第107話 煉獄の息吹

 俺はドーラス山のダンジョンの中に居る。ジーナがついに新しい魔法を習得したので、その威力を確かめる目的だ。一緒にいるのはキャリー、コンバとシルヴィア。エイリアは神殿での仕事があるらしく、神官不在なので安全を期して第2層をうろちょろしている。


 残してきたティアナがうまくやっているか心配だ。チーチについてきた下女のティアナに対する態度が気に入らない。一応注意をして以降は表面上はよそよそしさは消えていた。チーチにも失礼なことをする下女は追い出すと言い含めてあるから大丈夫だと思いたい。やれやれ。集中力に欠けているな。


 俺は自分の頬を両手で叩いた。

「何やってるんすか、兄貴?」

「気合入れたんだ。どうも気が緩みがちだからな。第2層なら後れを取ることはないと油断してると痛い目をみるぞってな」


「やっぱり兄貴って凄いっす」

「とはいえ、まあ問題は起こりえないんだよなあ」

 もう随分昔のことのように感じるが、半年ほど前に初めてコンバやジーナと潜ったときに比べれば比較にならないほど強力だ。 


 キャリーもさることながらコンバが腕を上げたので前衛の安定度が桁違いになっている。コンバが防御戦闘しつつ、キャリーが打撃を与えるというパターンがばっちり構築されていた。俺の出る幕が無い。一応、毒を受けるのを避けるために氷紋蛇のいた場所は避けていた。


 一巡りする間に既に3回ほど魔物の群れに遭遇したが、危なげなく撃破している。罠も簡単かつそれほど危険でないものしかないので俺なら楽々解除できた。宝箱からの回収品も悪くない。いい日銭稼ぎにもなっていた。同居人が増え食費もかさむので臨時収入は助かる。


 チーチも食料は持ち込んでいるのだが、どうしても洗練されたものとは言い難い。チーチ自身もティアナの料理を一口食べてからは、持ち込んだものに手を付けなくなっていた。塩漬けの肉などはティアナがうまく活用しているが、全体として見れば食費が増えている。


 食費の増も悩ましいが、チーチが押しかけて来たことで引き起こされた事態も頭が痛かった。ジーナはチーチに対して明らかに友好的ではない。ティアナはチーチと同様の行動を取っているが、別に張り合っているわけではないように見えるのが救いだった。


 ミーシャはまあ同居人というスタイルを貫いているので問題ないと思うが、チーチの方は思うところがあるようだ。タックと遊んでやる俺を見て何か言いたげだったので、俺の子供じゃないと教えたが意に介することはなかった。まあ言いたいことは分かる。何もなくてタックの面倒を見ているというのを信じる方がおかしい。


 そして、エイリアがチーチに正面から対抗馬として名乗りを上げ、増々ややこしくしている。ティアナは料理の支度をしていて気づいていなかったようだが、ジーナは顔をしかめていた。コンバの見立てが正しいなら心穏やかではないだろう。さらにエイリアがこの件を弟のカーライルに告げた時の反応を考えるとため息しか出ない。


 心ここにあらずの俺を見るキャリーは面白いものを見る顔をしている。ダンジョンに入る前に、昨日エイリアさんに会いました、と言っていたのでたぶん話は聞いているはずだ。その上で俺の窮状を楽しんでいると思われる。ジーナはずっと険しい顔をしてぶつぶつ言っているが、俺は新魔法の手順を復習しているのだと考えることにした。


「いたわよ」

「魔狼っす」

 前衛二人が俺達の注意を促す。俺がジーナに向かって頷くと杖をかざして詠唱を始めた。いつもに比べれば流暢さに欠ける。


 俺もそんなに魔法に詳しいわけじゃないが初めて聞く節回しは寒々とした印象を与えた。魔狼4匹が俺達に気づいて走り寄ってくる。前衛が防御態勢を固める目の前で、空気が張り詰めた。甲高い音が鳴り響き魔狼に向かって激しい空気の渦が巻き起こる。


 魔狼の毛皮がみるみるうちに白いものに覆われ表面を覆いつくしたと見る間にパリンと粉々になる。視覚的にはアイスブレイクの方が派手だったが効果はこっちのほうがえげつなかった。冷属性に対してほぼ最高の耐性を有するはずの魔狼が氷片となってバラバラになる。煉獄の息吹ザ・ブレス。とんでもない呪文だった。


 ジーナが俺の方に上気した顔を向ける。

「やあね。その口閉じなさいよ。間抜けに見えるわよ」

「ああ。いや驚いた。半口開けて茫然としちまったぜ」

 普段は澄ました顔をしているジーナも嬉しそうだった。


「これ禁呪じゃないのよね?」

「マルホンド師は変人だけど禁呪を他人に与えるほどイカれてはないわ。確かに私も自分の目で見て信じられないくらいの威力だけどね」

「さすが姐さん凄いっす」


 シルヴィアは目をぱちくりとさせている。

「あれ? ひょっとして私の参加してるパーティって意外と優秀だったりします? 新人の私が入ってるのがおかしいのかな?」

「それはいい過ぎよ。少なくとも私はもっと習熟しないと。消耗も激しいし連発もちょっと厳しそうね」


 ジーナの言葉が終わるかどうかという時だった。俺はぞくりときて身を震わせる。この感覚は初めてのものだったが本能が告げていた。このフロアに何か非常に危険なものがいる。おそらくジーナの高位魔法に反応してそいつが無言の叫びをあげたに違いない。俺はごくりと喉を鳴らす。


「速やかに撤収するぞ」

「ハリスさんどうしたんですか? 急にそんな顔をしちゃって」

 シルヴィアの腕をキャリーがつかんで足早に歩き始める。コンバもそれに続き、俺はジーナを促して第1層への階段へと進み始めた。


「ジーナ。もう1発だけでいい。今のザ・ブレス撃てるか?」

「ぎりぎりね。発動しても私が気を失うかも」

「その時は抱きかかえて運んでやるさ。そいつだけが切り札だ」

「そんなに危険な相手がいるの?」

「たぶんな。どちらにしてもあの三叉路を越えられなきゃアウトだ。急ぐぞ」


 右手に切れ込みが見え、第3層への階段に続く通路への曲がり角の前まで到達する。ちらりとそちらに視線を向け、俺は直感が正しかったことを知った。ジーナが呪文をつむぎ始める声が耳を打つ。重い鎧を着ているはずのそいつは喜びの声をあげて走り寄ってくる。本物の軍神バラス。俺は時間稼ぎのために前に飛び出した。

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