腕だけでなく指揮もなかなかのものだった。


 スノードンが統治していたマールバーグには周辺の都市国家と同様に強固な城壁が配されている。相対的に有力なタンダール王国に対して都市国家群が独立を保っていられるのもこの城壁のお陰だった。相互に結ばれている安全保障の盟約も効果がなくはないが、マールバーグを積極的に支援しようという都市はない。


 元々正当な王家が治めていたのだが、盗賊ギルドに乗っ取られたのがマールバーグだ。元王家の血筋を引く者はその身を呪い嘆きながら死んだらしい。有力な暗殺者を抱え力で押さえつけていたスノードンが消えた今となっては、マールバーグに籠るのは単なる破落戸の集団に過ぎない。


 姫様から聞いたところでは、レッケンバッハ伯爵の身にも数度暗殺者の手が伸びたそうだ。不意打ち、毒薬、色仕掛け。そのすべてを難なく排除し伯爵は攻囲の陣を敷いた。一度、かなりの集団がまとまって脱出を図ったが、待ち構えていた伯爵に撃破される。


 散り散りになって落ち延びようとする者どもは、我らの手にかかった。姫様直々に虜囚は不要と言われている。逃げ惑う薄汚い男たちを追いかけまわし、まるで羊を狩る狼のように蹂躙した。姫様は熱くなることはない。冷静にいくつかの馬群を向かわせ、こちらには軽傷者が数名出ただけで200名ほどを打ち取る。


 そして、終わりの日を迎えた。王国の木材組合の協力で作られた屋根付きの破城槌が城門を破壊しマールバーグは陥落する。我らは二手に分かれ、逃れようとする残敵の掃討と、城内の見分に当たった。捕らわれ虐げられていた人々を解放する。被害者を装って逃れようとした狡賢い奴も旧知の魔法士ジーナによって見破られ吊るされた。


 タンダール王国はマールバーグを版図に組み込むことにしたようだ。レッケンバッハ伯爵は忙しく働いている。我らは攻略までを助力することになっていたので、姫様は折を見て暇を告げる。レッケンバッハ伯爵は送別の宴を開いた。マールバーグで押収した財宝から相当な量のものが姫様に贈呈される。


 レッケンバッハ伯爵の謝辞は誠意に満ちたものだった……と思う。王国の言葉は分からない部分があるが、聞き取れた箇所と態度からいって間違いない。姫様は族長の名代として、丁寧な答辞を述べ、和気あいあいとした雰囲気で宴会は進んでいった。途中で急ぎの伝令と思われる者が非礼を謝したうえで伯爵に何かを囁く。


 伯爵は口髭を捻りしばらく考えると、伝令に指示を与える。姫様がなにげなく伯爵に質問をすると一瞬ためらった後に返事をした。その中で「ハリス」と言う名が聞き取れる。姫様は無表情を装っていた。宴が終わり、我々は指定された屋敷に引き上げる。帰還は明朝と決まっていた。


 早朝目覚めると姫様が身支度を終えて私を見ていた。目に光が戻っている。

「ねえ、リュー。あたいより遅くまで寝てるなんて、昨日は羽目を外して飲み過ぎちゃった?」

「申し訳ありません」


 頭を下げながらも私は確信する。以前の姫様だ。フラン、ノールも起きだして、私たちの様子を伺っている。姫様はにいっと笑った。久方ぶりの悪い笑み。ああ、なんと愛しいことか。慌てて身支度をする。マールバーグを出立し、その姿が彼方に辛うじて見える場所で姫様は停止を命じた。


「いかがされました?」

「ちょっとね。そうだ。リュー。寝坊の罰として、皆を父のところまで率いて帰って」

 私は仰天した。


「チーチ様はどうされるのですか?」

「んー」

 姫様はバレッタに手をやる。

「さすがオババの品だね。探しものが見つかったみたい。まあ、まだ正確な場所は分からないんだけどね」


「と言いますと?」

「ハリスは生きてる。昨日の伝令は墓が荒らされたって話だったけど、伯爵けっこう焦ってた。取り繕ってたけど、あたいには分かる。伝令をエレオーラ様宛てに走らせてたし。つまり、それだけ大ごとってことよ」


「でも……」

「いいの。もし違っていてもね。あたいは賭ける。じっとしているのは性に合わないし。とりあえず、伝令を追っかけるつもり」

 私の心は決まる。


「でしたら、我らもお連れ下さい。どこまでもお供します」

「うん」

 姫様は笑顔で頷くと、別の者に指揮を譲る。皆の応援の声を浴びながら、姫様と私たちは馬首を巡らせ、疾走を始めた。

 

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