第123話 王女エレオーラ

 キャリーと別れて神殿に向かおうとする。顔の怪我を残したままではティアナがまた心配するだろうとの考えだ。手持ちの現金ではキャリーに酒を奢ったので治療費には足りないが、例の友の会の会員証がある。あ、ジグムントの誤解を解くようキャリーさんに言うのを忘れちまった。キャリーを追いかけようとしたところで名前を呼ばれる。


 そちらに目を向けると1台の馬車が寄って来て横づけされた。窓のところからエレオーラ姫とティアナの顔が見える。

「まったく、どこをフラフラしてたの? ティアナが心配してたわよ」

 こうなっては仕方ない。俺も馬車に陪乗させてもらった。


 俺の口元を見てティアナの瞳は憂いを帯びる。

「ご……、ハ、ハリス様」

 ティアナが口にする呼びかけは新鮮だった。

「お怪我をされたのですか?」


「見た目ほど酷くはないんだ」

「それならいいのですけれど」

 そう言いながらティアナは俺の口元に顔を近づける。ほとんど触れんばかりの距離まで首を伸ばしてきた。


「そんなにまじまじ見なくても大丈夫だから……」

 あまりの近さに戸惑いを覚えて、ふと視線をエレオーラ姫の方に向けるとカーテンの隙間から外を見るふりをしながらこちらを見ていた。握りしめた拳に力が籠っている。


 首を戻すとティアナは体を引いた。コンバに貰ったリンゴよりも赤い顔をして、今にも湯気を噴きそうだ。視線を動かさないように広い範囲を見回すようにすると横向きのエレオーラ姫の口元が下がっている。そういうことか。まったく余計なことをするお姫様だ。


 気まずい沈黙が支配する中、馬車は走り、ほどなくゼークトの屋敷の車寄せに着く。きびきびした動きの馭者が扉を開けた。手を貸す間も無くエレオーラ姫はさっさと馬車を降りる。俺も降りてティアナに手を差し出した。なんとか普通の顔色に戻ったティアナの腰に手を添えてエスコートする。


「ねえ。ティアナ。ちょっと大事な話があるからハリスを借りるわね。すぐ終わるから縫い物をしている部屋で待っていて」

 大人しくティアナが去ると、エレオーラは応接室に俺を押しこむ。一度扉を閉めてからぱっと扉を開けて外を確認するとドアを再び閉め部屋の奥に進んだ。


 暖炉わきの肘掛け椅子に座るともう一つの椅子に座るように身振りをする。俺は椅子を近くに寄せて座った。エレオーラ姫は立ち上がると火の消えている暖炉に首を突っ込んだ。そして椅子に座る。ちょっとせわしない。

「俺と二人きりというのはまずいんじゃないですかね?」


「ゼークトには許可を取ってあるわ」

「そうは言っても使用人の手前も……」

 エレオーラ姫は手を振って遮る。少し神経質になっているようだ。ほんのちょっとだけ考えを整理するように口をつぐむと背筋を伸ばして話し始める。


「単刀直入に言うわ。ハリス。あの方の遺志を継ぎなさい」

 いきなりの奇襲攻撃にさすがの俺も絶句する。

「この国は危機に瀕しているわ。このままじゃいずれマールーンに侵略されるかルフト同盟に食い物にされて自壊するか、マールバーグのクズが乗り込んでくるか。それもそう遠いことじゃないでしょうね」


「い、いきなり何を」

「亡国の元王女の運命なんて悲惨なものよ。殺されるか汚辱にまみれた虜囚の生活に甘んじるか。私はそれを受け入れるつもりはないわ。そのためには王国を立て直さないといけない。それに力を貸して欲しいの」


 目の前には普段の気さくな女性の姿は無い。凛とした王女が俺を見据えていた。無言の応酬が繰り返される。なぜ俺に、という問いを発する必要はなかった。俺を表舞台に立たせようとする策謀の震源地はこの姫だ。考えてみれば簡単なこと。宰相だのレッケンバッハ伯爵だのという大物を動かせる人物なんて多くは無い。


「ゼークトがいるだろう?」

「もちろん、表側は彼に頑張ってもらうわ。でも、ゼークトだけじゃ無理なの。あの真っすぐな生き方を尊敬もしているし、愛してはいるけれども、それだけじゃ国は動かせない。まあ、あなたに今更こんな政治学の初歩は不要だったわね」


「別に俺はジジイの弟子じゃない」

「ええ。そうね。名前を消されたあの方にとっては息子のような存在だものね。だから、あなたが立てば多くの人を糾合できる。地位、能力を持つ志操堅固な人々をね」

 俺は黙っていることしかできない。


「実はともかく名が足りないとは言わせないわよ。あなたは今やバラスを倒した。そして、王国の西方の安定に欠かせないマーキト族長の娘婿で、王国の経済に影響力を持つ木材ギルドの次期統領の一人とも昵懇。そして我が国の聖騎士の無二の友。これだけの名があれば十分よ。あなたが認めたくないとしてもね」


 声量は抑えていたがエレオーラ姫の声が熱を帯びる。

「これは私の保身のためでもあるわ。それは否定しない。だけど、国が亡びるとき苦労するのは弱者よ。大人はまだいいわ。自分の器量次第で生き延びることができる。でも子供は時にはそのチャンスすら与えられないのよ」


 俺の顔色を読んだエレオーラ姫は胸を張る。

「ええ。あざといセリフだということは認めるわ。あなたの弱みに付け込んでいることも否定しない。でも、嘘も誇張もないでしょう? あなたは今日一人の少年を救った。でも、もっと多くの子供を救うことができる。そうじゃなくて?」


 ああ。くそ。この生意気な姫さんの言うことは正論だ。理屈では対抗しようが無い。

「ジジイに先立たれ、拗ねて無駄に年を食ったおっさんにそんな大義を期待するのか?」


「ええ。期待してるわ。それに、あなたにも悪い話じゃないでしょう。あなたが権力を握れば、あのくだらない法律も廃止できる。正々堂々とティアナを妻に迎えることができるわ。後ろめたさを感じることなくティアナに愛を告白できるでしょ。今のまま、お互いに遠慮していつまでも宙ぶらりんの関係を続けるなんてお互いに不幸なだけじゃない」


「うるさい」

 相手の地位を考えず、思わずかっとなってしまった。

「図星ね。今の発言は聞かなかったことにしてあげる。あなたはティアナを愛しているけど、遠慮もあれば、気おくれに近いものも抱えてるわ。さあ、正道を進みなさい。力と愛する人を手に入れられるし、多くの人を幸せにできるわ。よく考えて」


 エレオーラ姫は言うだけ言うとすっくと立ちあがり応接室を出て行く。俺はすぐには立ち上がることさえできずにいた。



 

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