外伝2 悩む父
「父上。ただいま戻りました」
私の目の前で我が娘チーチは胡坐をかく。両手の拳を絨毯につけ頭を下げた。婚約者のハリスが死亡したという知らせを受けて、私が急ぎ呼び戻したのだ。王国との間の関係がすぐに破綻するとも思えないが念のための措置だ。
以前に比べればやや無機質な感じは受けるが、顔を上げた娘の顔に憂いはない。
「うむ。変わりないようだな」
「父上もご健勝のようでなによりです」
「母や兄に挨拶したら少し休むがいい」
他の部族にやっていた遣いを引見し、今後の王国との関係をどうするか思案を巡らす。有力者間の牧草地の割り振りの裁定を下し、我が勢力圏に逃れてきたマールバーグの連中を捕縛するための巡察隊を組織する。目の回るような忙しさだった。息子キンブリがだいぶ肩代わりできるようになった姿を見て喜ばしいとともに自分が年を取ったことを感じた。
「父上。必ずやならず者どもを捕らえ、妹婿殿の霊に供えましょうぞ」
息子が30騎ほどを従えて勇躍して東方へ駆けていった。王国に対して融和的な対応をとることに消極的だった息子も、あの男に対しては思うところがあるらしい。まあ、無理もないだろう。妹をあれほど可愛がっていたのだ。
気位が高くどの相手にも首を縦に振らなかった娘が、あの男を認め、妻となることを承諾した時には私も驚いたものだ。外見的にはそれほど強そうにも見えなかったが、内に秘めたる芯はしっかりした男という印象はある。吹きすさぶ大風を受け流し決して折れないウィローの木のような、そんな男を選ぶ娘の選択眼が誇らしくもあった。
うまくすれば来年ぐらいには孫の顔が見られるかもと密かに期待していたのだが……。
数日後、息子が10人ほどを捕らえて帰営する。ノルンの方角に向かって祭壇を作り、男たちを引き出して切った。その間、娘は冷ややかな笑みを浮かべている。周囲が興奮に包まれていく中で、娘は真新しい鞘に納めたナイフをもてあそんでいた。気丈な振る舞いをしていて容易に心中は伺えない。
その夜、妻と娘の今後について話し合いを行った。
「新しい婿ですか?」
妻は気乗りのしなさそうな顔をする。
「幸いにもまだ夫婦の契りはしてないようだから……」
妻は盛大なため息をついた。
「あなたに女心が理解できるとは思っていませんでしたが、まさかこれほどとは思いませんでした。いいですか。好いた男との幸せな記憶があれば、新たな相手を探すのもいいでしょう。そうではないのにあの子が承諾するわけないでしょうに」
「いや。このままではチーチはいかず後家だぞ」
それ以上は言葉が続けられなかった。強烈なパンチが私の顎を突き上げる。私が妻に惚れた原因の一つ。顎砕きの名を持つアッパーカットの衝撃が私の脳を揺さぶった。久方ぶりの眩暈に改めて妻に惚れ直す。ところが妻は憐れむ目つきで私を眺め、それどころではなかった。
翌朝、息子が私の心配をする。
「父上、体調はいかがですか?」
「うむ。心配ない」
「それならいいのですが。では、予定どおりチーチを呼びますぞ」
慰霊祭はマールバーグへの遠征の前祝いを兼ねていた。娘はその部隊を率いることになっている。王国が残敵の掃討作戦を実施するにあたり、我々としても友好関係を継続するために人数を出すことにした。マールバーグのノルン侵攻の暴挙には他の部族からの参加者がいたという話もあり、我々の本拠地を固める必要もあって多くの人数は割けない。
人数を出せない以上、統率者の身分は高くする必要がある。言葉の問題もあり、私か息子が率いていくのがベストだったが、身動きができなかった。人選に悩んでいた私に娘が淡々と提案したのだった。
「あたいが行くよ」
「しかし、お前は喪に服しているのだろう」
「ハリスの弔いをするなら、なおさらじゃないか。それに王国の指揮官はレッケンバッハ伯爵でしょ、あたいなら面識もあるしね。何もしていないとかえって気が滅入りそう。また、リューたち3人を借りるね」
新調した鎧に身を包み細剣を腰から下げた娘の姿は堂々としたものだった。首から紐で提げた鞘には昨日もてあそんでいたナイフが収められている。それを握りしめた娘は私に頭を下げた。
「父上行ってまいります」
「うむ。頼んだぞ」
縁戚関係のある部族などからの参加者を含めた総勢200騎ほどの先頭に娘が立つ。よく通る声を張り上げた。
「義によりタンダール王国の支援を行い、マールバーグの残党を討つ。かねてよりの仇敵だ。遠慮はいらない。根絶やしにする」
気勢をあげる一団に向かって、魔法士のおばばがひょこひょこと近づいていく。しわがれ声を張り上げた。
「おお。姫さま。晴れの出陣に祝いの品を差し上げましょうぞ」
おばばは精いっぱい背伸びをする。指につまんだ銀の髪留めを娘に向かって差し出した。
娘は体を傾けてバレッタを受け取ると日の光にかざし目を細める。
「姫さま。そのバレッタには二つの猫石が使われております。闇の中で光る猫の目のように姫さまの大切なものを探し出しましょうぞ」
「ありがとう」
娘は一瞬だけほろ苦い笑みを浮かべると後ろに束ねた髪の毛にそのバレッタを留めた。おばばは娘に礼をすると、後ろに下がって遠征隊に道を開ける。そして、チラリと私の方を振り返った。妻には叱られたが、父としては新たな伴侶を得て幸せになって欲しい。
バレッタには心の傷を癒し、過去の悲恋を忘れさせる魔法がかかっているとおばばが言っていた。婚約者が非業の死を遂げて後を追おうとする姫に父親が与えたという由来のある品だ。その伝説ではやがて姫は新たな恋人を得て幸せな結婚をしたとされている。
「はっ」
手綱を振り、軽く馬腹を蹴ると娘を乗せた馬は東南に向かって駆け始める。その後ろに娘の護衛を務めていたリューらが続き、さらに多くの騎馬が蹄の音をさせ追って行った。
土ぼこりが収まり、チーチ達一団のたてる砂煙が小さくなるまで見送る。おばばが寄って来た。
「のう。ネムバ様。昨夜占うてみたんじゃがな」
「うむ。それで」
「姫さまは星を見つけると出ましたぞ」
「おばば。星とはなんだ?」
「それはワシにも分からん。ただ」
おばばはしわだらけの口元をぐいっと上げ笑う。
「悪い卦ではないことだけは確かじゃ」
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