第108話 九死一生
「どうして軍神バラスは人を襲うようになったのさ?」
「そうだな。人はな、自分と他人を比べてしまうんだ。それで、自分を高めるのではなく、より強かったり偉かったりする人間を引きずり降ろそうとしてしまう。分かるか?」
瘦身だが力強さを感じさせるジジイを見上げて俺は首を縦に振った。
「それでバラスは裏切り者の名を着せられて追放されたんだ。当てもなくさまよい続け最も深いダンジョンに降りて行った。そして、最期はそこにある沼に沈んだ」
「じゃあ、死んでるじゃんか」
「そうだな。ただ、定期的にその沼には稲妻が落ちるんだが、その時に泥から人が生まれるんだよ。最後に飲み込んだ人間そっくりのね。技量も力も記憶も感情も全く同じ。本人と区別がつかないんだ」
「なんか嘘くせえ」
ジジイはニカっと笑う。
「嘘じゃない。ワシはこの目で見たんだからな」
「本当かよ。俺も見てみてえ。というか、じゃあ、バラスと戦ったのか?」
「ワシはアシストしただけだがな」
「すげえ。俺もそんなシーフになれっかな?」
「お前は手先が器用だから大丈夫だろう。だが、シーフに本当に必要なのはここだ」
ジジイはこめかみを指でつつく。
「優秀なシーフは頭が良くなきゃな」
「分かったよ。俺、頭のいいシーフになっから。そしたら一緒に冒険しようぜ」
俺は意識を取り戻す。後頭部がやけに痛い。時間稼ぎにバラスに突っ込み剣の強振に吹っ飛ばされてダンジョンの壁に激突したようだ。ぱっと起き上がる。バラスはどうなった? どうやら無事にザ・ブレスは発動したみたいでバラスの表面が白いもので覆われていた。身動きを止めてはいるが、先ほどのように全身を凍てつかせることはできていない。
杖に寄りかかって息も絶え絶えのジーナに駆け寄る。その体を抱きかかえると第1層への階段に向かって走り始めた。
「ごめん。私の力じゃ完全に魔法の支配下に置けなかった」
「時間稼ぎができりゃ上等。いいからしっかり捕まっててくれ」
キャリーとシルヴィアの姿は見えないが、コンバのアホはまだ階段の手前で俺達を待ってやがった。足が遅いんだからさっさと脱出しておけと言ったのに。後方から物凄い圧が放射される。くそ、魔法の持続時間が切れやがった。俺はコンバのところに駆け寄るとジーナを託す。
「ジーナを連れてさっさと行け!」
ぐだぐだ抜かすかと思ったが表情を引き締めると階段を上がっていった。
「ちょっとハリス! あんた一人で何ができるのよ?」
俺も階段を上がりながら背負い袋を引っ搔き回して油の壺を取り出す。
ダンジョン内で果てた冒険者を火葬にするための油だ。ダンジョンに潜る際にリーダーに支給される。良く燃える特製の油だったが別の使い道もあった。栓を引き抜くと全部を階段にぶちまける。それから疲れた体に鞭打って走り出した。数歩行ったところでガシャン、ガガガという大きな音が響き渡る。いっちょ上がり。
俺はその間にリードを広げた。再び後方から迫ってくる足音が聞こえてきたが、幸いなことにこのダンジョンは階下への階段から出口までの距離が近い。余裕しゃくしゃくとはいかなかったが、バラスに追いつかれる前にダンジョンの外に飛び出すことができた。
出口から少し離れたところでキャリーとコンバが身構え、その後ろでシルヴィアが弓を引き絞っている。ジーナは地面に座り込んでいた。俺も駆け寄ってくるりと振り返る。だが、想像した通りバラスはダンジョンの外へは出てこない。本来ダンジョンの最深部をさまよう奴にとっては地上は身動きさえ苦しい環境のはずだった。
「ふう。命拾いしたぜ」
「外までは出てこないんすね」
「まあ、俺達が下に行けば行くほど本領を発揮できないのと同じさ。向こうにとっちゃここは来たくない場所なんだろうよ」
「本当に軍神バラスに出会うことになるなんて。この間の偽物とは比べ物にならないわ。まだ手が震えてる」
キャリーが悔しそうな顔をした。
「あいつのヤバさが分かるってことは腕利きの証拠さ。俺も膝が笑ってやがる」
俺はジーナの横に座り込んだ。
「ジーナのお陰で助かったぜ。あの魔法すげえな」
「あんたが無茶して突っ込んでいくのだもの。吹っ飛ばされた時は心臓が止まるかと思ったわ」
「まあバラスの剣を受けられそうなのは俺のショートソードしかなかったからな。剣の腕はともかくキャリーさんの剣じゃ粉砕されたと思う」
「まあ説明する暇もなかったでしょうし仕方ないわね。それにしても、ハリス。バラスのことにも詳しいのね」
俺は後ろ手に地面についた手に体重をかけて空を見上げる。
「まあな。昔ベテランに聞いたことがあったんだよ」
「さすが古老は違うわ」
「そこまで年は食ってねえぞ」
ヒステリックな笑いが漏れる。ふう。いやマジで死ぬところだった。
携行食糧を食べて小休憩をとる。ジーナが歩けるまで回復するのを待ってからノルンに引き返すことにした。コンバが加工した木の板に、立入禁止の旨を彫って入口にかけておく。どこまで効果があるかは分からないが脅威を知った以上は義務がある。警告を無視して入る馬鹿は別にして、不慮の死はできるだけ防がなくてはならなかった。
軍神バラスの怖さが身に染みたメンバーの足取りは重い。つい先ほど直面した死のことを思い出してむっつりとして歩いていた。深刻になるのもいいがあまりに重苦しい空気はいただけない。
「しかし、参ったなあ。これじゃ当分日銭を稼げなくなっちまった。良く食うのが増えたのに商売あがったりだぜ」
わざとらしく嘆いて見せる。シルヴィアが針にかかった。
「チーチさんでしたっけ? そんなに食べるんですか?」
「ああ。なかなかの食べっぷりだな」
「それで、どんな子なんですか?」
「元気いっぱいって感じの女の子っすね」
「礼儀知らずの田舎ものよ」
コンバとジーナの評価の落差にシルヴィアが目を輝かせる。それをきっかけに賑やかなおしゃべりが始まった。活気が戻ったので良しとする。
ノルンの町に着き、門をくぐろうとすると警備兵に声をかけられた。
「ハリスさん。あんたのところのお嬢ちゃんが襲われたそうだぞ」
俺はそいつに詰め寄り問いただす。その勢いに警備兵がたじろいだ。
「詳しくは知らないんだ。詰所にいけば……」
俺は最後まで聞かずに町の中心に向かって駆け出した。
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